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朝ドラ『虎に翼』34歳俳優の「日本映像史に残すべき名場面」。本作でもっとも慎ましく、美しい瞬間

女子SPA! 2024年8月10日 8時45分

『虎に翼』(NHK総合)で主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)が新潟にやってきてからというもの、判事・星航一(岡田将生)と何だかいい感じだ。

 寅子の粘り強い開心術によって、航一は心を開く。すると第18週から第19週にかけて、航一が過去の秘密を明かす場面がひときわ美しい風景となった。

 イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、アーカイブに残すべきだと感じる雪景色について解説する。

◆音の響きからも表現される客観性

 俳優の演技にとって発声は重要な構成要素である。発声の基礎がなってなければそもそも演技が成り立たない。そのため映像や演劇の学校で演技を学ぶと、発声を訓練するために声楽を受講することがよくある。

『虎に翼』で、最高裁判所初代長官の息子であり、新潟地方裁判所の判事・星航一を演じる岡田将生は、まさに発声のスペシャリストだと感じる。第14週第66回での初登場以来、どの場面でも見事にクリアな発声だが、第18週第88回冒頭が特別素晴らしかった。

 判事たちの執務室。朝鮮人への差別意識が露呈する事件公判について、航一が検察側から新たな証拠が提出される旨を寅子に伝える。長めの台詞だが、ゆるやかな持続と驚異的な安定感の発声によって航一という人物のゆるがない客観性が、音の響きから表現されている。

◆好位置を見定める中音域

 自席から寅子の席に向かってきちんとクリアに届かせ、一音も誤読の余地がないように配慮されている。岡田が演じる役名が航一なだけに、発声にブレがない好位置を見定めるかのような演技ではないかと思う。

 しかもあの美声だ。自分が持つ美麗な音色を丁寧に響かせる。豊かな中音域の幅を最大限広げながら、各場面ごとに自由自在に少しずつ強弱をつけて音色自体の好位置も探る。

 キャリアの転換点になった『昭和元禄落語心中』(NHK総合、2018年)の落語家役や映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の人気俳優役、ちょっと抜けてるが雄弁な京言葉が魅力的だった『1秒先の彼』(2023年)など、近年、『虎に翼』に出演するまでに演じ込んできたすべての役柄が声楽的な魅力に満ちている。

◆航一の思わぬ心境の変化

 客観性を裏打ちする発声の中にもちょっとした主観のニュアンスを混ぜる航一の心の機微は繊細である。

「どうしても被告人側、差別を受けている方たちに気持ちによってしまいます」と吐露する寅子に対して航一は言う。「すべての事件に公平でいるなんて無理ですよ」。航一もまた生身の人間なのだ。

 航一にとって寅子の存在は大きい。私的な気持ちを決して外に出してこなかった彼の心がどんどん開いていく。寅子が東京の家庭局から異動になった新潟篇は、この変化の過程を見つめることとほとんどイコールでもある。

 第87回、航一が足繁く通う喫茶・ライトハウスを手伝うようになった元女中・稲(田中真弓)から、寅子がいかに開心術に優れた人物だったかを聞いて、思わず「なるほど」とつぶやく。声量をしぼりこんだこの「なるほど」は、思わぬ心境の変化に対する本人の驚きを静かに物語る。

◆声をふるわせた「ごめんなさい」の意味とは?

 寅子にとっては明律大学女子部時代からの学友である桜川涼子(桜井ユキ)が営むライトハウスは、常連客の憩いの場であり、航一のゆるやかな変化をリアルタイムで確認できる場所でもある。たとえば、入店してすぐ航一がちょっと視線を動かすだけで、その瞬間の彼の気持ちは筒抜け。

 航一はカウンター席を定席にしているが、この席なら看板メニューのハヤシライスがくるまでの間、隣に座る寅子と涼子の会話に耳を傾けていられる。黙っているだけでも航一は楽しげだ。

 地元の弁護士・杉田兄弟との親交を深めるために寅子が麻雀に挑戦するのも嬉しい。麻雀は航一にとって「拠り所」だからだ。自分の「拠り所」を通じた寅子との交流によって心はもっと開ける。第17週第85回、杉田兄弟の兄・杉田太郎(高橋克実)が主催する麻雀会場面は大きなターニングポイント。

 会合には寅子の娘・優未(竹澤咲子)も参加するのだが、優未をひと目見た太郎が戦死した孫娘の面影を感じておいおい泣き始める。航一はとっさに太郎をぎゅっと抱きしめ、「ごめんなさい」としきりに謝る。

 あれだけ客観的で冷静だった航一が、あまりよく思っていなかったはずの人物を相手に、どうして声をふるわせて感情移入したのか。そこに込められる謝意の意味とは?

◆自責の念から発せられたもの

 さすがに気になった寅子がそのあとの座敷席で航一に「航一さんは戦時中に何か……」とたずねる。すると航一は静かに人差し指を唇にあてて「秘密です」とだけ答える。この短い一言が、「ごめんなさい」と連動しながら、岡田の繊細な発声は極まる。以降、ひとまず棚上げになった「ごめんなさい」の意味については、第90回で明かされる。

 場所はもちろんライトハウス。つっけんどんな判事補・入倉始(岡部ひろき)も連れて入店すると、カウンター席には杉田兄弟が。自分の固定席がうまっていることを一瞥して確認した航一が、少し控えめなしかめっつらをする。実はものすごく素直な人なのだ。

 ならばこの際、すべてを吐き出してしまったらいいのかもしれない。航一が口外せずにひとりしまいこんでいたこと……。第89回ラストの「ごめんなさい」を口火として、第90回冒頭の黒み画面にもう一度「ごめんなさい」が響きながら、ゆっくり息を吐いて語り出す。

 それは彼が、戦時下での総力戦の「本質」を探るために内閣が設置した総力戦研究所の一員だった過去だ。机上演習の結果、日本の敗戦は予測できたのに、日米戦に突入した政府をとめられなかった。だから自分には大きな責任がある。「ごめんなさい」は、「だから謝るしかできないんです」と言う自責の念から発せられたものだった。

◆日本の映像史のアーカイブに残すべき雪景色

 ひと息に話し終えた航一は必死で涙をこらえて鼻をすすりながら「外で頭を冷やしてきます」と言って店の外へ出る。雪が降っている。航一の靴が踏み締める雪の音。コートは片手に、寒々しい冬の外気にひとりつつまれる。

 寅子が様子を見にくる。雪景色の中に立ちつくす航一が「こいつ急にベラベラ喋るなって思いました?」と静かにたずねる。その背中を見た寅子が「馬鹿の一つ覚えですが、寄り添って一緒にもがきたい。少しでも楽になるなら」と言う言葉を聞き終える直前で、航一はがたっと泣き崩れる。静寂をやぶってむせび泣く彼の背中を寅子が優しくさすってやる。ただたださすってやる。不思議と雪がやんでいる。

 週が変わって、第19週第91回冒頭は、店外場面の続きから。航一が立ち上がると、寅子も立ち上がる。寅子のほうを向いて「落ち着きました。ありがとうございます」と頭を下げる。引きの画面。向かい合う二人にカメラがポンと寄る。カウンター席では隣同士で並んでばかりいたから、向き合った画は何だか久しぶりでもある。

 ひとりで背負っていたものを一緒に共有し温められる存在を得たことを確信した航一が聞く。「佐田さん、今度の休日は何を?」。寅子のアップ。「特に予定は」。「ではお会いしに行っても?」と言う航一の意表をつく疑問形に、「えっ、何をしに?」と寅子。航一のアップが写り、「何をしに?」と思わず同語反復……。

 寅子さん、そこは察してあげなさいよ。こういう寅子の鈍さ、明律大学で法律をともに学び、いっときは好き同士のような雰囲気になった花岡悟(岩田剛典)との関係性を思い出す。

 さかのぼること、第6週第30回。女性初の弁護士になった寅子を花岡が祝福する場面でもツーショットから素晴らしい顔のアップが丁寧に抜かれていた。

 そうした類似を思い返しながら、雪がやんだ冬景色にたたずむ航一と寅子を見て、あぁこの瞬間のために毎週見てきたんだなと。実は雪景色を撮影するのは想像以上に繊細な技術が必要なのだ。

 それだけに本作でもっとも慎ましく美しい瞬間を感じた。これは間違いなく、日本の映像史のアーカイブに残すべき雪景色だ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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