有村架純は別れの場面が似合いすぎる。
月9『海のはじまり』(フジテレビ 月曜よる9時~)第9話は有村架純が菅田将暉とW主演したヒット映画『花束みたいな恋をした』(21年)と双璧を成すほどの“別れ”のドラマになった。
◆夏と弥生の馴れ初めから別れまで
夏(目黒蓮)と弥生(有村架純)が別れてしまった。やっぱり弥生は夏と海(泉谷星奈)と3人では気がすまなかった。そして、その行動に背中を押したのは水季(古川琴音)からの「夏くんの恋人へ」という手紙だった(他局の『南くんが恋人?』(テレビ朝日)を意識している?)
特別編の水季(古川琴音)と津野(池松壮亮)のかすかな恋とその終わりに続き、第9話は、夏と弥生の馴れ初めから仲良くなる過程、そして別れまでが描かれた。
弥生の会社に営業に来た夏は仕事が終わった日に弥生を誘う。見た目はいいけどしゃべると残念と言われてしまうような夏だが、意外と積極的。営業先の担当者(弥生)のケータイにいきなり「このあとご予定ありますか」と誘ってしまうのはありなのでしょうか。
まあ、対外的にはありじゃないとはいえ、個人の思いは止められないものなのであろう。弥生が夏に「なにより優しい」と好感触だったから。
出会いは夏、季節はすぐに冬になり、夏と弥生は手をつなぐまでに。この手つなぎが後半、効いてくる。
◆夏と海の前でニコニコ、いい人を演じ続けているみたい
夏と弥生の出会いの回想のあとは現代。弥生は夏と海と3人でお買い物。お母さんに間違われたりして。回想では、弥生は子供に優しくて、迷子や待ち合わせの場に偶然居合わせた子供と仲良くおしゃべりしている。子供に合わせるのは苦手な夏に「子供あつかいしてないから」と好意的な見方をする弥生。
あの頃はいつかふたりの子供が生まれることをかすかに想像していた。それがいま、ふたりの間に幼い子供がいるものの、それは弥生の子供ではない。
想像していた家族とは違う形に、弥生は徐々に徐々にしんどくなっていく。特別編で津野が感じた、必ず間に海がいないと成立しない関係と同じものを弥生は感じているようだ(期せずして特別編があったことで弥生の気持ちがより伝わってきた。手を握る・つなぐモチーフも呼応している)。
ずっと気持ちを我慢して夏に言わないようにして、彼と海の前でニコニコ、いい人を演じ続けているみたい。弥生は背筋をのばし、口先だけで行儀良さそうにしゃべっていて、本音が見えない。『虎に翼』(NHK)的にいうと「すんっ」とした感じ。それがどんどんエスカレートしていく。でも「別れたい」「別れたくないよ」とまだぎりぎり保っている。
せっかくふたりでご飯(ラーメン)と思っても、海と3人でと言われ、仕事があると嘘ついて断ってしまう弥生。薄々気づいている夏は弥生の部屋を訪ねる。が、結局そこで伝えるのは、弥生の辛さはわかりながらも海の母になってほしいという甘え。ここはなんだか、正妻はいるけど、君が好きなんだと粘っている場面みたいにも見えてしまった。
◆弥生と水季の皮肉なつながり
弥生は悩んだすえ水季の手紙を読んで、心を決める。
「誰も傷つけない選択なんてきっとありません。だからといって自分が犠牲になるのが正解とも限りません。他人にやさしくなりすぎずものわかりのいい人間を演じず、ちょっとずるをしてでも自分で決めてください。どちらを選択してもそれはあなたの幸せのためです」
この文面、水季が「ちょっとずるをしてでも」自分の幸せのためにやさしいふりして弥生に別れを決意させたとも見えるし、いまの無理している若い人たちへのメッセージのようにも見える。
皮肉なのは、水季が中絶をやめて、海を産み海ファーストで生きることを選ぶ背中を押したのが、弥生は産婦人科のノートに書いたメッセージだったことである。弥生のメッセージで海が生まれ、水季のメッセージで弥生は海の母になることをやめる。因縁(いんねん)を感じさせる繋がりがやっぱりややホラーっぽさを醸(かも)す。悪く考えれば、水季が弥生に海と別れる呪いをかけたみたいにも思えないことはない。
◆有村架純の別れぎわの演技は最強である
弥生は、最後を覚悟して、夏の部屋を訪問。その日は雨。はじめて会った夏の日は雨があがって蒸し暑い日だった。
海にあげるものを夏に手渡しながら、いろいろ話す弥生。終わりのときはもう間近。高野舞(はしごだが)演出は俳優に劇的なアクションをさせることなく淡々とした会話のなかの感情の流れを丁寧にじっくり追っていく。
感極まった弥生は海にあげようと買ったイルカのぬいぐるみで涙を拭(ぬぐ)う。海に弥生の涙が染みたぬいぐるみが手渡されると思うと、これもまた怨念ぽい。
「海ちゃんのお母さんにはならない」という弥生。
「海ちゃんを選ぶ」という夏。
