『セクシー田中さん』(小学館刊)の8巻が10月10日に発売されました。作者である芦原妃名子(あしはら・ひなこ)先生が今年1月に逝去されたことで“未完”の最終巻に。
長年、芦原先生の作品に魅了されてきた筆者は、未だ心に残る哀しい気持ちと共にページをめくりました。涙なくしては最後まで読めなかった『セクシー田中さん』8巻について、ご紹介させてください。
※以下、同書の裏表紙・帯に記載の情報以外で、本編物語の核心に触れるネタバレはありません。
◆生きづらさを抱えた現代人に優しく寄り添ってくれる
『セクシー田中さん』では、アラフォーで地味な経理部のOL・田中さんと、婚活に励む派遣OL・朱里が、年齢を超えて友情を築いていきます。また田中さんが憧れている打楽器奏者・三好(既婚者)や、偏見まみれだったが田中さんに影響される銀行マン・笙野など、ふたりを取り巻く登場人物たちが刺激し合って成長する物語。
「自己肯定感の低さ故に生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添えるような作品にしたい」という芦原先生の想いがつまった作品です。(上記「」内は『セクシー田中さん』8巻より。また芦原先生が生前ブログに綴られた内容/現在は削除)
◆人間としての解像度が高く、ご都合的なキャラも“悪者”もいない
ご都合的に登場するキャラが一人もいない。キャラクター造形を固定観念の枠にハメることも、登場人物の誰かを一方的に悪者にすることもしない。登場人物たちを一面的に捉えることなく、人間としての解像度が高い描き方がとても秀逸です。
そんなキャラクターたちの人生が、さまざまな出逢いによって思いもよらない方向へと展開していくところに、惹きこまれていきます。そして、読む者の心に優しく寄り添ってくれるセリフが随所に散りばめられており、実に芦原先生らしい作品といえるでしょう。
◆たっぷり90ページ、“不倫”を多角的に描いた「15幕」
8巻の巻頭にはまず、名ゼリフが添えられた美しいカラー絵が4P収録。その後、最新話となる15幕の1話だけが収録されています。
“1話だけ”といっても、もともと『セクシー田中さん』は1巻につき、2話ずつの収録。今回の15幕も90ページあり、読み応えのあるボリュームです。
ずっと片想いだった三好と初デートをすることになった田中さんが、全く違う世界で生きてきた三好との付き合い方に戸惑い、さらに“不倫”という言葉に翻弄(ほんろう)されていく様子が描かれています。
◆優しい視点が心に“ぶっささる”最終巻の「名ゼリフ」
ひとりでも多くの人に本編を読んでほしいのでネタバレは避けますが、田中さんの会社の同僚・百瀬や、三好の友人たちとの会話から、“不倫”に対する多様な価値観が浮き彫りになったことが、筆者には印象的でした。
なかでも、次のセリフは、決して“不倫”に関してだけでなく、自分自身の在り方として大切にしたいと思うものでした。
「…不安になると 世間の「常識」で
つい 相手を 裁こうと してしまう
今 目の前に いてくれる相手を
しっかり 知るほうが先なのに」
芦原先生がどれだけ優しく世界を観ていたのかを象徴しているようなセリフ。取り繕われた正論ではない、強くて優しくて美しい言葉が、心にぶっささりました。
◆「編集後記」に綴られた“この先の物語”に驚きと興奮
15幕は「えっ?! どういうこと?」というラスト。連載漫画で次回への“引き”が最後にくるのは必然なので、こればかりは仕方ありません。
が、芦原先生が先々まで練られていた構想の一部――物語の“この先”が、編集後記として文章で綴られています。
芦原先生のご家族のご了承を得て掲載されたというその貴重な文章には、「なるほど、そうくるのか!」「まさか、そんな展開に?!」「やっぱり朱里のキャラ最高じゃん!」「田中さん、がんばれ~!!!」などなど、何話分も読んだような驚きと興奮を覚えました。
もちろん「芦原先生の絵で、構成で、セリフで、物語の続きが読みたかった」。その想いはどこまでもぬぐい切れないけれど、芦原先生のご家族と編集部の方々が届けてくれた“この先”は、希望に満ち溢れているように感じました。
◆同時収録の短編も、どこまでも芦原作品らしくて涙
2016年に『月刊flowers11月号』(小学館刊)に掲載された読み切り作品『winter fool』も収録されています。
年末に故郷へと帰ってきた主人公・あづさが、とある不思議な男に出会う物語。雪に囲まれた故郷で繰り広げられるストーリーにも、芦原先生らしいハッとさせられるセリフと、いい意味で王道ではない展開が用意されています。
心にポッと灯りがともるようなラストの光景には、芦原先生のことを想わずにはいられない美しさと切なさがあり、涙を止めることができませんでした。
◆ファンとして、哀しみと悔しさはなくならないけれど
『セクシー田中さん』の続きが、もう二度と読めないこと。いつか生まれるはずだった芦原先生の新たな作品に出会えないこと。ファンとして、その哀しみと悔しさは決してなくならないでしょう。それでも、芦原先生が紡がれてきた言葉は、物語は、私たちの心に残っています。
曲がった背筋を、何度も、何度でも伸ばして今日を生きていこう。改めて、そう思わされる『セクシー田中さん』8巻でした。芦原妃名子先生。素敵な作品を、ありがとうございました。
<文/鈴木まこと(tricle.ltd)>
【鈴木まこと】
tricle.ltd所属。雑誌編集プロダクション、広告制作会社勤務を経て、編集者/ライター/広告ディレクターとして活動。日本のドラマ・映画をこよなく愛し、年間ドラマ50本、映画30本以上を鑑賞。Twitter:@makoto12130201
