作品のテーマ性や役柄を含め、今、日本映画界にどうやら河合優実の時代がきているらしい。
23歳である。こういう逸材の登場に対しては、ブレイクなどと軽はずみな形容はしたくないが、それでも確かにブレイクしたからには、それなりの言葉をつくして祝福したいものだ。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本人を前にしたエピソードをまじえながら、河合優実の時代を読み解く。
◆河合優実の時代
2000年12月19日生まれの河合優実は、21世紀の幕開けを宣言する存在である。NHKスペシャル「“宗教2世”を生きる」のドラマ編として放送された『神の子はつぶやく』(NHK総合、2023年)や実話に基づいてひとりの少女の受難を描いた『あんのこと』(2024年)など、2020年代の数年で彼女が演じてきた役柄からは、時代の声が色濃く聞こえてくる。
生きることの過酷さ、社会の理不尽、世界そのものの容赦ない現実。どうしてそんなに背負わなくてはいけないのかと思うくらい、その背中に重くのしかかる。清濁ないまぜに、あらゆるものをひとり引き受けようとする河合優実という俳優が、今、確かに時代を象徴している。
映画雑誌『キネマ旬報』2024年9月号で初めて表紙を飾った。「河合優実の時代はもう、はじまっていたんだ。」というフレーズが、堂々として誇らしげに感じられた。
◆“令和の山口百恵”
まったく、怒涛の勢いで、あれよあれよという間に、河合優実の時代がきてしまった感じがする。時代性ということでいえば、河合が広く知られるようになったのは、阿部サダヲ主演ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS、2024年)からだ。
同作で河合が演じたのが、1980年代から令和にタイムトラベルしてくる不適切発言を連発する体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)の一人娘である小川純子。朝っぱらから「クソジジイ」や「クソチビ」と爽快に暴言を吐きまくるスケバンながら、好きな相手の前では可憐な髪型になってみる。そのビジュアルが、“令和の山口百恵”とも評された。
昭和と令和を行き来する小川純子役を平成生まれであり、21世紀を象徴する河合が演じることが面白い。時代を疾走する存在というのは、こうしてはからずもフィクションと現実世界とを軽々と結びつけてしまうものなのだ。
◆『不適切にもほどがある!』以前の連ドラ初主演作品
『不適切にもほどがある!』以後、河合優実をブレイク俳優として語ることが可能だが、実際そんなことはどうでもいい。河合優実の魅力とは、出演作を通じてどこか時間感覚を麻痺させるようなところだ。
最大のはまり役のブレイク作がタイムスリップ物だったことが何よりの証左だが、ここで注目すべきは連ドラ初主演作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(以下、『かぞかぞ』)である。父親が亡くなり、弟がダウン症、母親は車椅子生活者。兵庫県に暮らす岸本一家の奮闘ドラマを涙あり笑いありで描く同作は、2023年にNHK BSプレミアムで放送された。
当然、『不適切にもほどがある!』以前の放送作品となる。その直後の河合のブレイクを受けてか、2024年にNHK総合で地上波放送された。筆者はてっきり、『不適切にもほどがある!』以後の、激烈でのびやかな飛躍としての連ドラ初主演作だとばかり思っていた。以前でも以後でもどちらでもいいけれど、この人はどうも見る側の時間感覚をちぐはぐにする。
◆どれほど突飛なカットでも接続可能
今、日本映画界でもっともも才能ある監督のひとりである大九明子監督は、河合のそうした特性を感覚的に理解しているのか、『かぞかぞ』は父親が生きていた過去と現在とがうまい具合にとけ合う。変にセンチメンタルな眼差しが混ざり混むことなく、過去でも現在でも河合優実の魅力的な瞬間を捉えている。
例えば、大学に通いながらいくつもバイトを掛け持ちする主人公・岸本七実(河合優実)が、家族たちを沖縄旅行に連れていく第3話。夕日の海。波音が絶えず耳をつつみこむ。「そやな」と言って振り返った七実のバストショットのすぐあと、父・岸本耕助(錦戸亮)のクロースアップが接続する。七実の眼差しの先では、目の前の景色と父の過去の姿が自然とだぶる。
単なる回想的なインサートではない。大九監督が撮るマジカルな夕日の海を見つめる河合のアップのあとならば、どれほど突飛なカットでも接続可能という感じ。ミラクルなショットのつなぎに心ときめく。
