コメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵さん。今年4月に文庫化された『母を捨てるということ』では、母親との壮絶な日々をつづって大きな話題となりました。
おおたわさんの母は、鎮痛薬の常用から依存症になり、使用済み注射器が散乱しているような家庭でした。母は些細なことで激高し、叩かれたり、煙草の火を手に押し付けられそうになったことも。薬をやめさせようとすると「お前なんか消えろ」と罵倒され、いつか母に手を上げてしまうのではという恐怖から関係を断ったといいます。母は76歳の時、自室で亡くなっていました。
わたくし大日方理子は、実は、13年前にテレビ出演時のおおたわさんのスタイリストをしていました。今回インタビューさせて頂き、3回目は刑務所や少年院で受刑者らを診察する「プリズン・ドクター」(法務省矯正局医師)としての思いを伺いました。
◆なんとなく流されて罪を犯してしまう
――開業医だったおおたわさんが、クリニックを閉めて、2018年にプリズン・ドクターになったそうですね。ご著書『プリズン・ドクター』(2022年)には、さまざまな受刑者との関わりが記されていますが、女性受刑者の特徴は何かありますか?
おおたわさん(以下おおたわ):私は男性受刑者の診察が多いのですが、男性のほうが、儲けてやろうとかいい思いをしようとして詐欺や強盗をするとか、要は目的がはっきりしている人が多い感じがします。それに対して、女性の犯罪は、ちょっと捉えどころがない気がするんですよね。なんていうのかな、計画的に何かを実行するというより、なんとなく流されて流されてという人が多いように見えます。
女性が首謀者として犯罪計画をするというより、何か犯罪の片棒を担いで捕まったみたいなね。もちろん、そうでない人もいますが。
――普通の女性でも、NOが言えずに流されてしまう人は多いんです。断ると、え?と思われるから、それが怖いと。
おおたわ:たとえば、薬物を始めるきっかけも、男性に勧められて、という人が多いようです。あまり知識もないし、わかっていなくて使い始めてしまって、という感じで。そうこうしているうちに薬物依存になって、薬を買うお金が必要になると、売春したり、性的な犯罪に手を染めてしまう。
なかには、お金を作るために体を売ることが別に悪いことでも嫌なことでもなくて、大したことじゃない……くらいの感覚の人もいます。性感染症にかかっている女性受刑者もすごく多いです。
◆「なんのために生きているのかわからない」
――男女にかかわらず、犯罪に流されてしまう要因は、何かあるのでしょうか。
おおたわ:どんな環境に生まれて育ってきたかは、大きく影響します。親がいなかったり、貧困家庭で育ったり、虐待されていたり、精神疾患や知的障害を持っていたり、何らかの事情がある受刑者がほとんどです。
『プリズン・ドクター』の本にも書きましたが、傷害罪で少年院に入っていたある17歳の少女は、両親の顔を知らないんですね。母親が風俗産業で働いていて父親が誰だかわからず、赤ちゃんの頃に母親も自殺してしまった。中学校はほとんど登校していなくて、周りに信用できる大人が誰もいない。彼女は「なんのために生きているのかわからない」と言っていました。
そういう環境で育つと、そもそも自分のアイデンティティや、「善悪」の感覚が育つチャンスがないわけです。誰かを喜ばせたい、認められたいから頑張る……というところから人の心は育つものですが、その「喜ばせたい誰か」がいないのです。
何のために頑張るかわからない、善の行いが何なのかもわからないとなると、生きていくために物を盗ったり、悪い人の口車に乗って犯罪の片棒を担いだりしてしまう。
善悪の判断が育ちにくい環境にたまたま生まれ落ちてしまうと、どんな人でも犯罪への道を歩む可能性はあると思います。
受刑者の中には、頭もよく話もよくわかる、暴力団の中でそこそこの地位まで行った人もいました。たまたま裏の社会でしか生きてこられなかったけれど、サラリーマンだったら普通に出世しそうな人。だから、どんなに素養のある人でも、生育環境が劣悪であれば犯罪の道に行くしかないということもあると思います。
◆「子どもを育てる」ことが理解できない母もいる
――女性が犯す罪のひとつに、児童虐待がありますよね。子どもを虐待した母親のニュースを見ると、その人なりの事情があったのだろうと思う一方で、やはり「許せない」「鬼母だ」と感じてしまうのですが…。
おおたわ:養父が虐待するパターンが多いのですが、養父と実母が一緒になって虐待するということもあります。自分が産んだ子なのにどうして?ということですよね。