長年、芦原先生の作品に魅了されてきた筆者は、未だ心に残る哀しい気持ちと共にページをめくりました。涙なくしては最後まで読めなかった『セクシー田中さん』8巻について、ご紹介させてください。
※以下、同書の裏表紙・帯に記載の情報以外で、本編物語の核心に触れるネタバレはありません。
◆生きづらさを抱えた現代人に優しく寄り添ってくれる
『セクシー田中さん』では、アラフォーで地味な経理部のOL・田中さんと、婚活に励む派遣OL・朱里が、年齢を超えて友情を築いていきます。また田中さんが憧れている打楽器奏者・三好(既婚者)や、偏見まみれだったが田中さんに影響される銀行マン・笙野など、ふたりを取り巻く登場人物たちが刺激し合って成長する物語。
「自己肯定感の低さ故に生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添えるような作品にしたい」という芦原先生の想いがつまった作品です。(上記「」内は『セクシー田中さん』8巻より。また芦原先生が生前ブログに綴られた内容/現在は削除)
◆人間としての解像度が高く、ご都合的なキャラも“悪者”もいない
ご都合的に登場するキャラが一人もいない。キャラクター造形を固定観念の枠にハメることも、登場人物の誰かを一方的に悪者にすることもしない。登場人物たちを一面的に捉えることなく、人間としての解像度が高い描き方がとても秀逸です。
そんなキャラクターたちの人生が、さまざまな出逢いによって思いもよらない方向へと展開していくところに、惹きこまれていきます。そして、読む者の心に優しく寄り添ってくれるセリフが随所に散りばめられており、実に芦原先生らしい作品といえるでしょう。
◆たっぷり90ページ、“不倫”を多角的に描いた「15幕」
8巻の巻頭にはまず、名ゼリフが添えられた美しいカラー絵が4P収録。その後、最新話となる15幕の1話だけが収録されています。
“1話だけ”といっても、もともと『セクシー田中さん』は1巻につき、2話ずつの収録。今回の15幕も90ページあり、読み応えのあるボリュームです。
ずっと片想いだった三好と初デートをすることになった田中さんが、全く違う世界で生きてきた三好との付き合い方に戸惑い、さらに“不倫”という言葉に翻弄(ほんろう)されていく様子が描かれています。
◆優しい視点が心に“ぶっささる”最終巻の「名ゼリフ」
ひとりでも多くの人に本編を読んでほしいのでネタバレは避けますが、田中さんの会社の同僚・百瀬や、三好の友人たちとの会話から、“不倫”に対する多様な価値観が浮き彫りになったことが、筆者には印象的でした。
なかでも、次のセリフは、決して“不倫”に関してだけでなく、自分自身の在り方として大切にしたいと思うものでした。
「…不安になると 世間の「常識」で
つい 相手を 裁こうと してしまう
今 目の前に いてくれる相手を
しっかり 知るほうが先なのに」
芦原先生がどれだけ優しく世界を観ていたのかを象徴しているようなセリフ。取り繕われた正論ではない、強くて優しくて美しい言葉が、心にぶっささりました。
◆「編集後記」に綴られた“この先の物語”に驚きと興奮
15幕は「えっ?! どういうこと?」というラスト。連載漫画で次回への“引き”が最後にくるのは必然なので、こればかりは仕方ありません。
が、芦原先生が先々まで練られていた構想の一部――物語の“この先”が、編集後記として文章で綴られています。
芦原先生のご家族のご了承を得て掲載されたというその貴重な文章には、「なるほど、そうくるのか!」「まさか、そんな展開に?!」「やっぱり朱里のキャラ最高じゃん!」「田中さん、がんばれ~!!!」などなど、何話分も読んだような驚きと興奮を覚えました。
もちろん「芦原先生の絵で、構成で、セリフで、物語の続きが読みたかった」。その想いはどこまでもぬぐい切れないけれど、芦原先生のご家族と編集部の方々が届けてくれた“この先”は、希望に満ち溢れているように感じました。
◆同時収録の短編も、どこまでも芦原作品らしくて涙
2016年に『月刊flowers11月号』(小学館刊)に掲載された読み切り作品『winter fool』も収録されています。
年末に故郷へと帰ってきた主人公・あづさが、とある不思議な男に出会う物語。雪に囲まれた故郷で繰り広げられるストーリーにも、芦原先生らしいハッとさせられるセリフと、いい意味で王道ではない展開が用意されています。
心にポッと灯りがともるようなラストの光景には、芦原先生のことを想わずにはいられない美しさと切なさがあり、涙を止めることができませんでした。
◆ファンとして、哀しみと悔しさはなくならないけれど
『セクシー田中さん』の続きが、もう二度と読めないこと。いつか生まれるはずだった芦原先生の新たな作品に出会えないこと。ファンとして、その哀しみと悔しさは決してなくならないでしょう。それでも、芦原先生が紡がれてきた言葉は、物語は、私たちの心に残っています。
曲がった背筋を、何度も、何度でも伸ばして今日を生きていこう。改めて、そう思わされる『セクシー田中さん』8巻でした。芦原妃名子先生。素敵な作品を、ありがとうございました。
<文/鈴木まこと(tricle.ltd)>
【鈴木まこと】
tricle.ltd所属。雑誌編集プロダクション、広告制作会社勤務を経て、編集者/ライター/広告ディレクターとして活動。日本のドラマ・映画をこよなく愛し、年間ドラマ50本、映画30本以上を鑑賞。Twitter:@makoto12130201