この世にいない父親が家族の団らんの中にたびたび登場する演出が最初いぶかしくも思ったが、岸本家にとってはそれが自然な景色なのだと、河合のアップが明かしてくれているようだ。不思議とマジカルな世界観も逆にリアリティがある。
◆自動販売機近くの壁際で
こんなにマジカルでミラクルな存在が日本映画界に現れたのは、いつぶりのことだろうか? 早いところ、日本を飛び出して、世界で発見されなければならない。と、勝手に思っていたら、主演映画『ナミビアの砂漠』(2024年)が、第77回カンヌ国際映画祭で、国際映画批評家連盟賞を受賞する快挙を成し遂げた。
コンペティション部門から独立した部門だが、過去には青山真治監督の『EUREKA』(2000年)や濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)など、映画史の重要作が受賞してきた。それらに後続することで日本映画の未来をひらくばかりか、河合優実の時代はこうして世界にも門戸が広かれている。
『ナミビアの砂漠』は冒頭から河合の独壇場である。河合演じる主人公・カナが赤ワインのボトルをらっぱ飲みしながら、恋人の小便を待ち、帰りのタクシーで窓をあけて吐く。
翌朝は空腹を満たすために、冷蔵庫の前に座り込んで手っ取り早くロースハムを口に放り込む。恐ろしいくらいの日常感、生活感を全身で表現する。はたまた、2人目の恋人と喧嘩し怪我をして車椅子に乗り、その恋人に激しい暴力をふるう様は、『あんのこと』と『かぞかぞ』の母親役の役柄を掛け合わせたような強烈さ。
監督は、長編初監督作『あみこ』(2017年)が大きな話題になった山中瑶子。同作が「人生を変えた」作品であることを河合は『CINEMAS+』のコラムで書いている。過酷な現実を生きるカナは、山中監督世界ならではのキャラクターであり、その世界に惚れ込んだ河合にしか演じられない。
『あみこ』撮影直前の山中監督は日本大学芸術学部映画学科に在籍していたが、日芸つながりなら、筆者の同期監督である嵐あゆみ監督作『透明の国』(2020年)の主演俳優が、河合だった。渋谷のユーロスペースでの上映会後、ロビーで河合本人と筆者は歓談した。ロビーの角、自動販売機近くの壁際で、慎ましくたたずみ、微笑んでいた。その表情を今でもはっきり覚えている。この壁際が、実は世界への扉だったりして。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
23歳である。こういう逸材の登場に対しては、ブレイクなどと軽はずみな形容はしたくないが、それでも確かにブレイクしたからには、それなりの言葉をつくして祝福したいものだ。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本人を前にしたエピソードをまじえながら、河合優実の時代を読み解く。
◆河合優実の時代
2000年12月19日生まれの河合優実は、21世紀の幕開けを宣言する存在である。NHKスペシャル「“宗教2世”を生きる」のドラマ編として放送された『神の子はつぶやく』(NHK総合、2023年)や実話に基づいてひとりの少女の受難を描いた『あんのこと』(2024年)など、2020年代の数年で彼女が演じてきた役柄からは、時代の声が色濃く聞こえてくる。
生きることの過酷さ、社会の理不尽、世界そのものの容赦ない現実。どうしてそんなに背負わなくてはいけないのかと思うくらい、その背中に重くのしかかる。清濁ないまぜに、あらゆるものをひとり引き受けようとする河合優実という俳優が、今、確かに時代を象徴している。
映画雑誌『キネマ旬報』2024年9月号で初めて表紙を飾った。「河合優実の時代はもう、はじまっていたんだ。」というフレーズが、堂々として誇らしげに感じられた。
◆“令和の山口百恵”
まったく、怒涛の勢いで、あれよあれよという間に、河合優実の時代がきてしまった感じがする。時代性ということでいえば、河合が広く知られるようになったのは、阿部サダヲ主演ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS、2024年)からだ。
同作で河合が演じたのが、1980年代から令和にタイムトラベルしてくる不適切発言を連発する体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)の一人娘である小川純子。朝っぱらから「クソジジイ」や「クソチビ」と爽快に暴言を吐きまくるスケバンながら、好きな相手の前では可憐な髪型になってみる。そのビジュアルが、“令和の山口百恵”とも評された。
昭和と令和を行き来する小川純子役を平成生まれであり、21世紀を象徴する河合が演じることが面白い。時代を疾走する存在というのは、こうしてはからずもフィクションと現実世界とを軽々と結びつけてしまうものなのだ。
◆『不適切にもほどがある!』以前の連ドラ初主演作品
『不適切にもほどがある!』以後、河合優実をブレイク俳優として語ることが可能だが、実際そんなことはどうでもいい。河合優実の魅力とは、出演作を通じてどこか時間感覚を麻痺させるようなところだ。
最大のはまり役のブレイク作がタイムスリップ物だったことが何よりの証左だが、ここで注目すべきは連ドラ初主演作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(以下、『かぞかぞ』)である。父親が亡くなり、弟がダウン症、母親は車椅子生活者。兵庫県に暮らす岸本一家の奮闘ドラマを涙あり笑いありで描く同作は、2023年にNHK BSプレミアムで放送された。
当然、『不適切にもほどがある!』以前の放送作品となる。その直後の河合のブレイクを受けてか、2024年にNHK総合で地上波放送された。筆者はてっきり、『不適切にもほどがある!』以後の、激烈でのびやかな飛躍としての連ドラ初主演作だとばかり思っていた。以前でも以後でもどちらでもいいけれど、この人はどうも見る側の時間感覚をちぐはぐにする。
◆どれほど突飛なカットでも接続可能
今、日本映画界でもっともも才能ある監督のひとりである大九明子監督は、河合のそうした特性を感覚的に理解しているのか、『かぞかぞ』は父親が生きていた過去と現在とがうまい具合にとけ合う。変にセンチメンタルな眼差しが混ざり混むことなく、過去でも現在でも河合優実の魅力的な瞬間を捉えている。
例えば、大学に通いながらいくつもバイトを掛け持ちする主人公・岸本七実(河合優実)が、家族たちを沖縄旅行に連れていく第3話。夕日の海。波音が絶えず耳をつつみこむ。「そやな」と言って振り返った七実のバストショットのすぐあと、父・岸本耕助(錦戸亮)のクロースアップが接続する。七実の眼差しの先では、目の前の景色と父の過去の姿が自然とだぶる。
単なる回想的なインサートではない。大九監督が撮るマジカルな夕日の海を見つめる河合のアップのあとならば、どれほど突飛なカットでも接続可能という感じ。ミラクルなショットのつなぎに心ときめく。
この世にいない父親が家族の団らんの中にたびたび登場する演出が最初いぶかしくも思ったが、岸本家にとってはそれが自然な景色なのだと、河合のアップが明かしてくれているようだ。不思議とマジカルな世界観も逆にリアリティがある。
◆自動販売機近くの壁際で
こんなにマジカルでミラクルな存在が日本映画界に現れたのは、いつぶりのことだろうか? 早いところ、日本を飛び出して、世界で発見されなければならない。と、勝手に思っていたら、主演映画『ナミビアの砂漠』(2024年)が、第77回カンヌ国際映画祭で、国際映画批評家連盟賞を受賞する快挙を成し遂げた。
コンペティション部門から独立した部門だが、過去には青山真治監督の『EUREKA』(2000年)や濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)など、映画史の重要作が受賞してきた。それらに後続することで日本映画の未来をひらくばかりか、河合優実の時代はこうして世界にも門戸が広かれている。
『ナミビアの砂漠』は冒頭から河合の独壇場である。河合演じる主人公・カナが赤ワインのボトルをらっぱ飲みしながら、恋人の小便を待ち、帰りのタクシーで窓をあけて吐く。
翌朝は空腹を満たすために、冷蔵庫の前に座り込んで手っ取り早くロースハムを口に放り込む。恐ろしいくらいの日常感、生活感を全身で表現する。はたまた、2人目の恋人と喧嘩し怪我をして車椅子に乗り、その恋人に激しい暴力をふるう様は、『あんのこと』と『かぞかぞ』の母親役の役柄を掛け合わせたような強烈さ。
監督は、長編初監督作『あみこ』(2017年)が大きな話題になった山中瑶子。同作が「人生を変えた」作品であることを河合は『CINEMAS+』のコラムで書いている。過酷な現実を生きるカナは、山中監督世界ならではのキャラクターであり、その世界に惚れ込んだ河合にしか演じられない。
『あみこ』撮影直前の山中監督は日本大学芸術学部映画学科に在籍していたが、日芸つながりなら、筆者の同期監督である嵐あゆみ監督作『透明の国』(2020年)の主演俳優が、河合だった。渋谷のユーロスペースでの上映会後、ロビーで河合本人と筆者は歓談した。ロビーの角、自動販売機近くの壁際で、慎ましくたたずみ、微笑んでいた。その表情を今でもはっきり覚えている。この壁際が、実は世界への扉だったりして。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu