連日の熱戦にわくパリ五輪ですが、YOASOBIが歌うNHKのテーマソング「舞台に立って」の評判がいまいちです。“歌詞に余白がなく言葉が流れてしまう”とか、“ヒリヒリとした戦いの場の音楽として薄すぎる”との批判的な意見が多く聞かれます。
◆過去にはゆず、ミスチルの感動やエネルギーを伝えるテーマソング
過去のオリンピックでは、2004年アテネ大会の体操の着地シーンで流れる「栄光の架橋」(ゆず)や、2008年北京大会の「GIFT」(Mr.Children)などの、メッセージ性の強い壮大な曲が強い印象を残してきました。そうでないケースでは、1996年アトランタ大会の「熱くなれ」(大黒摩季)のように、ほとばしる汗をそのまま音楽にしたような曲があります。
いずれにせよ、これまでのオリンピックテーマソングは、スポーツノンフィクション的な感動か、スピード感やエネルギーを伝えるのが主なアプローチでした。
でも今回の「舞台に立って」は明らかに異なります。
まず、とても軽い曲だと感じました。とはいえ、決して悪い意味ではなく、オリンピックだからといって気合が入りすぎていないのですね。盛り上げよう、泣かせようという仕掛けがない。スポーツに対する姿勢がカジュアルだと感じました。
ただ、それだけではない要素もある。歌詞がとても内省的なのです。
◆アスリートのメンタルヘルスに切り込む歌詞は完全に新しい
<不条理を前に立ち尽くすこともあった 他人は好き勝手ばっかり言うし
もう何のために戦ってんだろ って分かんなくなって>
これは音楽で選手を応援したいとか、スポーツのダイナミックさを演出したいといった意図とは明らかに異なります。昨今問題になっているアスリートのメンタルヘルスに切り込んだ批評的なフレーズだからです。
この一点だけでも、「舞台に立って」は完全に新しいスポーツのテーマソングだと言えるのです。
◆聞く人それぞれの共感を呼ぶ、黒子に徹した姿勢
同時に、作者のAyaseはこの曲をスポーツだけに限定せず、聞く人それぞれの暮らしの中での戦いに置き換えられる言葉を選んでいます。
<勝ち負けがはっきりある世界は 好きだけじゃ生き残れない
いつも結果と成果 遊びじゃない そんなこと分かってる>
キャリア実現の夢、ビジネス、受験、部活。様々なシーンで共感を呼ぶコンセプトです。見方によっては、あまりにもわかりやすすぎるので、作詞に工夫がないと感じるかもしれません。
けれども、ここでのAyaseは一目で目的と意図が伝わる言葉を組み合わせることを徹底しています。老若男女が注目するオリンピックでは、YOASOBIならではの作家性よりも優先すべき事柄がある。「舞台に立って」のわかりやすさは、制約の中で制作するプロの我慢のことなのです。
“面白い詞を書くAyase”を押し出そうと欲張るのではなく、曲の後ろで黒子に徹する。その姿勢が、誰にでも当てはまる“舞台”を作る言葉を生んでいるのです。
◆冷静な曲と熱いギターソロ、さじ加減が絶妙
曲調やサウンド面では新展開も見られます。YOASOBIのトレードマークだった電子音は影を潜め、ギターメインのバンドサウンドが新鮮です。そしてここでもAyaseの批評性が発揮されています。
いまの若い人たちが“ダサい”と感じるような古臭く歌い上げるギターソロをフィーチャーしているのです。モノローグの歌詞を淡々と歌うikuraとの対比で、そのダサさが効果的な仕掛けになっている。
曲全体はスポーツとは距離を取った冷静なトーンであっても、ギターソロは熱い。このさじ加減が絶妙なのですね。
◆スポーツを美談のいけにえにしない、素晴らしいテーマソング
YOASOBI全般に言えることですが、言葉を詰め込みすぎて歌が難しいパズルを解くアクロバットになっているきらいもあります。
しかし「舞台に立って」では、その細かさが大げさになることを防いでいる。
