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3人息子の母、結婚19年の52歳女優が明かす夫婦関係「夫は“脱ぎ”になろうが人を殺そうが…」

女子SPA! 2024年8月11日 8時44分

 俳優の黒沢あすかさんが、梅沢壮一監督の『歩女(あゆめ)』に主演しました。交通事故で記憶の一部を失った主人公の女性が、生きもののような不思議な“靴”に導かれ、自身の過去にまつわるおそろしい真実を知る新感覚サスペンスで、夫でもある梅沢監督と二人三脚で、これまでにない役柄、作風にご夫婦で挑戦しています。

 黒沢さんはそれまでの固定されたイメージを覆すため、40歳を機に心機一転。子育や更年期を経て50代の今、お芝居に以前のように取り組めている一方、ある名優の助言の真意をようやく理解し始めたとも言います。その時々の感情を色に例えつつ、心境を語ってくれました。

◆年齢と共に変わってきた“炎の色”

――観た人からの感想が楽しみな魅力的な作品でしたが、最初の印象はいかがでしたか?

黒沢:わたし自身エキセントリックな役柄が多いものですから、それはもう得意分野なんですよね。でも今回はそうじゃない、感情が凪の状態で最初から最後まで演じ切る役柄でした。そういった役をやらせてもらえることは、うれしいだけではなかったですね。チャンスを与えてもらえたのだから「よし、わたしも向き合おう」と覚悟をもって臨んだ作品でした。わたしが演じるユリのことを考えながら同時に、全体を見なくちゃいけないのだと思わされましたし、俳優としての芽生えを与えてくれる作品だなと思いました。

――梅沢監督も得意のホラー要素を変えるなど、ご夫婦で新しい挑戦をされました。

黒沢:わたしは俳優を40数年、梅沢は特殊メイクアップアーティストを長くやっています。ひとつのことをやってきたふたりが、ともに団結することは面白いなと思いました。進化しなければそれぞれの世界で生き残っていくこと、あるいは必要とされることが無くなることになりますが、自分の要素を全部消したら黒沢あすかではなくなる、梅沢壮一ではなくなると思うんです。面白いところに互いを重きを置いて生きているなとは感じました。

――もともとご自身でも変化を望まれていたのでしょうか?

黒沢:わたしはこのとおり「行くぞ!」というタイプですが、年齢とともに炎の色が変わってきているんですね。この世界に入り、40歳手前まではマグマのような赤い炎だった。猛スピードで走るように猪突猛進していました。俳優としてユリのような凪そのものにはなれないけれど、そういう自分を表には出さないようにして俳優業を続けていくというように、自分の中で気持ちやスタンスがスイッチしてきた。これが年齢を重ねた、ということなのでしょう。

◆『冷たい熱帯魚』で演じたエキセントリックな役

――マグマの時期は、映画で言うと『冷たい熱帯魚』の頃でしょうか。

黒沢:はい。あの時が赤のピークです。あの作品をきっかけに、エキセントリックな役はやり切ったな思いましたから。だからすべてをやります、集大成という意味で取り組みました。それが『冷たい熱帯魚』でした。その後は、ようやく今は普通のお母さんの役であったり、そういう色を出せるところまで来れた。導いてもらった意識はすごくあります。

――ちなみに今の炎の色は?

黒沢:ブルーのような紫のような感じです。もしくは紺に近いかも知れません。若い頃もそうでしたが、自分の感情がだいたい色で出てきます(笑)。

◆結婚20周年を控えて

――来年は結婚20周年だそうですが、振り返ってみてどのような歳月でしたか?

黒沢:梅沢は「俺は黒沢あすかと結婚する」と最初に言っていました。今、その言葉に嘘はなかったと感じます。わたしが仕事がないときは奥さんとして母として務め、あるいは親戚付き合いをしてくれてありがとうと伝えてくれました。

黒沢あすかとしての仕事が来たときは、脱ぎになろうが人を殺そうが、「どんどんやってきて」と。だからちゃんとバランスよく生きさせてもらっているなと。そういう20年でした。

――私生活では更年期が大変だったと、以前女子SPA!でもインタビューでお答えになっていましたが、パッと解消されたそうですね。

黒沢:仕事でも人生でも新しい道を切り開こうと考え始めてからは、自分が何気なく観ていたテレビ、何気なくスクロールしていたスマホのSNS、いろいろなところから「あ!」と思えるヒントなり、答えに巡り合えるんですよね。そうすると、それをやってみよう、試してみようという方向に導かれていくことは、多々ありましたね。

◆生きることには“はてな”が大事

――ヒントや正解が転がっていることに気付けなかったわけですね。

黒沢:きっとそうだと思うんです。向こうのほうからやってくる感じですかね。「ほら、こんなのもあるよ」みたいな。自然と自分の前に出てくるんです。もちろんそこに至るまで答えを知りたい、知りたいとさんざんあがいてるのですが、次の段階では向こうからやって来る。切り開いていくと、こういうことになるのかなと。

――待ってるだけではダメなんですね。自分から探しにいくことが何より大切だと。

黒沢:なので常に生きることには“はてな”が、なんだろうと疑問に思うことが大事なんだなと。自分の内側だけでなく、外側に興味を持つということが大事ですね。単に年齢を重ねていくと、まわりはどうでもよくなって、自分の内側に籠りやすいなと感じます。世の中は動いてるのに、わたしはこれが好きだだからいいやとなりがちだけれど、外のいろいろなことに興味を持って、飛び込んで行く必要はありますよね。特にこの世界にいるのではあれば、なおさら必要だなと思います。

◆子育ても終わりにさしかかり、仕事に集中できるように

――いろいろな意味で節目を感じる現在を経て、この先、どのように過ごしたいと考えていますか。

黒沢:梅沢はこの作品を特殊メイクの仕事の合間に作っていたので、できあがるまでに2年かかっています。今、新しい台本を書いていると言っていますが、あの人はどういうタイミングでわたしのところへ持って来てくれるのかなという気持ちでいます。ただ、それにわたしが入っているのかどうか、実は特に意識していません。梅沢の作品作りに関しては、彼がこの先も作り続けるのであれば、どのような形でも応援したいと思っています。

――母としてはいかがでしょうか。

黒沢:息子が3人いまして、一番下の三男は高校2年生ですが、手のかからない子なんですね。ですから自分の仕事に集中できていますし、若い頃のようなセリフ覚えもよみがえってきています。ただ、お声がかからなければ現場には行けないわけですから、若い頃のように「仕事来い来い!」ではなく(笑)、自分の人生をしっかり生きることによって、お仕事の話を手繰り寄せられるのではないと、今は思います。

――なるほど、俳優と母親と分けて考えるのではなく、毎日をきちんと生きるということ。

黒沢:そうですね。日々をちゃんと生きていくといことが大事かと思います。ただ、ひとつ欲を言わせていただくとすれば、「大河ドラマに出たい」という子どもの頃からの夢があるので、何年かかっててもいいから呼ばれたいですね。

あとは老婆を演じてみたいです。お母さん役や中年の女性役には挑戦したので、後は何ができるかというと老婆役があるんです。もしくは、この世の生きものでもないものに取り組めたら面白いなと思っています。

◆柄本明からの助言に「50を過ぎて難しいと感じるように」

――ちなみにその頃は、炎の色は何色になっているでしょうか。

黒沢:今度は白に近いような気がします(笑)。

――達観にも似た境地かも知れないですね。そこにいたるように、日々大切にしている考え方はありますか?

黒沢:柄本明さんに、ただそこにいることだと、教わったことがあります。あることがきっかけで、18歳の頃に教わったんです。俳優はただそこにいる、ただセリフを言う、ということ。これって、すごく難しいんです。若い頃は意識をしていなかったけれど、50歳を過ぎたら、難しいと感じるようになりました。今、一生懸命にやっていますが、難しいということに行きつくんですね。時間がかかってもいいから、その老婆という役柄を通して、ただそこにいられたら、自分が白くなれたらと思っています。

簡単に言うと、「あしたのジョー」のジョーが白くなっているじゃないですか(笑)。あんなふうに、ただそこに自然にいる俳優に到達できればいいなと思っています。

<取材・文/トキタタカシ>

【トキタタカシ】
映画とディズニーを主に追うライター。「映画生活(現ぴあ映画生活)」初代編集長を経てフリーに。故・水野晴郎氏の反戦娯楽作『シベリア超特急』シリーズに造詣が深い。主な出演作に『シベリア超特急5』(05)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)などがある。現地取材の際、インスタグラムにて写真レポートを行うことも。

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