『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』『女(じぶん)の体をゆるすまで』で知られる漫画家・ペス山ポピーさんが改名し、スタニング沢村さんとして上梓した初の創作漫画『佐々田は友達』(文藝春秋)は、主人公の佐々田と、陽キャの女子高生・高橋優希を中心に、周囲の人物それぞれの視点から日常を丁寧に描いています。
1巻のラストでは、佐々田が「男の子として生きていきたい」と思っていることが明かされました。2巻では、浪人生の小野田との友情を温める様子や、オタクの前川と陽キャの高橋の関係性などが描かれています。
今回は、著者のスタニング沢村さんに、男性との友人関係で傷ついた過去や、小野田くんのモデルとなった少年との友情、またトランスジェンダーとして学生生活を送ることの辛さなどについて聞きました。
◆男の子とは友人になれない?
――2巻では、「外見も挙動も変な浪人生」の小野田くんと、佐々田が友情を育(はぐく)んでいきます。どんな思いを込めて描かれたのでしょうか?
スタニング沢村さん:(以下、スタニング沢村)男女を意識しない、性別の関係ない友情を手に入れられることもあるよ、ということを描きたかったんです。どれだけリアリティがないと言われても、この作品を読んで「じゃあ、自分が誰かにとっての小野田くんになろう」と思う人がいるかもしれないので。
あと、個人的に師弟関係という関係性が好きなんです。小野田くんが人生に答えを出したがったり、”師匠になりたい願望”があるところは自分に似ていると思います。
◆性別が友情のハードルになった
――佐々田が小学生の頃に、性別がハードルになって同級生の赤西くんと友達でいられなくなった過去について描かれていました。男女の友情について、沢村さんも同じような経験があるのでしょうか。
スタニング沢村:佐々田と赤西のエピソードは、『女(じぶん)の体をゆるすまで』(小学館/ペス山ポピー)に描いた「ポテト」という男の子との話そのままなんです。
私はポテトとの間に起こったことで、「男の子と友達になるのはやめよう、また同じことになって傷つくかもしれない」と思っていました。
◆長年のモヤモヤが昇華した理由
――小野田くんには、実在するモデルはいるのでしょうか?
スタニング沢村:最近行ったアーティストのライブの打ち上げで出会った子がモデルになっています。浪人生で、まだ20歳くらいなのにすごく自分を持っている少年で、本当に漫画の中の小野田くんみたいな喋り方なんです(笑)。
三島由紀夫のような、文学おじさんみたいな喋りを展開していたんですけど、目立つせいか周りのおじさんに「お前、そんなこと言ってるようじゃダメだよ」と叱られてました。
そばで見ていて我慢できなくなって「私はそのままでいいと思いますよ、今そう思っているんだからいいじゃないですか」と口を出したのがきっかけで仲良くなりました。
連絡先を交換して、「今度遊びに行きましょう!」と最後ガッと握手をして別れたんですが、今でも仲良くさせてもらっています。彼は10個下ですけど、やっと築けた男の子との友情なんです。
◆自身と佐々田の違い
スタニング沢村:彼との友情によって、今まで嫌な目にあったり、私の中で課題を感じていたことが昇華された感覚がありました。出会った日の帰り道は、「すげーいい奴と友達になった!」とすごく嬉しかったです。その経験を元に小野田くんとのエピソードを描きました。
――沢村さん自身は「ノンバイナリー(男性・女性のどちらかに当てはめられることに違和感を感じる人)」であることを公表していますが、佐々田は「トランスジェンダー」なのでしょうか。
スタニング沢村:私は結構揺れているところがあって、ノンバイナリーでも、トランス男性(性自認が男性の人)でもいいかなと感じてます。佐々田は、私よりはしっかりとトランス男性よりだと思います。
◆男女で分けられる学生時代の辛さ
――佐々田が「男の子として生きていきたい」と思いながらも「それを毎秒毎分諦(あきら)めている」と感じていることが印象的でした。沢村さんも同じような思いがあったのでしょうか。
スタニング沢村:ずっとそうですね。自分が生きたいようには生きられるわけがないと思っていました。
――トランスジェンダーであることは、学生時代の方が辛さが大きいのでしょうか?
スタニング沢村:学生時代が私としては一番辛かった、というか、怖かったです。
これから先もずっと、私が今から出ていく社会は人間をあらゆる場面で男か女かのどちらかで居なさいという風に選択を迫ってくるし、その選択の中には自分の自認するジェンダーは無いし、どちらかと言えばこちら(男性)の側にも私は生まれなかった。これからどうしよう、という恐怖ですね。
「これ以上ジェンダー化された空間にいたくない、早く漫画家になって引きこもりたい」と思っていました(笑)。
◆体育祭のフォークダンスで心がズタズタに
スタニング沢村:特に体育祭のフォークダンスが嫌でしたね。参加はしたのですが、それはダンスのパートナーがクラスで一番の美少年だったからなんです。
ものすごく可愛くて「この子と手をつなげるんだったらいいや」と思っていました。でも、いざスカートを履いて踊ったら、心がズタズタに傷ついて、ものすごい痛みを感じました。
――どんなことに傷ついたのでしょうか。
スタニング沢村:私は、「可愛い男の子と手を繋いだ瞬間に、トランスジェンダーという悩みが晴れて、”私の悩みは偽物だった”ということになるかもしれない」という想像をしていたんです。
「女の子になれるなら、それでいいじゃん」と思っていました。でも実際には、「女の子として、人と手を繋ぐことは私には無理なんだ」と痛感しました。
◆自分の性自認が“場”に合っていない
スタニング沢村:言葉にするのが難しいのですが、これはsex(生物学的な性差)の問題ではなく、gender(ジェンダー/社会的・文化的な性差)の問題で、自分のジェンダー自認がこの場に沿っていないから辛いんだと気づいたんです。
スカートを履くことが問題という訳でもなくて、私が周りの人に女性として認知されながら、“皆の前で男女ペアで踊る状態”が無理なんだというのが、自分の中で大きかったです。
2巻の体育祭の回は、佐々田がどういう行動を取るのか、かなり苦心しながら描いたので是非読んでいただきたいです。
◆ハッピーエンドを目指して
――1巻の冒頭に、「ひとりの友達の”変身”の物語です」とあるのですが、今後はどういったことを描いていくのでしょうか。
スタニング沢村:佐々田が、今後トランス(Transform)していくという意味の「変身」もあると思いますし、精神的な「変身」もあると思います。
自分でもまだ先は見えていないのですが、『佐々田は友達』というタイトルの通り、ハッピーエンドを目指して描いていこうと思っています。
<文/都田ミツコ>
【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
1巻のラストでは、佐々田が「男の子として生きていきたい」と思っていることが明かされました。2巻では、浪人生の小野田との友情を温める様子や、オタクの前川と陽キャの高橋の関係性などが描かれています。
今回は、著者のスタニング沢村さんに、男性との友人関係で傷ついた過去や、小野田くんのモデルとなった少年との友情、またトランスジェンダーとして学生生活を送ることの辛さなどについて聞きました。
◆男の子とは友人になれない?
――2巻では、「外見も挙動も変な浪人生」の小野田くんと、佐々田が友情を育(はぐく)んでいきます。どんな思いを込めて描かれたのでしょうか?
スタニング沢村さん:(以下、スタニング沢村)男女を意識しない、性別の関係ない友情を手に入れられることもあるよ、ということを描きたかったんです。どれだけリアリティがないと言われても、この作品を読んで「じゃあ、自分が誰かにとっての小野田くんになろう」と思う人がいるかもしれないので。
あと、個人的に師弟関係という関係性が好きなんです。小野田くんが人生に答えを出したがったり、”師匠になりたい願望”があるところは自分に似ていると思います。
◆性別が友情のハードルになった
――佐々田が小学生の頃に、性別がハードルになって同級生の赤西くんと友達でいられなくなった過去について描かれていました。男女の友情について、沢村さんも同じような経験があるのでしょうか。
スタニング沢村:佐々田と赤西のエピソードは、『女(じぶん)の体をゆるすまで』(小学館/ペス山ポピー)に描いた「ポテト」という男の子との話そのままなんです。
私はポテトとの間に起こったことで、「男の子と友達になるのはやめよう、また同じことになって傷つくかもしれない」と思っていました。
◆長年のモヤモヤが昇華した理由
――小野田くんには、実在するモデルはいるのでしょうか?
スタニング沢村:最近行ったアーティストのライブの打ち上げで出会った子がモデルになっています。浪人生で、まだ20歳くらいなのにすごく自分を持っている少年で、本当に漫画の中の小野田くんみたいな喋り方なんです(笑)。
三島由紀夫のような、文学おじさんみたいな喋りを展開していたんですけど、目立つせいか周りのおじさんに「お前、そんなこと言ってるようじゃダメだよ」と叱られてました。
そばで見ていて我慢できなくなって「私はそのままでいいと思いますよ、今そう思っているんだからいいじゃないですか」と口を出したのがきっかけで仲良くなりました。
連絡先を交換して、「今度遊びに行きましょう!」と最後ガッと握手をして別れたんですが、今でも仲良くさせてもらっています。彼は10個下ですけど、やっと築けた男の子との友情なんです。
◆自身と佐々田の違い
スタニング沢村:彼との友情によって、今まで嫌な目にあったり、私の中で課題を感じていたことが昇華された感覚がありました。出会った日の帰り道は、「すげーいい奴と友達になった!」とすごく嬉しかったです。その経験を元に小野田くんとのエピソードを描きました。
――沢村さん自身は「ノンバイナリー(男性・女性のどちらかに当てはめられることに違和感を感じる人)」であることを公表していますが、佐々田は「トランスジェンダー」なのでしょうか。
スタニング沢村:私は結構揺れているところがあって、ノンバイナリーでも、トランス男性(性自認が男性の人)でもいいかなと感じてます。佐々田は、私よりはしっかりとトランス男性よりだと思います。
◆男女で分けられる学生時代の辛さ
――佐々田が「男の子として生きていきたい」と思いながらも「それを毎秒毎分諦(あきら)めている」と感じていることが印象的でした。沢村さんも同じような思いがあったのでしょうか。
スタニング沢村:ずっとそうですね。自分が生きたいようには生きられるわけがないと思っていました。
――トランスジェンダーであることは、学生時代の方が辛さが大きいのでしょうか?
スタニング沢村:学生時代が私としては一番辛かった、というか、怖かったです。
これから先もずっと、私が今から出ていく社会は人間をあらゆる場面で男か女かのどちらかで居なさいという風に選択を迫ってくるし、その選択の中には自分の自認するジェンダーは無いし、どちらかと言えばこちら(男性)の側にも私は生まれなかった。これからどうしよう、という恐怖ですね。
「これ以上ジェンダー化された空間にいたくない、早く漫画家になって引きこもりたい」と思っていました(笑)。
◆体育祭のフォークダンスで心がズタズタに
スタニング沢村:特に体育祭のフォークダンスが嫌でしたね。参加はしたのですが、それはダンスのパートナーがクラスで一番の美少年だったからなんです。
ものすごく可愛くて「この子と手をつなげるんだったらいいや」と思っていました。でも、いざスカートを履いて踊ったら、心がズタズタに傷ついて、ものすごい痛みを感じました。
――どんなことに傷ついたのでしょうか。
スタニング沢村:私は、「可愛い男の子と手を繋いだ瞬間に、トランスジェンダーという悩みが晴れて、”私の悩みは偽物だった”ということになるかもしれない」という想像をしていたんです。
「女の子になれるなら、それでいいじゃん」と思っていました。でも実際には、「女の子として、人と手を繋ぐことは私には無理なんだ」と痛感しました。
◆自分の性自認が“場”に合っていない
スタニング沢村:言葉にするのが難しいのですが、これはsex(生物学的な性差)の問題ではなく、gender(ジェンダー/社会的・文化的な性差)の問題で、自分のジェンダー自認がこの場に沿っていないから辛いんだと気づいたんです。
スカートを履くことが問題という訳でもなくて、私が周りの人に女性として認知されながら、“皆の前で男女ペアで踊る状態”が無理なんだというのが、自分の中で大きかったです。
2巻の体育祭の回は、佐々田がどういう行動を取るのか、かなり苦心しながら描いたので是非読んでいただきたいです。
◆ハッピーエンドを目指して
――1巻の冒頭に、「ひとりの友達の”変身”の物語です」とあるのですが、今後はどういったことを描いていくのでしょうか。
スタニング沢村:佐々田が、今後トランス(Transform)していくという意味の「変身」もあると思いますし、精神的な「変身」もあると思います。
自分でもまだ先は見えていないのですが、『佐々田は友達』というタイトルの通り、ハッピーエンドを目指して描いていこうと思っています。
<文/都田ミツコ>
【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。