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目黒蓮も主人公も逆境を乗り越えてほしい『海のはじまり』実父にだけ吐き出した“つらさ”とは

女子SPA! 2024年8月26日 15時45分

「海ちゃんのパパ、はじめようと思う」

月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時〜)の第8話には夏(目黒蓮)が実父・溝江基春(田中哲司)と再会したことをきっかけに、海(泉谷星奈)を認知することを決意する。

◆心の距離はカメラのズームのように近づいたり離れたり

夏の父は元“春”。夏が3歳のとき離れた父とつなぐものは一台のカメラだった。そのカメラを使って、かつて夏は水季(古川琴音)を撮っていた。いまは海を撮っている。

海と過ごした1週間の夏休みの間、たくさん写真を撮った。南雲家から自宅に戻った夏は海との思い出の写真の数々を眺める。写っているのは海の後ろ姿ばかり。娘を後ろから見つめるその距離は見守るという優しさもあるだろうし、まだ少し距離があることの表れでもあるかもしれない。このように第8話は距離がフォーカスされていたように感じる。

距離の例を挙げると、夏と弥生(有村架純)がスーパーに買い物に行ったとき、海に好き嫌いがないわけを「水季さんはちゃんと(海に)食べさせていたんだね」と認識したあと、弥生は立ち止まる。気づかず前進していく夏と弥生の距離がすーーっと離れていく。

これは『海のはじまり』で何度も描かれている疎外感にほかならない。ほんのちょっとしたきっかけで人と人との心の距離は近づいたり離れたりする。カメラのズームの動きのように。

◆「おまえほんとに俺の子?」開く父との距離

夏休みに自分の実家や妻の実家に孫を見せに行かないといけないとこぼす会社の同僚・藤井(中島歩)の影響か、夏は父・基春に孫を会わせることにする。

3歳のとき以来会った父は、穏やかで紳士的な夏とは違ってなんだかすごく粗野だった。アイスコーヒーをアイコと呼んだり、お店でやけに大きな声で話したり、これまで『海のはじまり』に出てきた登場人物たちとはあからさまに世界の違う人だ。でもその違いが夏の心に作用していく。

余計なお世話だが、母・ゆき子(西田尚美)はなんだってこの人を選んだのか。まあ離婚したのだからそういうこととは思うが、基春はことごとく夏の期待に応(こた)えない。「写真趣味だったんですか?」と夏が聞くと「趣味は釣り、競馬、麻雀」と返す。「(釣りや競馬や麻雀)やる?」「やらないです」「おまえほんとに俺の子?」とどんどん距離は開いていく。

挙げ句、海の名前をへんな名前などと言う。当人の前で。あまりのデリカシーのなさに耐えられなくなった海は、大和(木戸大聖)を呼び出し、海をいったん預け、父とふたりきりになる。

大和がいてくれてよかった。ここは弥生ではないだろう(話が複雑になってしまうだろうから)。でも電話して大和が出なかったらどうするつもりだったのか。

◆離れていた実の父に会うのが悲しいシチュエーションである皮肉

ふたりきりになると、海も夏の子ではないだろうと、女性を悪く言う基春の無神経さに夏は思わず椅子を蹴って大きな音を立ててしまう。

いつもひたすら穏やかな夏が、あとで海にまで「こわい」と怯えられてしまうほどの激情を表に出すなんてちょっとショックではある。が、自分が父になってみて、実の父に会ってみようと思ったら、ひどい態度をとられたのだから無理はない。

離れていた実の父に会うということは、海と夏の状況を同じであり、それがこんなに悲しいシチュエーションであることは皮肉めいている。

「パパってあだ名みたいなものでさ、みんな違う人なんだよ」と大和は達観したことを海に語る。彼の場合は実母が亡くなったあと父・和哉(林泰文)が再婚して、母がふたりになった。いまの母ゆき子と仲は良いけれど、実母といまの母の呼び方をこっそり変えていて、彼には彼の葛藤があるのだ。

凹んだ夏は、弥生に父と会った話をする。彼女は親とうまくいってない経験者として理解を示す。そんな弥生をまた無用に傷つける夏(もはやコーナー化)。

遺灰が入っていると知らず、ネックレスを遊ぶときには危ないから外そうとした弥生に「やめて!」ときつい声を出してしまった。ハッとなりながら、ずっといられてよかったねと、海に向き合う弥生は、ただただやさしい。

◆基春から夏に受け継がれたカメラ

さて、基春は、夏に愛情の欠片もないように見えて、その後、かつて行きつけだった新田写真館に顔を出し息子を気にする素振りを見せていた。顔見知りの新田良彦(山崎樹範)は基春が釣り堀で待っていると伝える。

そこで、基春は少し本音を話しだす。釣り、競馬、麻雀に興じる基春(腕には金運のお守りタイガーアイらしい数珠ブレス)にもフィルムカメラのような文化的趣味を持っていたのかと思えば、トイレに行くたびにくっついてくるような幼い夏がおもしろくて、写真に撮ろうと思って買っただけのものだった。デジカメでよかったのにフィルムカメラをうっかり買ってしまったのだと。

基春から夏に受け継がれたカメラは、90年代、バブル期に発売されておしゃれで人気だったコンタックスContax T2 である。高級なCarl Zeissのレンズが売りだった。

基春はカメラ量販店の目立つところに置いてあって、見た目も性能も当時、ダントツだっただろうから、つい大枚はたいて買ってしまったのだろう。チタン製のボディとか男性が惹かれそうなガジェット。いわゆるモテ機である。

◆父に誰にも言えなかったことを吐き出す夏

久しぶりにカメラを手にした基春は、息子をレンズ越しにのぞくが、シャッターを切れなかった。

場所を移動する基春を追っていく夏。一定の距離を置いてずっとついていく夏は、海(sea)で夏にどこまでもくっついてきた海のようだ。夏と海、夏と基春。父と子の行いをリフレインする。ただ、いつだって夏が誰かの背中を見ている。

夏の話に基春はテンポよく合いの手を入れる。田中哲司は、他人事のように振る舞いつつどこか近しい関係性を反応とリズムで表現している。父の調子のいい合いの手に乗せられるように夏は誰にも言えなかったことを吐き出す。

「みんな悲しそうで 俺よりつらそうで、でもたぶん、みんなほんとに俺よりつらいから、しかもやさしいから、言えない、こういうの言えない。怒ったりわがまま言ったりその人たちより悲しそうにできない。俺だって悲しいのに(後略)」

まさに先述した弥生のような態度に、夏は夏なりに傷ついていたのだ。やさしい人たちが悲しんでいるのを目の当たりにするしんどさを基春はわかってくれた。そしてしんどくなったら「連絡しろよ」と言ってくれる。基春なりの父らしさである。

彼は彼なりに、レンズ越しに見ていただけで、子供の何もわかろうとしていなかったことを反省していた。そして、彼なりに、海の前で椅子を蹴っ飛ばさなかったことを褒める。それはただ夏がおもしろさで海を見ているだけでなく、父としての意識があることへの評価であった。

◆「海ちゃんのパパ、はじめようと思う」と前向きな夏

しんどさも、父として夏なりに考えていることも理解してもらえたことがどれだけ夏にとって大事であったことだろう。父の前では唯一感情を出せてよかったが、ただし、暴力的な感情が噴出したことはちょっとこわい。

別のドラマであれば、夏のカラダに基春の粗野でギャンブル好きで忍耐強くなさそうなDNAが流れていることを意識し、いつかそれが発動してしまうのではないかと不安を覚える、あるいはほんとうに夏の別の一面が出てしまうなんて展開もありそう。でも『海のはじまり』ではそれはないであろう。

夏が実家に帰ると、やさしい父母がビールを差し出す。「親になろうと思う」と言うと、彼らはあっさり受け入れて、ビールで乾杯。目黒蓮、さすが、ビールのCMふうな雰囲気が似合う。

自分も基春のようになることを怖れるのではなく、むしろ「海ちゃんのパパ、はじめようと思う」と前向きな夏。誰にも言えないことを言える相手が見つかって逆に背中を押してもらえたのかもしれない。

でもこれでハッピーエンドにはまだならない。父になろうと考える夏に、朱音(大竹しのぶ)は水季の遺言?を手渡す。またまた不穏である。

◆「こわいですねえ」と言う津野がこわい

そこには「夏くんの恋人へ」と書かれた一通が入っていた。手紙を渡された弥生は、津野(池松壮亮)に頼る。「こわいですねえ」と言う津野がこわい。なぜなら「恋人へってやつ」と津野は手紙の存在を知っていたから。

でも津野に頼る弥生もなんだかなあという気もしないでない。津野くんって誰にでも利用されてしまう人なのだなあ。

語らう津野と弥生の座る距離がまた絶妙な離れ具合であった。

「本音言えなくなってます」と夏のしんどさに弥生は気づいている。彼女がどんなに夏を好きでも、自身がまとう優しさと悲しさと生きづらさが夏の本音を封鎖してしまっているのだ。

やさしくて悲しい人たちの前で夏が壊れてしまうときが来てしまわないかやっぱり心配だけれど、そこを乗り越えるのがこのドラマの真骨頂なのではないだろうか。

目黒蓮が体調を崩して、1週、本編の放送が延期になった。逆境を乗り越えてほしい。

<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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