スポーツを美談のいけにえにしないという点で、「舞台に立って」は素晴らしいテーマソングなのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
◆過去にはゆず、ミスチルの感動やエネルギーを伝えるテーマソング
過去のオリンピックでは、2004年アテネ大会の体操の着地シーンで流れる「栄光の架橋」(ゆず)や、2008年北京大会の「GIFT」(Mr.Children)などの、メッセージ性の強い壮大な曲が強い印象を残してきました。そうでないケースでは、1996年アトランタ大会の「熱くなれ」(大黒摩季)のように、ほとばしる汗をそのまま音楽にしたような曲があります。
いずれにせよ、これまでのオリンピックテーマソングは、スポーツノンフィクション的な感動か、スピード感やエネルギーを伝えるのが主なアプローチでした。
でも今回の「舞台に立って」は明らかに異なります。
まず、とても軽い曲だと感じました。とはいえ、決して悪い意味ではなく、オリンピックだからといって気合が入りすぎていないのですね。盛り上げよう、泣かせようという仕掛けがない。スポーツに対する姿勢がカジュアルだと感じました。
ただ、それだけではない要素もある。歌詞がとても内省的なのです。
◆アスリートのメンタルヘルスに切り込む歌詞は完全に新しい
<不条理を前に立ち尽くすこともあった 他人は好き勝手ばっかり言うし
もう何のために戦ってんだろ って分かんなくなって>
これは音楽で選手を応援したいとか、スポーツのダイナミックさを演出したいといった意図とは明らかに異なります。昨今問題になっているアスリートのメンタルヘルスに切り込んだ批評的なフレーズだからです。
この一点だけでも、「舞台に立って」は完全に新しいスポーツのテーマソングだと言えるのです。
◆聞く人それぞれの共感を呼ぶ、黒子に徹した姿勢
同時に、作者のAyaseはこの曲をスポーツだけに限定せず、聞く人それぞれの暮らしの中での戦いに置き換えられる言葉を選んでいます。
<勝ち負けがはっきりある世界は 好きだけじゃ生き残れない
いつも結果と成果 遊びじゃない そんなこと分かってる>
キャリア実現の夢、ビジネス、受験、部活。様々なシーンで共感を呼ぶコンセプトです。見方によっては、あまりにもわかりやすすぎるので、作詞に工夫がないと感じるかもしれません。
けれども、ここでのAyaseは一目で目的と意図が伝わる言葉を組み合わせることを徹底しています。老若男女が注目するオリンピックでは、YOASOBIならではの作家性よりも優先すべき事柄がある。「舞台に立って」のわかりやすさは、制約の中で制作するプロの我慢のことなのです。
“面白い詞を書くAyase”を押し出そうと欲張るのではなく、曲の後ろで黒子に徹する。その姿勢が、誰にでも当てはまる“舞台”を作る言葉を生んでいるのです。
◆冷静な曲と熱いギターソロ、さじ加減が絶妙
曲調やサウンド面では新展開も見られます。YOASOBIのトレードマークだった電子音は影を潜め、ギターメインのバンドサウンドが新鮮です。そしてここでもAyaseの批評性が発揮されています。
いまの若い人たちが“ダサい”と感じるような古臭く歌い上げるギターソロをフィーチャーしているのです。モノローグの歌詞を淡々と歌うikuraとの対比で、そのダサさが効果的な仕掛けになっている。
曲全体はスポーツとは距離を取った冷静なトーンであっても、ギターソロは熱い。このさじ加減が絶妙なのですね。
◆スポーツを美談のいけにえにしない、素晴らしいテーマソング
YOASOBI全般に言えることですが、言葉を詰め込みすぎて歌が難しいパズルを解くアクロバットになっているきらいもあります。
しかし「舞台に立って」では、その細かさが大げさになることを防いでいる。
スポーツを美談のいけにえにしないという点で、「舞台に立って」は素晴らしいテーマソングなのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4