よくぞ信念を貫いてくれた(!)。9月27日最終回が放送された『虎に翼』(NHK総合)の最大の功労者である孤高の判事、桂場等一郎役の松山ケンイチに賛辞を送りたい。
桂場の信念からブレず、細かな動作を繰り返して極める。松山の演技は、第1回から最終回まで徹底している。その功労の注目すべきポイントは、桂場役を通じてとにかく画面に目を向けさせたこと。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本作の松山ケンイチを総括する。
◆唯一キャラがブレなかった人物
『虎に翼』第1週第1回から最終週最終回まで、唯一ひとりだけキャラが寸分もズレず、ブレず、一貫していた人物がいる。最高裁判所第5代長官の地位までのぼりつめた孤高の判事、桂場等一郎(松山ケンイチ)だ。
司法の独立を信念として、どんな相手にも弱みを見せない。とにかく強く、堅牢に、厳格であり続ける桂場は、唇を常にへの字に固く結び、人を寄せ付けないフォームを形作る。
口角の右端から左端へ描くなだらかな唇のラインは、惚れ惚れするくらい美しい。だけど、そのラインの均衡が、大好物の甘いものを食べる瞬間にはゆるんでしまう。主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)が女学生時代から通った甘味処「竹もと」のあんこ団子に目がない。
暇を見つけては竹もとにきて、団子を2串頬張る。口を開くとき、厳めしいへの字が、今度はこれまた美しい台形のようなハの字へと豊かに変形するのである。
◆付着物が印象的
桂場が食べる甘いものは団子だけではない。第1回では、吹かしたさつまいもを持参していた。緊張の毎日の中でほっとひと息つこうと、さつまいもをジュワッと割る。なのに食べようとして必ず邪魔が入る。邪魔をするのは、もちろん寅子だ。
戦後の混乱期、家族を養うため、寅子は人事課長である桂場の元にやってきた。第1回のこの冒頭場面の続きは、本格的に戦後に時代設定が移る第10週第46回で描かれる。
最初門前払いされそうになった寅子を桂場の元へ連れてきたのは、ライアンこと、民法調査室主任・久藤頼安(沢村一樹)だった。寅子の採用をしぶる桂場に「取ってあげなよ」とアシストしつつ、桂場の鼻にさつまいもの皮なのか(?)、とにかく何か皮っぽいものが付着しているのをひとつまみ、躊躇なくさりげなく取ってやる。桂場の鼻に長いことくっついていた、この付着物が不思議と印象的なのだ。
◆第1回と最終回をきれいな一本線でつなぐ
するとやっぱり、桂場と付着物の組み合わせがもう一度、印象深く描かれることになる。第46回からずっとあと、もうとっくに忘れた頃。まさかの最終週第129回で、付着物くんが再登場(!)ときたもんだ。
竹もと改め「笹竹」になった店で、寅子の横浜家庭裁判所所長就任祝いをしているところへ、長官職を退任して早くも隠居暮らしな和装で桂場がやってくる。寅子たちを見るなり、うわっ、お前かという顔をする。
寅子が甘いものを食べようとした桂場をいつも寸止め状態にしてきたように、桂場も店で彼女と出くわすと決まってこの顔をする。で、気になる付着物。新たな季節、外に舞う桜の花びらを右眉毛の上にくっつけてきた。
◆画面に目を向けさせた存在
優秀な判事として信念を貫き通して、長官にまでなった桂場がきちんと付着物をともなって登場することにより、第1回と最終回が、きれいな付着物サンドイッチとして一本線でつながる。
第23週第111回の原爆裁判以降、加速度的に戦後の社会問題を解説する授業と化した本作にあって、時間経過とともにどんどん無駄な動きを省いていく松山ケンイチが、桂場等一郎そのものを見つめるということを促した。
本作についての各メディアの記事も、原爆裁判だけでなく、同性愛や夫婦別姓、尊属殺など、現代史の諸問題を作品背景として語るものばかりだった。けれど、そうした実際の画面上には写っていない要素やテーマ性ではなく、常に画面上に写っていることに目を向けさせたのが、桂場等一郎の存在だったと思う。
それだけに桂場は貴重な存在であり、本作全体を映像作品として純粋に守り抜くような役割を担った。寅子を筆頭にあらゆる登場人物を演じる俳優たちが、社会的テーマ性に気を配り過ぎるあまりに演技をやや硬直化させていた。その一方で、桂場役の松山だけがただひとり、一貫して画面を注視させ続けてくれた。
◆前景におさまっていたことが感動的
寅子以外の判事として唯一、第1回からレギュラーメンバーであり続けたのが、桂場でもある。全130回の間、桂場役の松山は、微妙に差をつけて細かな動作を繰り返しながら、役全体としての繊細な微動の表現を極めた。
第22週第108回、東京地方裁判所所長時代には、寅子が提出した意見書を能楽的にそろりと元の位置に微動させたり、最高裁判所第5代長官になると、東京家庭裁判所所長になった久藤が、家庭裁判所の父と称される多岐川幸四郎(滝藤賢一)が書いた意見書を置く第24週第120回。
書類に手を伸ばすまでの桂場の厳めしい無音の微動は、まるでサイレント映画俳優の佇まいにまで極められていた。微動の俳優・松山ケンイチの存在感をこれでもかと見せつけて迎えた第128回。尊属殺の重罰規定に対して、桂場が長官であるとともにひとりの人間として違憲判決を下した瞬間では、それまでの重々しさから少し解き放たれるように、唇を左右へむにゅむにゅと複雑に動かす(長官室に戻って引き出しから出したチョコレートを急いで口に入れるのも絶妙)。
唇から全身まで、神経をはりめぐらせて一貫した動作を繰り返した松山。第129回と続く最終回で桂場が、本編の最終カットで、カメラと視聴者に一番近い前景におさまっていたことが感動的だった。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