部屋を出たら終わり。「ふたりでドアを閉めて~♪」と古い歌を思い出してしまったが、夏は駅まで弥生を送り、終電過ぎるまで駅(経堂)のベンチでおしゃべり。部屋を出てからずっと手を握ったまま。
このときの弥生は「すんっ」としていない。じつにナチュラルなしゃべりかたで、テンポが早く、声もやや低く、語尾に力が入っていない。これだよこれ、いつもこれでいて、と思う。
このしゃべりかたは、じつに久しぶりになんでもない話をした表現なのだろう。それだけ弥生はずっと気を使っていたのだろう。恋人にもこんなに気を使って素が出せないものなのかと思うと恋愛って面倒だなと思う。
なにげない話をしたのちに終電がホームに滑り込んでくる。きっぱり別れることのできない夏。ほんとは弥生だってつらいのだ。でも「がんばれ」と突き放し、電車に乗ってしまう。
有村架純の別れぎわの演技は最強である。そういえば、大河ドラマ『どうする家康』でも家康(松本潤)のために自ら命を絶つ瀬名(有村)は夫を突き放していた。あれも涙なくしては見られなかった。痩せ我慢は男の美学のように思うが、有村架純は痩せ我慢の美学を体現している。やんわりとハードボイルドなのだ。
◆目黒蓮のフェイスライン、よけいに悲劇的に見える
一方、第9話では、やっぱり病み上がり(?)の目黒蓮に注目したい。たった一週空けただけで、顎(あご)のラインが変わった気がする。もともとしゅっとした面長フェイスがひとまわり細くなった気がしないでない。だからよけいに、悲劇的に見える。
お互い嫌いじゃないのに別れなくてはならない悲しみを全身で背負う夏。
女性が望まない妊娠をした場合、身も心も大きなダメージを被ることに対して、男性はそこまでのリスクを負うことがないと、ドラマのなかでも語られていた。第5話、「男だからサインしてお金出してやさしい言葉かけて、それで終わり。からだが傷つくこともないし。悪意はなかったんだろうけど。でもそういう意味なの。隠したってそういうことなの」とたったひとりで生んで育てた水季のことをゆき子(西田尚美)は慮(おもんばか)っていた。
望まない妊娠をした女性もつらいが、恋人や夫の浮気によって子供ができたため子供を生んだ女性を選ばれた女性もやりきれない。もうひとりの女性に子供ができたから別れてくれ、みたいな展開はこれまでドラマでは少なくなかった。その女性の悲しみに焦点が当たり、女性が共感するものが多かった。が、今回は男性に女性の悲しみがガンガンとぶつけられる。
Back numberの主題歌が流れるなか、滂沱(ぼうだ)の涙を流す夏は、女性だけの傷の痛みを千の矢達を浴びるように全身で引き受けているようである。全、傷ついた女性の痛みを全、女性を傷つけてしまった男性を代表して、目黒蓮がその身に受けている。まるで民の苦しみを背負うキリストのようであった。
夏は悪い人ではないし優しいけれど、弥生が海のお母さんになってくれたら楽だと思ってしまったのも事実で、その思いやりの欠けたことによって、弥生は去っていくのだ。
◆夏の背中は最終回のようでもあった
夏は海をひとり引き受ける決心をする。「一番大切にします。ほかの何よりも絶対優先します。がんばります」と言うと朱音(大竹しのぶ)は「当たり前でしょ。そうじゃないと困ります」と淡々。
夏は弥生にがんばれと言われたらから「がんばります」と言っているのかなと思うと、やっぱり甘えているような気もしないではない。
重責を背負い、スローモーションで歩く夏の背中は最終回のようでもあった。このまま、別れて、夏は海と生きていく。という未来に余白を残す最終回のパターン。でも、まだ3話ある。冷めたことを言えば、あと3話分も残っている(最近の連ドラには珍しく12話まであるそうだ)。
この別れは起承転結の転で、ショックな展開にざわつかせておいて、さらなる展開が待っているはず。元サヤに収まるのが無難なだけれど、弥生が似た者同士の津野や、さらなる年下男子・大和(木戸大聖)と新たなつきあいをはじめる可能性もないこともないかもしれない。
それにしても、こんなに海想いになってしまうと、海が成長して彼ができたら夏はどうなっちゃうのだろう。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
月9『海のはじまり』(フジテレビ 月曜よる9時~)第9話は有村架純が菅田将暉とW主演したヒット映画『花束みたいな恋をした』(21年)と双璧を成すほどの“別れ”のドラマになった。
◆夏と弥生の馴れ初めから別れまで
夏(目黒蓮)と弥生(有村架純)が別れてしまった。やっぱり弥生は夏と海(泉谷星奈)と3人では気がすまなかった。そして、その行動に背中を押したのは水季(古川琴音)からの「夏くんの恋人へ」という手紙だった(他局の『南くんが恋人?』(テレビ朝日)を意識している?)
