トップアーティストのタトゥーに議論が二分しています。Ayase(YOASOBI)と優里がそれぞれのXアカウント、インスタアカウントで前腕に刻まれた彫り物を披露したところ、違和感を覚えるネットユーザーが続出。
「音楽のイメージと合わない」とか「見た目が怖すぎる」、「見せびらかす感じが嫌だ」「イキっているだけに見える」などと、多くが批判的な意見でした。
大前提として、タトゥーを入れることは条例違反でも法律違反でもありません。各々の判断で好きにしたらいい。その行為自体を否定するのはナンセンスです。
ただし、ネットのコメントでもあったように、イメージの問題は重要。個人の好感度もあるでしょうが、それ以上に歌っている曲との兼ね合いで、彼らの彫り物がどのように見えるのか。つまり、全体のコーディネートの話になってくるのです。
◆YOASOBIのフレンドリーなサウンドに対するAyaseのタトゥーが発する自我
まずYOASOBIはどんな曲を歌っているか。幅広い世代に浸透した「アイドル」、高校生のダンスでも人気を博した「群青」を筆頭に、いまや日本で一番売れるポップスだと言っても差し支えないでしょう。
そこまで売れるためには、熱心なファン以外に、とりあえず聞いてみてくれる“無関心な部外者”の存在が必要です。その人たちでも大丈夫そうだなと思える親しみやすさがあるから、YOASOBIはメガヒットを飛ばしているのです。
多くの人が嫌悪感を示したのは、ユーザーフレンドリーなサウンドに対して、Ayaseのタトゥーが発する自我がハレーションを起こしているように見えたからなのではないでしょうか。
彼がもともとメタルコアなどのラウドロックバンドで活動していたことを知っているのは少数派なので、ほとんどの人は驚いたのだろうと想像できます。とはいえ、それを知っていたとしても、現に眉をひそめる人はいる。
これはパブリックイメージと実像が不幸にも乖離(かいり)してしまったケースと言えるでしょう。
◆優里のハートウォーミングな曲と虎や蛇の彫りのミスマッチ
Z世代に刺さりまくったラブソング「ドライフラワー」で大ヒットした優里も、最近ではハートウォーミングな曲を歌っています。「ビリミリオン」は、“どんな人生にも100億円以上の価値があるんだから頑張れ”と背中を押す一曲です。
この道徳の教科書を100倍に希釈したメッセージに感動したリスナーが、優里の腕に彫り込まれた虎や蛇の絵柄を見たらどう思うでしょうか?
“イメージが悪くなった”とは、タトゥー単体ではなく、音楽とセットで見たときにマッチしていない状況のことを言っているのだと思います。
◆B’z稲葉浩志、L’Arc~en~Ciel Hydeら馴染むケースも
たとえば、日本人で初めてMTVのVMAのメインショーに登場したラッパーの千葉雄喜も全身にタトゥーが入っていますが、それをとやかく言う人はいません。
好き嫌いはあっても、彼の姿形と音楽、タトゥーの関係性に、それなりの根拠があると感じられるから認められる。考え方と言動と作品が同じ方向を向いているケースですね。千葉雄喜という存在の統一感が、タトゥーをなじませているのです。
そこまでの本気度は感じさせなくても、アクセサリーとしてタトゥーを上手に使っているアーティストもたくさんいます。B’zの稲葉浩志、L’Arc~en~CielのHydeなどは、なくてはならない一要素として、彼らのキャラクターに馴染んでいる。
何が似合うかをわかってやっているから、かっこよさが先立つわけですね。
◆Ayaseや優里自身よりもタトゥーの存在感が大きいのが問題
そう考えると、Ayaseや優里のタトゥーが悪目立ちしてしまうのは、いずれの条件も満たせていないからなのではないでしょうか。
Ayaseのケースは不運な面もありますが、似合う似合わない以前に、彼ら自身よりもタトゥーの存在感の方が大きい点ではいっしょ。実はこれが一番の問題なのだと思います。
だから増え続ける図柄に、個性が埋没(まいぼつ)していくように見えるのです。
ただのお小言と侮るなかれ。けっこう世間は音楽を通じて人を見ているものなのですから。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
「音楽のイメージと合わない」とか「見た目が怖すぎる」、「見せびらかす感じが嫌だ」「イキっているだけに見える」などと、多くが批判的な意見でした。
大前提として、タトゥーを入れることは条例違反でも法律違反でもありません。各々の判断で好きにしたらいい。その行為自体を否定するのはナンセンスです。
ただし、ネットのコメントでもあったように、イメージの問題は重要。個人の好感度もあるでしょうが、それ以上に歌っている曲との兼ね合いで、彼らの彫り物がどのように見えるのか。つまり、全体のコーディネートの話になってくるのです。
◆YOASOBIのフレンドリーなサウンドに対するAyaseのタトゥーが発する自我
まずYOASOBIはどんな曲を歌っているか。幅広い世代に浸透した「アイドル」、高校生のダンスでも人気を博した「群青」を筆頭に、いまや日本で一番売れるポップスだと言っても差し支えないでしょう。
そこまで売れるためには、熱心なファン以外に、とりあえず聞いてみてくれる“無関心な部外者”の存在が必要です。その人たちでも大丈夫そうだなと思える親しみやすさがあるから、YOASOBIはメガヒットを飛ばしているのです。
多くの人が嫌悪感を示したのは、ユーザーフレンドリーなサウンドに対して、Ayaseのタトゥーが発する自我がハレーションを起こしているように見えたからなのではないでしょうか。
彼がもともとメタルコアなどのラウドロックバンドで活動していたことを知っているのは少数派なので、ほとんどの人は驚いたのだろうと想像できます。とはいえ、それを知っていたとしても、現に眉をひそめる人はいる。
これはパブリックイメージと実像が不幸にも乖離(かいり)してしまったケースと言えるでしょう。
◆優里のハートウォーミングな曲と虎や蛇の彫りのミスマッチ
Z世代に刺さりまくったラブソング「ドライフラワー」で大ヒットした優里も、最近ではハートウォーミングな曲を歌っています。「ビリミリオン」は、“どんな人生にも100億円以上の価値があるんだから頑張れ”と背中を押す一曲です。
この道徳の教科書を100倍に希釈したメッセージに感動したリスナーが、優里の腕に彫り込まれた虎や蛇の絵柄を見たらどう思うでしょうか?
“イメージが悪くなった”とは、タトゥー単体ではなく、音楽とセットで見たときにマッチしていない状況のことを言っているのだと思います。
◆B’z稲葉浩志、L’Arc~en~Ciel Hydeら馴染むケースも
たとえば、日本人で初めてMTVのVMAのメインショーに登場したラッパーの千葉雄喜も全身にタトゥーが入っていますが、それをとやかく言う人はいません。
好き嫌いはあっても、彼の姿形と音楽、タトゥーの関係性に、それなりの根拠があると感じられるから認められる。考え方と言動と作品が同じ方向を向いているケースですね。千葉雄喜という存在の統一感が、タトゥーをなじませているのです。
そこまでの本気度は感じさせなくても、アクセサリーとしてタトゥーを上手に使っているアーティストもたくさんいます。B’zの稲葉浩志、L’Arc~en~CielのHydeなどは、なくてはならない一要素として、彼らのキャラクターに馴染んでいる。
何が似合うかをわかってやっているから、かっこよさが先立つわけですね。
◆Ayaseや優里自身よりもタトゥーの存在感が大きいのが問題
そう考えると、Ayaseや優里のタトゥーが悪目立ちしてしまうのは、いずれの条件も満たせていないからなのではないでしょうか。
Ayaseのケースは不運な面もありますが、似合う似合わない以前に、彼ら自身よりもタトゥーの存在感の方が大きい点ではいっしょ。実はこれが一番の問題なのだと思います。
だから増え続ける図柄に、個性が埋没(まいぼつ)していくように見えるのです。
ただのお小言と侮るなかれ。けっこう世間は音楽を通じて人を見ているものなのですから。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4