桂場の信念からブレず、細かな動作を繰り返して極める。松山の演技は、第1回から最終回まで徹底している。その功労の注目すべきポイントは、桂場役を通じてとにかく画面に目を向けさせたこと。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本作の松山ケンイチを総括する。
◆唯一キャラがブレなかった人物
『虎に翼』第1週第1回から最終週最終回まで、唯一ひとりだけキャラが寸分もズレず、ブレず、一貫していた人物がいる。最高裁判所第5代長官の地位までのぼりつめた孤高の判事、桂場等一郎(松山ケンイチ)だ。
司法の独立を信念として、どんな相手にも弱みを見せない。とにかく強く、堅牢に、厳格であり続ける桂場は、唇を常にへの字に固く結び、人を寄せ付けないフォームを形作る。
口角の右端から左端へ描くなだらかな唇のラインは、惚れ惚れするくらい美しい。だけど、そのラインの均衡が、大好物の甘いものを食べる瞬間にはゆるんでしまう。主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)が女学生時代から通った甘味処「竹もと」のあんこ団子に目がない。
暇を見つけては竹もとにきて、団子を2串頬張る。口を開くとき、厳めしいへの字が、今度はこれまた美しい台形のようなハの字へと豊かに変形するのである。
◆付着物が印象的
桂場が食べる甘いものは団子だけではない。第1回では、吹かしたさつまいもを持参していた。緊張の毎日の中でほっとひと息つこうと、さつまいもをジュワッと割る。なのに食べようとして必ず邪魔が入る。邪魔をするのは、もちろん寅子だ。
戦後の混乱期、家族を養うため、寅子は人事課長である桂場の元にやってきた。第1回のこの冒頭場面の続きは、本格的に戦後に時代設定が移る第10週第46回で描かれる。
最初門前払いされそうになった寅子を桂場の元へ連れてきたのは、ライアンこと、民法調査室主任・久藤頼安(沢村一樹)だった。寅子の採用をしぶる桂場に「取ってあげなよ」とアシストしつつ、桂場の鼻にさつまいもの皮なのか(?)、とにかく何か皮っぽいものが付着しているのをひとつまみ、躊躇なくさりげなく取ってやる。桂場の鼻に長いことくっついていた、この付着物が不思議と印象的なのだ。
◆第1回と最終回をきれいな一本線でつなぐ
するとやっぱり、桂場と付着物の組み合わせがもう一度、印象深く描かれることになる。第46回からずっとあと、もうとっくに忘れた頃。まさかの最終週第129回で、付着物くんが再登場(!)ときたもんだ。
竹もと改め「笹竹」になった店で、寅子の横浜家庭裁判所所長就任祝いをしているところへ、長官職を退任して早くも隠居暮らしな和装で桂場がやってくる。寅子たちを見るなり、うわっ、お前かという顔をする。
寅子が甘いものを食べようとした桂場をいつも寸止め状態にしてきたように、桂場も店で彼女と出くわすと決まってこの顔をする。で、気になる付着物。新たな季節、外に舞う桜の花びらを右眉毛の上にくっつけてきた。
◆画面に目を向けさせた存在
優秀な判事として信念を貫き通して、長官にまでなった桂場がきちんと付着物をともなって登場することにより、第1回と最終回が、きれいな付着物サンドイッチとして一本線でつながる。
第23週第111回の原爆裁判以降、加速度的に戦後の社会問題を解説する授業と化した本作にあって、時間経過とともにどんどん無駄な動きを省いていく松山ケンイチが、桂場等一郎そのものを見つめるということを促した。
本作についての各メディアの記事も、原爆裁判だけでなく、同性愛や夫婦別姓、尊属殺など、現代史の諸問題を作品背景として語るものばかりだった。けれど、そうした実際の画面上には写っていない要素やテーマ性ではなく、常に画面上に写っていることに目を向けさせたのが、桂場等一郎の存在だったと思う。
それだけに桂場は貴重な存在であり、本作全体を映像作品として純粋に守り抜くような役割を担った。寅子を筆頭にあらゆる登場人物を演じる俳優たちが、社会的テーマ性に気を配り過ぎるあまりに演技をやや硬直化させていた。その一方で、桂場役の松山だけがただひとり、一貫して画面を注視させ続けてくれた。
◆前景におさまっていたことが感動的
寅子以外の判事として唯一、第1回からレギュラーメンバーであり続けたのが、桂場でもある。全130回の間、桂場役の松山は、微妙に差をつけて細かな動作を繰り返しながら、役全体としての繊細な微動の表現を極めた。
第22週第108回、東京地方裁判所所長時代には、寅子が提出した意見書を能楽的にそろりと元の位置に微動させたり、最高裁判所第5代長官になると、東京家庭裁判所所長になった久藤が、家庭裁判所の父と称される多岐川幸四郎(滝藤賢一)が書いた意見書を置く第24週第120回。
書類に手を伸ばすまでの桂場の厳めしい無音の微動は、まるでサイレント映画俳優の佇まいにまで極められていた。微動の俳優・松山ケンイチの存在感をこれでもかと見せつけて迎えた第128回。尊属殺の重罰規定に対して、桂場が長官であるとともにひとりの人間として違憲判決を下した瞬間では、それまでの重々しさから少し解き放たれるように、唇を左右へむにゅむにゅと複雑に動かす(長官室に戻って引き出しから出したチョコレートを急いで口に入れるのも絶妙)。
唇から全身まで、神経をはりめぐらせて一貫した動作を繰り返した松山。第129回と続く最終回で桂場が、本編の最終カットで、カメラと視聴者に一番近い前景におさまっていたことが感動的だった。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu