夫の収入を柱に家計をやりくりするのでなく、妻の稼ぎを伸ばすことで世帯年収を激増させる。そんな新しい共働きの形を選択する夫婦が増え始めているという。“家族の幸せ”を経済学的な観点から研究する経済学者の山口慎太郎氏は、「共働き」の変化についてこう説明します。
◆実は高い日本の女性の就業率
「1992年に共働き世帯が専業主婦世帯を逆転してから共働き世帯は持続的に増えています。2023年には共働き世帯が1278万世帯なのに対して、専業主婦世帯は517万世帯と、共働き世帯は専業主婦世帯の約2.5倍にもなっています。
また、女性(15から64歳)の就業率をG7と比較すると、2000年は50.7%と断トツの最下位でしたが、2010年頃にフランスを、そして2014年にアメリカを追い抜き、2020年には就業率は70%を超えて、1位のドイツ(75%)に迫る勢いです。OECDの平均59%と比べても、日本の女性の就業率は高い水準にあることが見て取れます」
共働き世帯が急激に増加した背景の一つに、就業に対する女性個人の意識が変化したことが上げられます。
「“失われた30年”が象徴するように、一人当たり実質賃金の減少によって専業主婦世帯では従前の生活水準を維持するのは難しくなりました。また女性の四年制大学への進学率が向上していることも重要な変化です。大卒という学歴を生かすことで女性でも高い給料を得やすくなり、『働かないと損』という感情が芽生えたことも、女性の就業率を底上げしました」
◆女性の活躍に追い風は吹いているのか
少子化に伴う慢性的な労働力の不足から生じた需要の増加ももちろんあるが、それ以上に、社会全体が女性活躍を後押ししている点も大きい。
「女性の就業率が高まったものの、プライム市場に上場している企業における女性役員の割合女性の管理職・役員比率は13.3%です。国内に限って言えば、ここ20年で倍以上の伸びになっているので女性に対する職場環境はかなり改善されていると言っていい。
その一方で、国際的に見ると、13.3%という数値は極めて低い水準にある。出産や育児を機に女性のキャリア形成を断絶させない環境づくりは、企業にとっても、日本社会全体にとっても喫緊の課題の一つです。特に上場企業の場合、有価証券報告書に『女性管理職比率』や『男女の賃金の差異』などを載せないといけません。当然、投資家からも厳しい目を向けられる。女性活躍を促進すべきというのは、大企業ではもはや共通の認識です。
人手不足が深刻になりやすい中小企業でも、遅れているところはありますが、人手不足を解決するために女性が活躍できる環境を用意する必要性が高まっています」
◆アメリカでは夫婦の約3分の1が「妻のほうが高収入」
こうした時代の追い風を背に受け、妻の年収を戦略的に伸ばして世帯収入を爆上げしている夫婦が増えつつあるという。
山口氏も「誰もが役職に就けるわけでもなく、昇進の声がかかわるわけではありません。性別や役割にこだわらず、チャンスをいかして世帯年収をあげるのは賢い生存戦略です」と推奨しつつも、その一方で渋い表情を覗かせました。
「アメリカでは、夫より稼いでいる妻は、異性婚における夫婦の約4分の1にのぼります。対して日本の場合、ここ最近で夫より年収が高い妻が増えつつあるといっても、それはまだ5%ほどと、かなり低い水準です。男女の賃金格差の是正は、今後の取り組むべき課題と言えますが、ほかの先進国を見ても、夫の所得のほうが妻より高いのは共通しています」
◆北欧でも以前は男性の育休取得率は低かった
では、就労環境や制度を整えたらこの問題が根本的に解決するかと言えば、一筋縄ではいかぬよう。山口氏はこう続けます。
「男性の視点に立てば、女性が経済力を手に入れ、夫婦が完全二馬力になることで、経済的な意味でも生活の選択肢の幅が広がるし、男性がこれまで背負っていた大黒柱的な役割を妻と分かち合える分、負担や責任からもずいぶん解放されます。
しかし、例えば、アメリカでは、妻の所得が夫の所得を追い抜くと、離婚率がグッと高くなる傾向があることが分かっています。また、女性活躍のモデルとして頻出する北欧でさえ、30年前は、『上司の目が気になる』『出世のチャンスが奪われる』といった理由で、男性の育休取得はほとんどありませんでした。
こうした背景には、『男性のほうが女性より稼いでいて然るべき』『男性は仕事、女性は家庭』という保守的な家庭観が社会の土台にあります。この傾向は日本で特に強いとはいえ、世界が抱える共通の問題でもあります。
日本社会は、『男性は大黒柱であるべき』といった前時代的な価値観に強く縛られている傾向にあることが調査でもわかっています。そのため、『妻が夫より稼ぐ』ことに男性も女性も耐えられない可能性が高い。本来なら、社会が夫婦の形をつくるより、夫婦それぞれが模索しながら最適な関係性を構築していくのが、健全な夫婦の在り方だと思いますが、『妻の方が夫より稼ぐ』のが当たり前として完全に社会に受け入れられるのは、もう少し先になりそうです」
“男らしさの呪縛”に苦しめられているのは、何も日本の男性に限ったことではないのです。
【山口 慎太郎氏】
経済学者。東京大学大学院経済学研究科教授。専門は、結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」と、労働市場を分析する「労働経済学」。著書に「『家族の幸せ』の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実」(光文社新書)、「子育て支援の経済学」(日本評論社)がある
<取材・文/谷口伸二 画像/Adobe Stock>
◆実は高い日本の女性の就業率
「1992年に共働き世帯が専業主婦世帯を逆転してから共働き世帯は持続的に増えています。2023年には共働き世帯が1278万世帯なのに対して、専業主婦世帯は517万世帯と、共働き世帯は専業主婦世帯の約2.5倍にもなっています。
また、女性(15から64歳)の就業率をG7と比較すると、2000年は50.7%と断トツの最下位でしたが、2010年頃にフランスを、そして2014年にアメリカを追い抜き、2020年には就業率は70%を超えて、1位のドイツ(75%)に迫る勢いです。OECDの平均59%と比べても、日本の女性の就業率は高い水準にあることが見て取れます」
共働き世帯が急激に増加した背景の一つに、就業に対する女性個人の意識が変化したことが上げられます。
「“失われた30年”が象徴するように、一人当たり実質賃金の減少によって専業主婦世帯では従前の生活水準を維持するのは難しくなりました。また女性の四年制大学への進学率が向上していることも重要な変化です。大卒という学歴を生かすことで女性でも高い給料を得やすくなり、『働かないと損』という感情が芽生えたことも、女性の就業率を底上げしました」
◆女性の活躍に追い風は吹いているのか
少子化に伴う慢性的な労働力の不足から生じた需要の増加ももちろんあるが、それ以上に、社会全体が女性活躍を後押ししている点も大きい。
「女性の就業率が高まったものの、プライム市場に上場している企業における女性役員の割合女性の管理職・役員比率は13.3%です。国内に限って言えば、ここ20年で倍以上の伸びになっているので女性に対する職場環境はかなり改善されていると言っていい。
その一方で、国際的に見ると、13.3%という数値は極めて低い水準にある。出産や育児を機に女性のキャリア形成を断絶させない環境づくりは、企業にとっても、日本社会全体にとっても喫緊の課題の一つです。特に上場企業の場合、有価証券報告書に『女性管理職比率』や『男女の賃金の差異』などを載せないといけません。当然、投資家からも厳しい目を向けられる。女性活躍を促進すべきというのは、大企業ではもはや共通の認識です。
人手不足が深刻になりやすい中小企業でも、遅れているところはありますが、人手不足を解決するために女性が活躍できる環境を用意する必要性が高まっています」
◆アメリカでは夫婦の約3分の1が「妻のほうが高収入」
こうした時代の追い風を背に受け、妻の年収を戦略的に伸ばして世帯収入を爆上げしている夫婦が増えつつあるという。
山口氏も「誰もが役職に就けるわけでもなく、昇進の声がかかわるわけではありません。性別や役割にこだわらず、チャンスをいかして世帯年収をあげるのは賢い生存戦略です」と推奨しつつも、その一方で渋い表情を覗かせました。
「アメリカでは、夫より稼いでいる妻は、異性婚における夫婦の約4分の1にのぼります。対して日本の場合、ここ最近で夫より年収が高い妻が増えつつあるといっても、それはまだ5%ほどと、かなり低い水準です。男女の賃金格差の是正は、今後の取り組むべき課題と言えますが、ほかの先進国を見ても、夫の所得のほうが妻より高いのは共通しています」
◆北欧でも以前は男性の育休取得率は低かった
では、就労環境や制度を整えたらこの問題が根本的に解決するかと言えば、一筋縄ではいかぬよう。山口氏はこう続けます。
「男性の視点に立てば、女性が経済力を手に入れ、夫婦が完全二馬力になることで、経済的な意味でも生活の選択肢の幅が広がるし、男性がこれまで背負っていた大黒柱的な役割を妻と分かち合える分、負担や責任からもずいぶん解放されます。
しかし、例えば、アメリカでは、妻の所得が夫の所得を追い抜くと、離婚率がグッと高くなる傾向があることが分かっています。また、女性活躍のモデルとして頻出する北欧でさえ、30年前は、『上司の目が気になる』『出世のチャンスが奪われる』といった理由で、男性の育休取得はほとんどありませんでした。
こうした背景には、『男性のほうが女性より稼いでいて然るべき』『男性は仕事、女性は家庭』という保守的な家庭観が社会の土台にあります。この傾向は日本で特に強いとはいえ、世界が抱える共通の問題でもあります。
日本社会は、『男性は大黒柱であるべき』といった前時代的な価値観に強く縛られている傾向にあることが調査でもわかっています。そのため、『妻が夫より稼ぐ』ことに男性も女性も耐えられない可能性が高い。本来なら、社会が夫婦の形をつくるより、夫婦それぞれが模索しながら最適な関係性を構築していくのが、健全な夫婦の在り方だと思いますが、『妻の方が夫より稼ぐ』のが当たり前として完全に社会に受け入れられるのは、もう少し先になりそうです」
“男らしさの呪縛”に苦しめられているのは、何も日本の男性に限ったことではないのです。
【山口 慎太郎氏】
経済学者。東京大学大学院経済学研究科教授。専門は、結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」と、労働市場を分析する「労働経済学」。著書に「『家族の幸せ』の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実」(光文社新書)、「子育て支援の経済学」(日本評論社)がある
<取材・文/谷口伸二 画像/Adobe Stock>