Infoseek 楽天

『海のはじまり』の有村架純、また無用に傷つく。心から笑える日が来るよう願う理由

女子SPA! 2024年8月19日 15時45分

相手のことを知らずに「妄想頑張りすぎ」(by水季)の人たちによる認識のズレが他者を傷つけていく。

月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時~)の第7話では、第6話で少しはほっこりしたかと思いきや、再び人間関係がギスギスしてきたような……。

◆コロッケがこんなにも切ない思い出であったとは

海(泉谷星奈)が好きだというコロッケを弥生(有村架純)が作る練習をしていたほっこりエピソードも、苦い思い出の底に沈んでしまったからびっくりである。コロッケがこんなにも切ない思い出であったとは。

冒頭の回想では、水季(古川琴音)が海を連れて夏(目黒蓮)の部屋を訪ねると、弥生と出てくる夏を目撃し踵(きびす)を返す。態度の急変の理由を、コロッケの安売りの時間だからと咄嗟(とっさ)に誤魔化す水季。コロッケはスーパーで安くなっているときのみ購入するシンママの経済事情と、別れた恋人に新しい恋人がいたことを知った二重苦の象徴だった。

そして現在。水季の四十九日が過ぎ、もうすぐ納骨が行われる頃。それまで南雲家に遺骨が置かれて、一緒に過ごしていたわけだが、ここからは亡くなった人はお墓に入り、すこし遠く離れることとなる。

死をリアルタイムで見つめる悲しみをまだ夏は知らない。それを知っているのは、津野(池松壮亮)である。でも納骨に津野は来ない。家族ではないから。独身の津野が、スーパーのコロッケを皿に入れ替えずパックのまま食べようとしている様子も物悲しかった。

かつて、図書館の仕事で知り合った水季が、ひとりで子供を生む事情を知って、津野は手を差し伸べた。傍(はた)からはいい感じに見える水季と津野と海だが、水季は津野を海の父親にする気はない。ある意味、好意の利用に「最低です」と一応、反省はしているのだが……。

津野は誠実なあまり、夏のことを誤解して責めるようなことを言うが、「妄想頑張りすぎです」と水季は、何も知らないのに余計なことを言うなというように反発する。実際、彼女の勝手な判断で問題がこんがらがっていることなので、津野に悪く思われる夏もお気の毒である。

◆水季は海と少しでも長くいることを選択

そうこうしていると病気が発覚し、水季は世の中には自分で選べないことがあることを思い知らされる。人間は生と死を選ぶことができない。

何事も自分で決めて、その決断に自由でありたいと考えてきた水季だから、その事実には絶望しかないだろう。自ら死ぬ人の気持ちが少しわかる水季は、治療して治らなかったことを憂慮して、治療しないことを選択する。ある意味、自ら死を選んだのだ。

視聴者としては治療して死に抗うことを選んでほしかったが、水季は海と少しでも長くいることを選択する。医学上治らない可能性が高い認識のうえのことなのか、「妄想頑張りすぎ」ているのか、どちらだろうか。

みかんのヨーグルトがなかったらほかの選択肢はないという水季と、みかんのヨーグルトがなかったらみかんとヨーグルトを買ってくる津野の判断。津野のような判断もあるのに水季の頑(かたくな)さがつらい。けれど、か弱い人間なりに必死に考えた結論かと思うとなにも言えなくなる。

◆水季が泣く場面だけブルーが目につかない

死を前に準備する水季は、朱音(大竹しのぶ)に海のこれからを託す。達観しているのかと思えば、死ぬのが怖くなったと朱音にしがみついて泣く。

この場面は少しだけいつもと違って見えた。ブルーを基調にした画作りをしている『海のはじまり』が、この場面だけブルーが目につかないのである。水季の服も朱音の服もグリーンで、部屋の端の植木の緑が印象に残る。

そこから場面が変わり、津野が水季の死を知らせる電話を受ける場面も木々の緑に彩られている。津野のシャツが薄いブルーではあるがそれもあまり気にならない。

『海のはじまり』のブルーの世界はどこか幻想的であり、生々しい死の認識にはそぐわない。緑という生を感じさせる色彩のなかに死を配置したのは、第4話から2度目の登板・ジョン・ウンヒ演出だ。抱き合う大竹しのぶと古川琴音の表情、胸をさする池松の仕草にも陰影があった。

水季が亡くなり部屋の整理の手伝いに来た津野に、家族でやると朱音は拒否する。そのとき、視聴者は水季の部屋こそ最もファンタジックなブルーに彩られていたことに改めて気づくだろう。

まるで、このブルーの連なりは、水季の必死で孤独な頑張りを物語っているようでもある。透明感のある青は、悲しみや憂鬱を美しいものにする。きれいな涙の色。ブルーを使わない場面を挟んだことによってブルーの意味がいっそう強く迫ってきた。

◆夏が気を利かせるときはすばらしい気づかい

納骨の日は黒。海は遺骨の横にハマったようにちょこんと座り込み、遺骨入れに静かにしがみつく。ここでは誰ひとり激しい感情を誰も出さない。

納骨のあと、抜け殻のようになった海に、たぶん遺灰の入っているであろうネックレスを「水季」といって差し出す。「ママちっちゃい」と慈しむ海。

夏は、実家で、義弟・大和(木戸大聖)が小さな亡母の遺骨入れをお守りにしていることを知って、海にも何かお守りを贈りたかったのだろう。いつもなんもしてないような夏だが、気を利かせせるときはすばらしい気づかいを見せる。

水季のお墓参りに、海と夏は弥生を誘って出かける。そこで弥生が着ているのはブルーのブラウスだ。弥生のもやもやした心情を表して見える。

◆弥生は、また無用に傷ついてしまった

先に来ていた津野と弥生が一緒に帰り、かつて海を水季が連れて夏に会いに行ったとき、弥生がいたから、会わずに帰った事実を知らされた弥生は、また無用に傷ついてしまった気がする。

津野に、必死さを指摘され、行動を雑に「母性」で片付けようとされたうえ、水季にちょっと似ているとまで言われ、ひとつひとつは小さくてもあっちこっち斬りつけられているみたいなものだろう。

津野は津野で傷ついているが、悪気なく(むしろ良かれと思って)他者に踏み込み過ぎて、余計なことばかり言っている。唯一、「あの人(夏のこと)、水季、水季 うるさいですよね」だけは、弥生の共感を得たようだ。弥生と津野が心から笑える日が来ますように。

<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

この記事の関連ニュース