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「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

女子SPA! 2024年10月12日 8時44分

 1966年、静岡県清水市で一家4人が惨殺された事件で死刑が確定した袴田巌さん(以下、巌さん)のやり直し裁判で静岡地裁が無罪を言い渡したことを受け、検察トップの検事総長は2024年10月8日、控訴しないことを明らかにしました。

 半世紀にわたり死刑囚として生きてきた巌さんの無罪が確定したニュースは、大きく注目されています。

 そして、長きにわたる戦いの背景には、巌さんの支援者の存在もあります。静岡県清水市で暮らす、“なかがわ”(X:@m_nkgw2000)こと中川真緒さんも、その一人です。

 無罪判決が下された当日には、Xで巌さんとのツーショット写真を投稿し話題に。「今の私にとって袴田事件は人生そのもの、ライフワークです」と笑顔を浮かべるなかがわさんに、自身の転機を尋ねました。

※このインタビューは検察側が控訴を断念することが報道される前に実施しています

◆袴田事件を通じて注目され“息切れ”も

――静岡地裁で袴田巌さんの無罪判決が出て以降、10月6日に自身のXで「実は少し息切れもしています」とポストされていたのが気になりました。

なかがわ:周囲から褒められたり、期待されたりすることが多くなり「そんなにできた人間じゃないのに……」と、恐縮する思いからのポストでした。静岡地裁での無罪判決があり、袴田さんとのツーショット写真をアップした日には、Xのフォロワーさんが300人も増えたんです。それもあって、ちょっと自分を見失ってしまったというか。でも少しずつ、自分のペースをつかめるようになってきました。

――心配でしたので、ホッとしました。袴田さんの支援活動をはじめ、現在はどのような生活を送っているのでしょう?

なかがわ:実家暮らしで、週1~2日程度はアルバイトをしています。生活の中心は袴田さんの支援活動で、親のすねをかじりながらも好きなことをやらせてもらっています。支援活動について、親も応援してくれているんです。本音ではちゃんと働いてほしいと思っているかもしれませんが、うつ病で何もできない時期もあったし、一歩前進したと捉えてくれているのかなと信じたいです。

◆興味をかきたてられ裁判を傍聴したのが転機に

――生活の中心になっている袴田事件と関わりはじめたきっかけは?

なかがわ:昨年、大学卒業後の夏に就職しないでダラダラした生活を送っていて、ふと、興味のあった裁判の傍聴に行ってみようと思ったんです。その公判が、袴田事件でした。当初は、冤罪事件であることしか知らず、せっかく傍聴へ行くならと思い、事前に深く知るために文献などを読んだんです。

何事ものめり込むと、手当たり次第に調べなければ気が済まない性格で、図書館にあった袴田事件に関する文献や事件当時の新聞、ネット上にある情報もひと通りチェックしてから、裁判所へと向かいました。地元の静岡県清水市で起きた事件だったのもあり、使命感に駆られていました。

――人生で初めて見た法廷は、どのように映りましたか?

なかがわ:世間的にも注目されている事件でしたし、警備体制が厳重だったのは強く記憶に残っています。ドラマのように、検察官と弁護士がたがいの主張を激しく言い合うわけではなく、書面を粛々と読み合って公判が進行していくのは意外で、ギャップも感じました。

――もともと、事件や裁判には興味があったんですか?

なかがわ:野次馬的な気持ちがあるのか、袴田事件に限らず、過去に起きた事件のルポルタージュやWikipediaを読むのが好きだったんです。なかでも、清水潔さんの『桶川ストーカー殺人事件―遺言―』は忘れられない一冊で、ジャーナリストとしての姿勢を尊敬しています。

◆読むこと、書くことがずっと好きだった

――自身のブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」では「フリーライター」とも、名乗っていました。

なかがわ:ちょこちょこ、お仕事をいただけるようにはなりました。でも、フリーライターの実績としては、胸を張って言えるものがまだないんです。いつか、大きなお仕事にもたずさわってみたいです。

――何かを書いて伝えるのは、昔から好きだったんですか?

なかがわ:そもそも、本が好きだったんです。高校時代は新聞部に入って、好き勝手な記事を書いていましたね。学校の新聞なんて「誰も見ていない」と思って、生徒会長へのインタビューのような王道の企画ではなく、授業中に内職をしている生徒に「内職の極意」を聞いたり、今思えば、とがった記事を作っていました(笑)。大学は文学部へと進み、小説サークルで趣味として作品を書いて、文章を書くのはずっと好きでした。

◆はじめは市民運動へ参加することに抵抗感も

――袴田さんの支援活動に参加しようと思ったきっかけは?

なかがわ:支援者の方々との出会いは、初公判のときでした。じつは、傍聴の抽選でハズれてしまい、行き場を失っている私に、高齢の支援者さんが「記者さんですか?」と声をかけてくださって、ほかの支援者の方々にもご挨拶することができたんです。巌さんの姉であるひでこさん、弁護士の方々、支援者の方々の熱気に胸を打たれて、私も「何かしたい」という気持ちが湧き、その場で「何かしたいです!」と宣言しました。

――支援者の方々の年齢層はいかがでしょう。すでにある輪に加わるのもなかなか、ハードルが高かったのかなと。

なかがわ:88歳の巌さんと近い世代、70代の方々が多い印象ですね。ただ、年齢が問題なわけではなく、いわゆる市民運動に参加することに抵抗感は多少ありました。でも、支援者の方々と交流を重ねるにつれて、みなさんの優しさが身にしみて、気づいたら私も輪に加わっていました。ネットの時代でありながら、リアルで問題に対して大きな声を上げる活動にも衝撃を受けて、今、自分も参加している姿が想像できなかったです。巌さんやひで子さん、支援者の方々といろんなお話ができるのも楽しくて、続けられています。

――なかがわさんは実際、どのような支援活動を行っていますか?

なかがわ:個人のSNSやブログで発信をしながら、袴田さん支援団体の定例会にも参加しています。ビラまき用のビラもデザインして、無罪判決に向けて、検察庁や裁判所への要請活動にも参加しました。

◆支援者の一言「会ってみれば?」で巌さんと対面

――精力的に活動する中では、当事者の巌さんや、その姉であるひで子さんと関わるようになったきっかけは?

なかがわ:浜松市が拠点の袴田さんを支援する団体「見守り隊」の方に「会ってみれば?」と言われて、袴田さんのご自宅に伺ったのが最初です。

――静岡地裁で巌さんの無罪判決が出た当日、Xのポストでは巌さんとのツーショット写真をアップしていました。

なかがわ:ご自宅で「おいくつですか?」と聞いたら「儀式があってだな、23歳になったんだ」と巌さんがおっしゃって、「同い年ですね! お友達になってください!」と言ったら「いいよ」と答えてくださったんです。巌さんとのツーショットと共に、ひで子さんも揃ったスリーショットも撮りました。

――なかがわさんから見た、巌さんとひで子さんの印象も伺いたいです。

なかがわ:巌さんは優しい方で、そこにいるだけで私も笑顔になれるような印象で、守りたくなる感じもします。出会った当初は警戒されていたのか、あんまり気さくには話しかけられなかったんですが、何度かお会いして、魅力的な人柄でいらっしゃるんだろうと思うようになりましたね。

ひで子さんからは戦争のお話も伺ったことがあります。なぜ、弟のために頑張れるのか不思議でしたが、それも周りを笑顔にしてくださる巌さんがいるからこそなんだろうなと、接している中で思いました。

◆無罪判決の日「みなさんの表情が一気にパッと明るく」

――ご本人の温かさも知るなかがわさんは、静岡地裁で無罪判決が出た当日に何を思ったのでしょう?

なかがわ:無罪判決が出た直後は、実感が湧かなかったです。でも、支援者の方々が喜び、みなさんの表情が自然と一気にパッと明るくなったのを見たら実感が湧いてきて、私もうれしくなりました。

警察や検察にでっち上げられた事件だと思いますし、逮捕から無罪判決まで58年もかかったのは許せず、あってはいけないことだと感じています。民事での国家賠償請求も可能性があり、刑事裁判では出せなかった証拠も出せると聞いたので、事件がより掘り下げられるのを期待していますし、私も広く伝えなければと思っています。

――その後の賠償があったとしても、巌さんが奪われた“58年”もの時間を取り戻すことはできませんし、お金には代えられないとも思います。

なかがわ:弁護団の方々が民事で国家賠償を求める可能性もありますが、けっして、お金目当てではないんです。民事裁判では、刑事裁判では出せなかった証拠も出せると聞きますし、事件をより深堀りできると期待して、私もブログなどで広く伝えなければと思っています。

◆「何十年も戦ってこられた方々」に励まされて

――世間から大きく注目される物事に対して、ネットではっきりとした意見を表明するのは、怖さもあったのではないかと思います。

なかがわ:ネットでは匿名でワーワー言う人もいますし、怖かったです。でも、だからこそあえて顔も名前も出してしっかり自分の意思を表明するのが大事だとも思って、袴田事件をきっかけに腹をくくりました。何かしたいと思ったときに、匿名でやっても意味がないと考えたのは衝動的でしたけど、何十年も戦ってこられた方々と一緒に活動するなら、私も負けないようににしなければという一心でした。

――実際にネットで批判的な意見が飛んでくることはありましたか?

なかがわ:批判的な意見は、意外にも少ないですね。ただ、ブログに「将来はどうするんですか? このままだと曖昧な人生になりそうですね」といったコメントをいただいたことはあります。心配して言ってくださっているんだろうとは思うのですが……。

――袴田事件への主張に関する批判でもないし、複雑な気持ちになりますね……。ちなみに、袴田さんの支援活動では、幅広い年齢層の同世代の方もいらっしゃいますか?

なかがわ:1人だけ、30代手前の方がいらっしゃるくらいで、若くても50代、60代の方々がほとんどです。可愛がっていただいていますし、人生経験豊富な方々に囲まれる環境で、学ぶこともたくさんあります。特に、再審決定の決め手にもなった「味噌漬け実験」(犯行時の着衣とされた衣類を味噌に漬けて血痕の色変化を検証した実験)を実行した支援者の山崎俊樹さん(袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会)や、小川秀世弁護士(弁護団の事務局長)をはじめとする、支援者・弁護士の方々の行動力には影響を受けて、今も交流する機会がありますし、私も「使命感を信じて、思い立ったら行動しなければ」と励まされました。

――たくさんの方々に影響を受けて、そばで見守るご両親からも「変わった」と言われそうです。

なかがわ:明るくなったと言われます。寛解とまではいかないんですけど、うつ病だった私が接客のアルバイトへ行けるようになったほどで、変化には自分も驚いています。うつ病で一番ひどかった当時は、まともに起きられなかったし、気持ちも真っ暗な中で、将来にずっと不安を抱えていたんです。でも、袴田事件に関わって目の前の世界が明るくなったし、様々な背景を持つ支援者の方々とのふれあいを通して、長い人生で「好きなことを追い求められたら」と前向きになりました。

――現在は24歳ですが、ご自身と同世代の方々に伝えたいメッセージはありますか?

なかがわ:実名で堂々と意見を主張するのは、素晴らしい何かをなしとげたひと握りの方にしか認められていない印象もあったんです。でも、私のような何もなかった人でも、主張する勇気を持てましたし、「誰でも自由に発信していいんだよ」と伝えたいです。

――ライフワークである袴田事件への思いも、最後に伺いたいです。

なかがわ:支援活動や裁判を通して、袴田事件を生で見てきた者として、同世代に伝えていきたいこともあります。文章や講演で、下の世代にも「これほどの事件があった」と語り継ぎたいですし、同世代を支援活動に巻き込んでいきたいです。

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 このインタビュー後、10月8日には検察が控訴を断念し、袴田さんの無罪が確定した。その一報を受けて、なかがわさんは「早く巌さんの手を握って『おめでとうございます』と言いたい」とコメントを寄せてくれた。

 しかし同日、最高検察庁の畝本直美検事総長が事件の一連の流れへの見解を示した「検事総長 談話」については「正直、人の心があると思えなかった」と憤り、「これほどひどい人権侵害への謝罪を『長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて、申し訳なく思っている』というよく分からない、曖昧な日本語で表現していたのは驚きました。巌さんにしっかり謝罪してほしい」と願う。

 たぎる思いを抱くなかがわさんは「袴田事件を『よかった』の一言で終わらせないことが、若い世代としての使命とも思っていますし、司法制度改革、冤罪被害者救済の活動にも力を注ぎたいです」との決意を胸に、信念を貫き続ける。

<取材・文/カネコシュウヘイ>

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