特別編の水季(古川琴音)と津野(池松壮亮)のかすかな恋とその終わりに続き、第9話は、夏と弥生の馴れ初めから仲良くなる過程、そして別れまでが描かれた。
弥生の会社に営業に来た夏は仕事が終わった日に弥生を誘う。見た目はいいけどしゃべると残念と言われてしまうような夏だが、意外と積極的。営業先の担当者(弥生)のケータイにいきなり「このあとご予定ありますか」と誘ってしまうのはありなのでしょうか。
まあ、対外的にはありじゃないとはいえ、個人の思いは止められないものなのであろう。弥生が夏に「なにより優しい」と好感触だったから。
出会いは夏、季節はすぐに冬になり、夏と弥生は手をつなぐまでに。この手つなぎが後半、効いてくる。
◆夏と海の前でニコニコ、いい人を演じ続けているみたい
夏と弥生の出会いの回想のあとは現代。弥生は夏と海と3人でお買い物。お母さんに間違われたりして。回想では、弥生は子供に優しくて、迷子や待ち合わせの場に偶然居合わせた子供と仲良くおしゃべりしている。子供に合わせるのは苦手な夏に「子供あつかいしてないから」と好意的な見方をする弥生。
あの頃はいつかふたりの子供が生まれることをかすかに想像していた。それがいま、ふたりの間に幼い子供がいるものの、それは弥生の子供ではない。
想像していた家族とは違う形に、弥生は徐々に徐々にしんどくなっていく。特別編で津野が感じた、必ず間に海がいないと成立しない関係と同じものを弥生は感じているようだ(期せずして特別編があったことで弥生の気持ちがより伝わってきた。手を握る・つなぐモチーフも呼応している)。
ずっと気持ちを我慢して夏に言わないようにして、彼と海の前でニコニコ、いい人を演じ続けているみたい。弥生は背筋をのばし、口先だけで行儀良さそうにしゃべっていて、本音が見えない。『虎に翼』(NHK)的にいうと「すんっ」とした感じ。それがどんどんエスカレートしていく。でも「別れたい」「別れたくないよ」とまだぎりぎり保っている。
せっかくふたりでご飯(ラーメン)と思っても、海と3人でと言われ、仕事があると嘘ついて断ってしまう弥生。薄々気づいている夏は弥生の部屋を訪ねる。が、結局そこで伝えるのは、弥生の辛さはわかりながらも海の母になってほしいという甘え。ここはなんだか、正妻はいるけど、君が好きなんだと粘っている場面みたいにも見えてしまった。
◆弥生と水季の皮肉なつながり
弥生は悩んだすえ水季の手紙を読んで、心を決める。
「誰も傷つけない選択なんてきっとありません。だからといって自分が犠牲になるのが正解とも限りません。他人にやさしくなりすぎずものわかりのいい人間を演じず、ちょっとずるをしてでも自分で決めてください。どちらを選択してもそれはあなたの幸せのためです」
この文面、水季が「ちょっとずるをしてでも」自分の幸せのためにやさしいふりして弥生に別れを決意させたとも見えるし、いまの無理している若い人たちへのメッセージのようにも見える。
皮肉なのは、水季が中絶をやめて、海を産み海ファーストで生きることを選ぶ背中を押したのが、弥生は産婦人科のノートに書いたメッセージだったことである。弥生のメッセージで海が生まれ、水季のメッセージで弥生は海の母になることをやめる。因縁(いんねん)を感じさせる繋がりがやっぱりややホラーっぽさを醸(かも)す。悪く考えれば、水季が弥生に海と別れる呪いをかけたみたいにも思えないことはない。
◆有村架純の別れぎわの演技は最強である
弥生は、最後を覚悟して、夏の部屋を訪問。その日は雨。はじめて会った夏の日は雨があがって蒸し暑い日だった。
海にあげるものを夏に手渡しながら、いろいろ話す弥生。終わりのときはもう間近。高野舞(はしごだが)演出は俳優に劇的なアクションをさせることなく淡々とした会話のなかの感情の流れを丁寧にじっくり追っていく。
感極まった弥生は海にあげようと買ったイルカのぬいぐるみで涙を拭(ぬぐ)う。海に弥生の涙が染みたぬいぐるみが手渡されると思うと、これもまた怨念ぽい。
「海ちゃんのお母さんにはならない」という弥生。
「海ちゃんを選ぶ」という夏。