「許せない」と感じる物差しというか、世の中の女性がみんな自分と同じ価値観を持っていると思うこと自体に、ものすごくズレがあると思います。
誰もが母としての適性があるかと言ったら、そんなことはありません。性行為をすればかなりの女性が妊娠・出産はできるけれど、母性や子供を愛する能力を持っているとは限らない。生育環境や精神遅滞によって、そもそも「産んだ子どもは育てねばならない」ということが理解できない人もいるのです。
子供がかわいそうだとかいう葛藤なしに虐待に至る人たちがいるということです。泣いてる子供よりも、目の前に美味しいものがあったから食べたいとか、デートしたいとか、遊びたいから子どもは置いていっちゃおうかな、と思う。置いていったら死んでしまうかもしれない、ということもよくわからない。
よく、警察の取調べで「放っておいたら死ぬかもしれないとは思っていた、と供述した」とニュースにはなりますが、あれも疑わしいと思います。警察は殺意があったのか知りたいので、「放っておいたら死んでしまうとは思わなかったんですか?」と聞く。すると、「そうかもしれませんね」くらいの返事になって、「わかっていて放置した」ことになってしまう。
◆社会で保護して育てるしかない
――誰でも本能で子育てできるわけではないですもんね。
おおたわ:受刑者と話していると、やったことの大きさや自分の人生に対する現実感を持っていないような、張り合いのなさみたいなものを感じることがあります。
だから、子どもを育てるのが難しい人がいるなら、周りが保護して育てるしかないですよね。「母親なのに虐待した」と批判するのではなくて、子どもは社会で育てるもの、という考え方にするしかない。今は福祉にも限界があって家庭にズカズカとは入っていけないけれど、福祉がもう少し介入できるようになると、拾い上げられる命があるかもしれないなと思います。
◆ネットで誰が騒いでも、現実社会とは別
――ところで、おおたわさんはコメンテーターのお仕事をされているので、炎上したりアンチコメントがつくことも多いと思います。どうやって心を守っていくのがいいでしょうか?
おおたわ:テレビに出始めた頃から、ネットで悪いことを色々と書かれたり、一晩で1万件くらいコメントが膨れ上がったりということは経験してきました。20年前はちょっとびっくりしたんですけど、もう気にならないですね。ブログは書いてますが、SNSはやっていないんですよ、めんどくさいから。
実際に石を投げられたり訴えられたりと実害があるなら話は別ですが、ネットで誰がどう騒いでいても現実社会とは違う出来事なのだと、自分とは切り分けて考えることにしました。もちろん、自分に非があるかどうかは、もう一度自分に問う必要があるとは思いますが。
◆エゴサをしていいことなんて一つもない
――エゴサーチはしないほうがいいですか?つい見てしまう人もいると思うのですが。
おおたわ:見ない方がいいですね。見ていいことなんて、1つもないですよ。エゴサーチはしない、と決めたほうがいいです。
人間は誰でも、表の顔と裏の顔があるけれど、ネットでは裏の汚いところを吐き出してるように見えます。だから私はあまりネットは見ないです。人の汚いところばかり見ていてもしょうがないと思うし、それが真実だと思ってもいけないと思う。実際に会うといい人なのかもしれないのだから、わざわざ悪いところを覗き込む必要はないと思っています。
<文/大日方理子 撮影/山田耕司>
【おおたわ史絵】
東京女子医科大学卒業。大学病院、救命救急センター、地域開業医を経て現職。刑務所受刑者の診療にも携わる。また、情報番組などのコメンテーターとしても活躍。著書『女医の花道!』はベストセラーとなり、近著に『プリズン・ドクター』『母を捨てるということ』などがある
おおたわさんの母は、鎮痛薬の常用から依存症になり、使用済み注射器が散乱しているような家庭でした。母は些細なことで激高し、叩かれたり、煙草の火を手に押し付けられそうになったことも。薬をやめさせようとすると「お前なんか消えろ」と罵倒され、いつか母に手を上げてしまうのではという恐怖から関係を断ったといいます。母は76歳の時、自室で亡くなっていました。
わたくし大日方理子は、実は、13年前にテレビ出演時のおおたわさんのスタイリストをしていました。今回インタビューさせて頂き、3回目は刑務所や少年院で受刑者らを診察する「プリズン・ドクター」(法務省矯正局医師)としての思いを伺いました。
◆なんとなく流されて罪を犯してしまう
――開業医だったおおたわさんが、クリニックを閉めて、2018年にプリズン・ドクターになったそうですね。ご著書『プリズン・ドクター』(2022年)には、さまざまな受刑者との関わりが記されていますが、女性受刑者の特徴は何かありますか?
おおたわさん(以下おおたわ):私は男性受刑者の診察が多いのですが、男性のほうが、儲けてやろうとかいい思いをしようとして詐欺や強盗をするとか、要は目的がはっきりしている人が多い感じがします。それに対して、女性の犯罪は、ちょっと捉えどころがない気がするんですよね。なんていうのかな、計画的に何かを実行するというより、なんとなく流されて流されてという人が多いように見えます。
女性が首謀者として犯罪計画をするというより、何か犯罪の片棒を担いで捕まったみたいなね。もちろん、そうでない人もいますが。
――普通の女性でも、NOが言えずに流されてしまう人は多いんです。断ると、え?と思われるから、それが怖いと。
おおたわ:たとえば、薬物を始めるきっかけも、男性に勧められて、という人が多いようです。あまり知識もないし、わかっていなくて使い始めてしまって、という感じで。そうこうしているうちに薬物依存になって、薬を買うお金が必要になると、売春したり、性的な犯罪に手を染めてしまう。
なかには、お金を作るために体を売ることが別に悪いことでも嫌なことでもなくて、大したことじゃない……くらいの感覚の人もいます。性感染症にかかっている女性受刑者もすごく多いです。
◆「なんのために生きているのかわからない」
――男女にかかわらず、犯罪に流されてしまう要因は、何かあるのでしょうか。
おおたわ:どんな環境に生まれて育ってきたかは、大きく影響します。親がいなかったり、貧困家庭で育ったり、虐待されていたり、精神疾患や知的障害を持っていたり、何らかの事情がある受刑者がほとんどです。
『プリズン・ドクター』の本にも書きましたが、傷害罪で少年院に入っていたある17歳の少女は、両親の顔を知らないんですね。母親が風俗産業で働いていて父親が誰だかわからず、赤ちゃんの頃に母親も自殺してしまった。中学校はほとんど登校していなくて、周りに信用できる大人が誰もいない。彼女は「なんのために生きているのかわからない」と言っていました。
そういう環境で育つと、そもそも自分のアイデンティティや、「善悪」の感覚が育つチャンスがないわけです。誰かを喜ばせたい、認められたいから頑張る……というところから人の心は育つものですが、その「喜ばせたい誰か」がいないのです。
何のために頑張るかわからない、善の行いが何なのかもわからないとなると、生きていくために物を盗ったり、悪い人の口車に乗って犯罪の片棒を担いだりしてしまう。
善悪の判断が育ちにくい環境にたまたま生まれ落ちてしまうと、どんな人でも犯罪への道を歩む可能性はあると思います。
受刑者の中には、頭もよく話もよくわかる、暴力団の中でそこそこの地位まで行った人もいました。たまたま裏の社会でしか生きてこられなかったけれど、サラリーマンだったら普通に出世しそうな人。だから、どんなに素養のある人でも、生育環境が劣悪であれば犯罪の道に行くしかないということもあると思います。
◆「子どもを育てる」ことが理解できない母もいる
――女性が犯す罪のひとつに、児童虐待がありますよね。子どもを虐待した母親のニュースを見ると、その人なりの事情があったのだろうと思う一方で、やはり「許せない」「鬼母だ」と感じてしまうのですが…。
おおたわ:養父が虐待するパターンが多いのですが、養父と実母が一緒になって虐待するということもあります。自分が産んだ子なのにどうして?ということですよね。
「許せない」と感じる物差しというか、世の中の女性がみんな自分と同じ価値観を持っていると思うこと自体に、ものすごくズレがあると思います。
誰もが母としての適性があるかと言ったら、そんなことはありません。性行為をすればかなりの女性が妊娠・出産はできるけれど、母性や子供を愛する能力を持っているとは限らない。生育環境や精神遅滞によって、そもそも「産んだ子どもは育てねばならない」ということが理解できない人もいるのです。
子供がかわいそうだとかいう葛藤なしに虐待に至る人たちがいるということです。泣いてる子供よりも、目の前に美味しいものがあったから食べたいとか、デートしたいとか、遊びたいから子どもは置いていっちゃおうかな、と思う。置いていったら死んでしまうかもしれない、ということもよくわからない。
よく、警察の取調べで「放っておいたら死ぬかもしれないとは思っていた、と供述した」とニュースにはなりますが、あれも疑わしいと思います。警察は殺意があったのか知りたいので、「放っておいたら死んでしまうとは思わなかったんですか?」と聞く。すると、「そうかもしれませんね」くらいの返事になって、「わかっていて放置した」ことになってしまう。
◆社会で保護して育てるしかない
――誰でも本能で子育てできるわけではないですもんね。
おおたわ:受刑者と話していると、やったことの大きさや自分の人生に対する現実感を持っていないような、張り合いのなさみたいなものを感じることがあります。
だから、子どもを育てるのが難しい人がいるなら、周りが保護して育てるしかないですよね。「母親なのに虐待した」と批判するのではなくて、子どもは社会で育てるもの、という考え方にするしかない。今は福祉にも限界があって家庭にズカズカとは入っていけないけれど、福祉がもう少し介入できるようになると、拾い上げられる命があるかもしれないなと思います。
◆ネットで誰が騒いでも、現実社会とは別
――ところで、おおたわさんはコメンテーターのお仕事をされているので、炎上したりアンチコメントがつくことも多いと思います。どうやって心を守っていくのがいいでしょうか?
おおたわ:テレビに出始めた頃から、ネットで悪いことを色々と書かれたり、一晩で1万件くらいコメントが膨れ上がったりということは経験してきました。20年前はちょっとびっくりしたんですけど、もう気にならないですね。ブログは書いてますが、SNSはやっていないんですよ、めんどくさいから。
実際に石を投げられたり訴えられたりと実害があるなら話は別ですが、ネットで誰がどう騒いでいても現実社会とは違う出来事なのだと、自分とは切り分けて考えることにしました。もちろん、自分に非があるかどうかは、もう一度自分に問う必要があるとは思いますが。
◆エゴサをしていいことなんて一つもない
――エゴサーチはしないほうがいいですか?つい見てしまう人もいると思うのですが。
おおたわ:見ない方がいいですね。見ていいことなんて、1つもないですよ。エゴサーチはしない、と決めたほうがいいです。
人間は誰でも、表の顔と裏の顔があるけれど、ネットでは裏の汚いところを吐き出してるように見えます。だから私はあまりネットは見ないです。人の汚いところばかり見ていてもしょうがないと思うし、それが真実だと思ってもいけないと思う。実際に会うといい人なのかもしれないのだから、わざわざ悪いところを覗き込む必要はないと思っています。
<文/大日方理子 撮影/山田耕司>
【おおたわ史絵】
東京女子医科大学卒業。大学病院、救命救急センター、地域開業医を経て現職。刑務所受刑者の診療にも携わる。また、情報番組などのコメンテーターとしても活躍。著書『女医の花道!』はベストセラーとなり、近著に『プリズン・ドクター』『母を捨てるということ』などがある