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43歳で出産。あやまん監督「私の芸は子供に悪影響」と悩む日々…救ったのは夫の一言だった

女子SPA! 2024年8月21日 8時47分

 2010年頃「ぽいぽいぽぴー」というフレーズで一世を風靡した、あやまんJAPAN。表舞台から消えたかのように見えていましたが、現在もイベント会社として活動中。そしてチームのリーダーであるあやまん監督は、昨年2月に男児を出産しました。

 30代で突然芽生えた子供がほしい願望と、恋愛とは程遠かった私生活での苦しさ、40代で味わった妊活の苦労など、ひとりの女性としての葛藤を伺いました。

◆30代で突然「子どもがほしい」周りを見て落ち込む毎日

――結婚、出産をいつごろから考えるようになったのでしょうか?

あやまん監督(以下、監督):高校卒業後、群馬から上京し毎夜のように試合(※合コンのこと)をしていた20代は彼氏もいなかったし結婚願望もなかったんです。10代で付き合ってた彼氏と別れてからは10年間、彼氏がいませんでしたし。でもテレビに出ていた35歳くらいから、突然“いつか結婚して子供がほしい”という思いが芽生えたんですよね。

――なぜ、願望が芽生えたんでしょう?

監督:なんでしょう。遊びたいという欲が20代で完全に満たされたんでしょうね。30代に入ると地元の友達は結婚して出産してる人が多いですし、特に30代中盤でさくらだ(ファンタジスタさくらだ)が結婚と妊娠でメンバーを脱退した時は、喜んで送り出す気持ちがある反面、言いようのない焦りと煮詰まり感がありました。でも会社設立したりと仕事は頑張らなきゃいけないしで毎日しんどかったですね。

街を歩けばお子さん連れの家族とかカップルを見かけて、「それに比べて私は…」と落ち込んでいました。気持ちは沈みながらも、毎日やらなきゃいけないことを必死にこなしていく日々でした。

――そんな中で、今の旦那さんと出会ったのですね。

監督:39歳の時、仕事で知り合いました。これまで私が六本木界隈で戦ってきた魑魅魍魎のようなパリピ男ではなく、テレビの制作関係のお仕事をしている会社員で。彼とは交際1年ほどで同棲生活が始まったんです。

――付き合っていくなか、監督の「子供がほしい」という願望も話したのでしょうか。

監督::いえ、実は旦那さんは12歳年下なんです。そんな年上女性から「子供がほしい」と言われたら怖いだろうし重たいだろう思い、言えずに2年ほど過ごしました。それで不妊治療の助成金適応の条件が「43歳までに治療を始めること」ということを知り、言うなら今しかないと。

「そろそろ時間が迫っているのだけれど…子供は出来ればほしい?」と聞きました。彼は私を尊重してくれる人なので「チャンスがあるならやってみよう」と不妊治療にも理解を示し協力してくれました。

◆42歳で不妊治療を開始。保険適用外で200万以上も

――その後、すぐに不妊治療を開始したのですか?

監督:妊娠の前にまず子宮と卵巣の検査をしました。すると仮に妊娠した時に胎児の成長に影響が出るくらい大きい筋腫が19個もあり、その筋腫の摘出手術をすることに。その術後の痛みが凄まじく、もう二度と体験したくないくらいです。その後、ようやく不妊治療を始めました。

――数ある治療の中でどんな方法を試したのでしょう。

監督:私は始めたのが42歳だったので、先生から「時間がないからできる限りの治療をしましょう」と言われました。タイミング法や体外受精などは行わず、最初から顕微受精を行い、同時に着床率を上げるための特別な検査もプラスして。すべて保険適用外で200~300万円ほどかかりましたが、結果的にそれで授かれたのでよかったです。

――治療を始めてみていかがでしたか?

監督:ホルモン剤を毎日、自分でお尻に注射するのが怖かったです。打つ時間が決まっているから、時には営業先の控え室や出先で打っていました。出先でお尻出して注射するのはなかなか勇気がいりますよね。家で打たなければいけない時は、旦那さんに「集中できないからあっち行って!」と言ったりして。

私は仕事のスケジュールを自分で管理できるから、毎日の通院や急な来院も対応できましたが、フルタイムで働いている方などは難しいのではと思う治療スケジュールでした。出生率をあげるためにも、妊娠を望む方の願いを叶えるためにも、育休だけではなく、不妊治療に対する休暇や半休など、職場の理解が深まると良いですよね。

◆「私の芸は子供に悪影響では?」と悩んだ日々

――出産後、子育てと仕事の両立はできていますか?

監督:夫の帰宅時間が遅くほぼワンオペ状態ですが、仕事のペースとしては今が一番、良い精神状態と環境でやらせていただいています。平日は子どもを保育園に預けているんですが、先生は私のことを知っているはずなんですけど、気遣っているのか言ってこないんですよね(笑)。よく話すママ友は中国の方なので、私のことを知らないみたいです。

――自ら言うのも変ですよね(笑)。あやまんJAPANの過去やこれまでや今の活動と子育てをどう意識されていますか?

監督:子供を授かってからも産んだ後も、ずっと「私がしてきた下ネタ芸は子育てに悪い影響を与えるのではないか」と考えていました。

でも今年4月にドキュメンタリー番組『解放区』(TBS系)に密着していただいた時に、夫が「あなたは人を楽しませてきただけで、誰も困らせたり苦しめたり責めたりしてない。何も思い悩むことはない」とはっきり言ってくれたんです。それで私の中でもスッと心が軽くなった気がしました。

◆「人を楽しませるお仕事だよ」と話せるように

――それは心強いお言葉でしたね。

監督:はい。息子も最近「ぽいぽいっピィ」みたいな言葉を発するようになって。教えたわけじゃないんですけど。お腹の中で聞いていたとしか思えないです(笑)。

今後、息子に「ママはどんな仕事してるの?」と聞かれたら「人を楽しませるお仕事だよー」と言おうと考えています。ほかにも、あやまんJAPANについて聞かれたら、成長と共にゆっくりと答えていく予定です。

◆高齢ママは顔芸を極めるべし!

――昨今は監督と同世代の高齢ママも多いかと思います。そんなみなさんにメッセージをお願いします。

監督:顔芸を極めるべし、ですね! やはり何が大変って体力が追いつかないことだと思うんですね。私も子供と遊んだり構ってあげるにも動くのが、もーしんどい! なので私はとにかく顔芸で子供を笑わせています。顔芸なら座ったまま出来るし、顔筋トレーニングにもなって一石二鳥です。

――確かに(笑)。

監督:高齢出産は産後の身体のしんどさも若い人に比べたら大きいし、産後うつなどのメンタル問題もあるのに加え、更年期も重なりさらにしんどい人もいますよね。私も更年期なのかPMSかわからないですが、理由もなくカッカッとイライラに襲われて漢方を処方してもらいました。同世代のみなさんには、子供も大事だけど自分も大事に…とお伝えしたいです。

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 子育てでてんやわんやしながらも、ふとした幸せを感じたい。そう穏やかに笑うあやまん監督はおだやかで、パフォーマンス時とは別の顔だったのでした。

<文/河合桃子、写真提供/あやまん監督>

【河合桃子】
1977年、東京都生まれ。男性週刊誌の記者をしながら、気になった女性ネタを拾って書いたりしてます。2児を育てるシングルマザーでもあります。

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