部屋を出たら終わり。「ふたりでドアを閉めて~♪」と古い歌を思い出してしまったが、夏は駅まで弥生を送り、終電過ぎるまで駅(経堂)のベンチでおしゃべり。部屋を出てからずっと手を握ったまま。
このときの弥生は「すんっ」としていない。じつにナチュラルなしゃべりかたで、テンポが早く、声もやや低く、語尾に力が入っていない。これだよこれ、いつもこれでいて、と思う。
このしゃべりかたは、じつに久しぶりになんでもない話をした表現なのだろう。それだけ弥生はずっと気を使っていたのだろう。恋人にもこんなに気を使って素が出せないものなのかと思うと恋愛って面倒だなと思う。
なにげない話をしたのちに終電がホームに滑り込んでくる。きっぱり別れることのできない夏。ほんとは弥生だってつらいのだ。でも「がんばれ」と突き放し、電車に乗ってしまう。
有村架純の別れぎわの演技は最強である。そういえば、大河ドラマ『どうする家康』でも家康(松本潤)のために自ら命を絶つ瀬名(有村)は夫を突き放していた。あれも涙なくしては見られなかった。痩せ我慢は男の美学のように思うが、有村架純は痩せ我慢の美学を体現している。やんわりとハードボイルドなのだ。
◆目黒蓮のフェイスライン、よけいに悲劇的に見える
一方、第9話では、やっぱり病み上がり(?)の目黒蓮に注目したい。たった一週空けただけで、顎(あご)のラインが変わった気がする。もともとしゅっとした面長フェイスがひとまわり細くなった気がしないでない。だからよけいに、悲劇的に見える。
お互い嫌いじゃないのに別れなくてはならない悲しみを全身で背負う夏。
女性が望まない妊娠をした場合、身も心も大きなダメージを被ることに対して、男性はそこまでのリスクを負うことがないと、ドラマのなかでも語られていた。第5話、「男だからサインしてお金出してやさしい言葉かけて、それで終わり。からだが傷つくこともないし。悪意はなかったんだろうけど。でもそういう意味なの。隠したってそういうことなの」とたったひとりで生んで育てた水季のことをゆき子(西田尚美)は慮(おもんばか)っていた。
望まない妊娠をした女性もつらいが、恋人や夫の浮気によって子供ができたため子供を生んだ女性を選ばれた女性もやりきれない。もうひとりの女性に子供ができたから別れてくれ、みたいな展開はこれまでドラマでは少なくなかった。その女性の悲しみに焦点が当たり、女性が共感するものが多かった。が、今回は男性に女性の悲しみがガンガンとぶつけられる。
Back numberの主題歌が流れるなか、滂沱(ぼうだ)の涙を流す夏は、女性だけの傷の痛みを千の矢達を浴びるように全身で引き受けているようである。全、傷ついた女性の痛みを全、女性を傷つけてしまった男性を代表して、目黒蓮がその身に受けている。まるで民の苦しみを背負うキリストのようであった。
夏は悪い人ではないし優しいけれど、弥生が海のお母さんになってくれたら楽だと思ってしまったのも事実で、その思いやりの欠けたことによって、弥生は去っていくのだ。
◆夏の背中は最終回のようでもあった
夏は海をひとり引き受ける決心をする。「一番大切にします。ほかの何よりも絶対優先します。がんばります」と言うと朱音(大竹しのぶ)は「当たり前でしょ。そうじゃないと困ります」と淡々。
夏は弥生にがんばれと言われたらから「がんばります」と言っているのかなと思うと、やっぱり甘えているような気もしないではない。
重責を背負い、スローモーションで歩く夏の背中は最終回のようでもあった。このまま、別れて、夏は海と生きていく。という未来に余白を残す最終回のパターン。でも、まだ3話ある。冷めたことを言えば、あと3話分も残っている(最近の連ドラには珍しく12話まであるそうだ)。
この別れは起承転結の転で、ショックな展開にざわつかせておいて、さらなる展開が待っているはず。元サヤに収まるのが無難なだけれど、弥生が似た者同士の津野や、さらなる年下男子・大和(木戸大聖)と新たなつきあいをはじめる可能性もないこともないかもしれない。
それにしても、こんなに海想いになってしまうと、海が成長して彼ができたら夏はどうなっちゃうのだろう。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami