今日2024年9月7日、山﨑賢人が30歳になった。デビューから15周年の節目でもあるタイミング。誕生日合わせで写真集『15/30』が発売されている。
すごく簡潔で象徴的なタイトルだけれど、まさか山﨑賢人が30歳になる日が来るなんてね。何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、彼と同時代を生きてきた者たちからすると、このスター俳優が節目を迎える特別さは、できるだけ華やかに大袈裟な言葉の数々で祝いたいものなのだ。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、リアルタイムで追い続けてきた山﨑賢人を“理想的な演技者”だと考えながら、誕生日祝いとして思うことを綴る。
◆9月7日生まれのスター
今からちょうど30年前の1994年9月7日、山﨑賢人が東京都に生まれた。長渕剛や元K-1王者アンディ・フグなど、9月7日生まれのスターは各界にそれなりにちらほらいる。
ぐんとさかのぼるなら、1533年の9月7日には「処女王」として歴史上に記述されることが多いイングランド女王エリザベス1世が生まれている。さらにもうひとり同日生まれの著名人としてアメリカの映画監督エリア・カザンの名前をあげておく必要がある。
カザンはニューヨークの演技スクール「アクターズ・スタジオ」の創設者である。所謂メソッドと呼ばれる内面的な演技法によってマーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロらを輩出した名高いスクールなのだが、以降出身者を問わずメソッドを駆使した過剰な演技スタイルを真似る俳優たちが後続した弊害もあった。
◆メソッドに対抗できる“理想的な演技者”
日本でもメソッドを信奉する俳優は一定数いる。筆者はそうした日本人俳優の演技がどうも苦手だ。これは映画表現に限った話だと思ってほしいが、演技とは内面への深掘り云々の前に端正で無駄のないスタイルが何より理想的だと思う。
山﨑賢人30歳の誕生日を祝おうというコラム冒頭でわざわざカザンの話題を出したのは、今の日本映画界で最も“理想的な演技者”が山﨑賢人であり、メソッドに対抗できる数少ない存在だとこの機会に明言しておきたかったからだ。
2010年代には「実写化王子」の異名を取った山﨑だが、その代表的作品である『オオカミ少女と黒王子』(2016年)を見てもらうだけでわかる。同作の彼の演技は、公開当時22歳の瑞々しさがラブコメ映画の作風と見事にマッチしながら、端正かつつややか。
熱を出して寝込んだソファ上の黒王子こと佐田恭也(山﨑賢人)にやわらかに当たる照明の絶妙な加減は、当代随一のスター俳優を照らす証明みたいになっていた。
◆黒王子役が演技のフォーマットを規定
『ストロボ・エッジ』(2015年)が前年に公開されている廣木隆一監督が演出した『オオカミ少女と黒王子』は、ラブコメ漫画を原作とした、いわゆる“きらきら映画”の金字塔的名作であるばかりか、黒王子役の山崎以降、日本映画界の演技フォーマットが規定されたといっても過言ではない。
それ以前の出演作品としては、剛力彩芽と共演した『L・DK』(2014年)で寝床の間に仕切りをもうける『或る夜の出来事』(1934年)へのオマージュ場面があり、同作のクラーク・ゲーブルの佇まいを無意識のうちに取り込んだ山﨑が色っぽさを放っていた。
きらきら映画ではまだ主演クラスではなかった二番手時代の『今日、恋をはじめます』(2012年)でさえ、圧倒的若々しさの中にすでにスター俳優の才能にめぐまれた気概を感じさせた。
2010年のデビュー以来、一貫した山﨑賢人のスタイルは現在でも変わっていない。大ヒットシリーズ『キングダム 大将軍の帰還』(2024年)の番宣で出演した『日曜日の初耳学』(TBS、4月15日放送)では、MCの林修から「日本のトム・クルーズ」と言われたが、これは冗談ではなくて、山﨑賢人イズム、その唯一無二のスタイルが、世界的スターであり続けるトム・クルーズと同系統の不変的スタイルと比較されるまでになった事実を物語っていた。
◆アンナチュラルな俳優
そうした山﨑賢人フォーマットの演技に対して、これまでメディアは口を揃えて「ナチュラル」だと形容してきた。うん、確かに山﨑の演技は自然体そのもので、ナチュラルだなと感じる。日本一のナチュラル俳優だと新たな異名を付与することもできるかもしれない。
でも、演技がナチュラルというのは実はとても矛盾した言い方なのである。だって演技というのはごっこ遊びの延長みたいなもので、日常レベルで考えると、ナチュラルどころか不自然極まりない行為だから。
だから本来不自然なはずの演技をナチュラルに見せてしまうアンナチュラルな俳優と形容したほうがずっと正しい。このあたりをきちんと精査しておかないと、山﨑賢人の真価は問えない。
◆舞台挨拶前の山﨑賢人と遭遇
彼のことを同時代人としてリアルタイムで追ってきた者としては、こうした不確かな評言をどうしても見過ごせない。2024年は、30歳の節目であり、デビュー15周年というタイミングなのだから。
実は今年の年明け早々、『ゴールデンカムイ』(2024年)の完成披露舞台の会場で、舞台挨拶前の山﨑とまさかの遭遇を果たした。偶然のミラクルだったが、山﨑賢人本人は誰とでも気さくに会話を楽しもうとする人懐こい人物だと感じた。
人懐こいばかりか、やり取りがほんとナチュラルなのだ。同時にあの黒目勝ちな美しい瞳に見つめられると、自然と吸い込まれそうになる。二言かもう少しくらい交わしているだけで誰でも惚れるより他ない。30歳の誕生日を迎えた山﨑賢人は、そういう魔力をさらにどうやって使いこなすのだろう?
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
すごく簡潔で象徴的なタイトルだけれど、まさか山﨑賢人が30歳になる日が来るなんてね。何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、彼と同時代を生きてきた者たちからすると、このスター俳優が節目を迎える特別さは、できるだけ華やかに大袈裟な言葉の数々で祝いたいものなのだ。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、リアルタイムで追い続けてきた山﨑賢人を“理想的な演技者”だと考えながら、誕生日祝いとして思うことを綴る。
◆9月7日生まれのスター
今からちょうど30年前の1994年9月7日、山﨑賢人が東京都に生まれた。長渕剛や元K-1王者アンディ・フグなど、9月7日生まれのスターは各界にそれなりにちらほらいる。
ぐんとさかのぼるなら、1533年の9月7日には「処女王」として歴史上に記述されることが多いイングランド女王エリザベス1世が生まれている。さらにもうひとり同日生まれの著名人としてアメリカの映画監督エリア・カザンの名前をあげておく必要がある。
カザンはニューヨークの演技スクール「アクターズ・スタジオ」の創設者である。所謂メソッドと呼ばれる内面的な演技法によってマーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロらを輩出した名高いスクールなのだが、以降出身者を問わずメソッドを駆使した過剰な演技スタイルを真似る俳優たちが後続した弊害もあった。
◆メソッドに対抗できる“理想的な演技者”
日本でもメソッドを信奉する俳優は一定数いる。筆者はそうした日本人俳優の演技がどうも苦手だ。これは映画表現に限った話だと思ってほしいが、演技とは内面への深掘り云々の前に端正で無駄のないスタイルが何より理想的だと思う。
山﨑賢人30歳の誕生日を祝おうというコラム冒頭でわざわざカザンの話題を出したのは、今の日本映画界で最も“理想的な演技者”が山﨑賢人であり、メソッドに対抗できる数少ない存在だとこの機会に明言しておきたかったからだ。
2010年代には「実写化王子」の異名を取った山﨑だが、その代表的作品である『オオカミ少女と黒王子』(2016年)を見てもらうだけでわかる。同作の彼の演技は、公開当時22歳の瑞々しさがラブコメ映画の作風と見事にマッチしながら、端正かつつややか。
熱を出して寝込んだソファ上の黒王子こと佐田恭也(山﨑賢人)にやわらかに当たる照明の絶妙な加減は、当代随一のスター俳優を照らす証明みたいになっていた。
◆黒王子役が演技のフォーマットを規定
『ストロボ・エッジ』(2015年)が前年に公開されている廣木隆一監督が演出した『オオカミ少女と黒王子』は、ラブコメ漫画を原作とした、いわゆる“きらきら映画”の金字塔的名作であるばかりか、黒王子役の山崎以降、日本映画界の演技フォーマットが規定されたといっても過言ではない。
それ以前の出演作品としては、剛力彩芽と共演した『L・DK』(2014年)で寝床の間に仕切りをもうける『或る夜の出来事』(1934年)へのオマージュ場面があり、同作のクラーク・ゲーブルの佇まいを無意識のうちに取り込んだ山﨑が色っぽさを放っていた。
きらきら映画ではまだ主演クラスではなかった二番手時代の『今日、恋をはじめます』(2012年)でさえ、圧倒的若々しさの中にすでにスター俳優の才能にめぐまれた気概を感じさせた。
2010年のデビュー以来、一貫した山﨑賢人のスタイルは現在でも変わっていない。大ヒットシリーズ『キングダム 大将軍の帰還』(2024年)の番宣で出演した『日曜日の初耳学』(TBS、4月15日放送)では、MCの林修から「日本のトム・クルーズ」と言われたが、これは冗談ではなくて、山﨑賢人イズム、その唯一無二のスタイルが、世界的スターであり続けるトム・クルーズと同系統の不変的スタイルと比較されるまでになった事実を物語っていた。
◆アンナチュラルな俳優
そうした山﨑賢人フォーマットの演技に対して、これまでメディアは口を揃えて「ナチュラル」だと形容してきた。うん、確かに山﨑の演技は自然体そのもので、ナチュラルだなと感じる。日本一のナチュラル俳優だと新たな異名を付与することもできるかもしれない。
でも、演技がナチュラルというのは実はとても矛盾した言い方なのである。だって演技というのはごっこ遊びの延長みたいなもので、日常レベルで考えると、ナチュラルどころか不自然極まりない行為だから。
だから本来不自然なはずの演技をナチュラルに見せてしまうアンナチュラルな俳優と形容したほうがずっと正しい。このあたりをきちんと精査しておかないと、山﨑賢人の真価は問えない。
◆舞台挨拶前の山﨑賢人と遭遇
彼のことを同時代人としてリアルタイムで追ってきた者としては、こうした不確かな評言をどうしても見過ごせない。2024年は、30歳の節目であり、デビュー15周年というタイミングなのだから。
実は今年の年明け早々、『ゴールデンカムイ』(2024年)の完成披露舞台の会場で、舞台挨拶前の山﨑とまさかの遭遇を果たした。偶然のミラクルだったが、山﨑賢人本人は誰とでも気さくに会話を楽しもうとする人懐こい人物だと感じた。
人懐こいばかりか、やり取りがほんとナチュラルなのだ。同時にあの黒目勝ちな美しい瞳に見つめられると、自然と吸い込まれそうになる。二言かもう少しくらい交わしているだけで誰でも惚れるより他ない。30歳の誕生日を迎えた山﨑賢人は、そういう魔力をさらにどうやって使いこなすのだろう?
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu