10月6日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ)に出演した笠松将が、政治に対して「無関心」だと話題である。
まただよ。関心・無関心問わず、芸能人が政治にからんだ途端にこうなる。でも笠松の無関心の場合、政治的無関心を包み込んだ政治的態度とも考えられる。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、政治的な発言を多く遺した昭和の名優にふれながら、笠松の希少な気質を読み解く。
◆確かに正論だけれど……
「政治は僕、まったく詳しくないんで」
『ワイドナショー』に初めてコメンテーター出演した笠松将が、そう前置きしながら、10月1日の石破茂総理による就任会見映像に対して「嘘ばっかり」と言うMCの東野幸治にふられ、「石破さんの『言ってたことと違う論争』でいうと、誰がなってもこうなる。そうなると、つついている部分が違うというか、周りに原因があるのかなと。石破さんをたたくのは違うのかなと思います」とコメントした。
麻生太郎最高顧問の話題では、東野が「権力闘争に対しては興味もないし、そんなことよりも」と笠松のコメント中に代弁的に補足しようとすると、「僕はそもそも詳しくないんで、知らない漫画の13巻からでてきたマンガキャラクターたちがすごいこんなんやってるけどみたいな、誰だよっていう。もちろん知ってますけどねみなさん」と。
フリーアナウンサーの豊崎由里絵がすかさず「おっしゃることわかりますけどでもこのあとやっぱ選挙があるので、ボールが私たちに投げられちゃうわけですよね。それを考えると、この人がどういう人で、今後どういうことを計画してるのかっていうのは、やっぱり今みておかないとなかなか選挙行動に結びつかない」と食いぎみで制する。確かに正論だけれど……、もうほんと勘弁してくれ。
◆「ぶっちゃけ、えっ、時間もったいなくない?」
この続きはあまたのこたつ記事にお任せしたいところだが、でもこのコラム内で笠松の発言のいいところだけが切り取られて誤読されるのは嫌なので、もう少しだけ詳述してみる。
豊崎からの指摘を受けて「そこが結局は、でも何もじゃあよくなったか、わるくなったかっていったときに、よくなってないが何年も続いてるわけですよね。もちろん、よくなってるとこもある。悪いところもある。てなったときにじゃあみててもみてなくてもそうなるんだったら、もっとなんか他のことやったほうがって、思っちゃうんですよね、僕は」と笠松。
さらに「ぶっちゃけ、えっ、時間もったいなくない?」と続ける。笠松の発言に対して、東野からコメントを求められた泉谷しげるが「ばか野郎ですよ」と言ってスタジオは笑っていた。
◆泉谷しげるの発言「国民が変わっていけばいいだけ」は…
「政治家が変えられないってことはみんなわかってるわけでしょ。選んどいて自分たちが変わっていくのさ。国民が変わっていけばいいだけの話じゃん」と諭すように語る泉谷は、いい感じのことを言ってる気もするが、ちょっと乱暴な言い方かなとも感じる。
国民が変わるというより、国民が選ぶ政治家が変わると言った方がより正確である。石破内閣では何より内閣支持率が重要で、国民を味方につけなければならないのに、早期解散によって衆議院選挙の投開票が10月27日に行われる。国民の「判断材料」は? 東野が言うように単に「嘘ばっかり」内閣なのか。当初の石破総理に対する民意が問われるわけだから「選挙行動」は必須。
選挙が近いのに政治に対する無関心が広まってしまっては困る。でもMCの口から最初に発せられたこの無関心という言葉ばかりが強調されるのは、なんだかあまりにも野暮ったい。
◆ワイドショーと政治的無関心
コメンテーターとしての笠松は単なる無関心な人でしかないのだろうか? ワイドショーと政治的無関心。ここでつい思い出してしまうのは、音楽の使用法や駄弁的語り口など、映像すべてが悪態をついているようにしか見えなかった映画『ジョーカー』(2019年)での台詞である。
同作のクライマックス、主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)が憧れの人気テレビショーに出演して「僕は政治には無関心」と発言する。司会者マレー(ロバート・デ・ニーロ)を射殺したあげく、暴徒化した民衆からカリスマ的支持を受ける。政治的無関心者による社会的行動が、世界の不都合な真実を明かしてしまった。
笠松にとってのワイドショーも不都合なものでしかなかった。つまり、キャスティング云々含めて、わざわざ出演する必要があったのかということ。政治の話題にコメントをするとわかっていて、ワイドショーの場に出演していること自体がれっきとした政治的なひとつの態度表明でもある。
はっきり政治の話をしなくたって、常日頃から社会に参画するぼくらはどうしたって無意識のうちに政治的存在である。政治的無関心を「今の若者は!」的な論調でいちいち批判することがそもそも野暮なのだ。
◆ヤクザ役で出演した笠松の希少な気質
「憲法には言論の自由が定められている。それに従って語るだけ」
「どうして芸能人が原発問題を語るのか」と記者から聞かれた菅原文太が簡潔に答えている。あぁ、文太さんのような方がいたらなぁ。晩年の菅原は政治的な人だった。2014年の沖縄県知事選挙の演説台に立った名文句がある。
「政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせない事、安全な食べ物を食べさせる事。もう一つは……、これはもっとも大事です。絶対に戦争をしない事」。
一方で彼は映画俳優として、加藤泰監督の『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年・雪に落ちるみかんの美しいこと!)や加藤監督の助監督だった本田達男監督のデビュー作『まむしの兄弟 お礼参り』(1971年)など、昭和のヤクザ映画スターの金看板で娯楽を享受する映画観客をただただ楽しませた。
『TOKYO VICE』(WOWOW、2022年)で若いヤクザ役を演じた笠松のたたずまいも素晴らしかった。あれは今どき希少な映画俳優の気質である。菅原文太をわざわざ引き合いにだしてまで、別に笠松の無関心そのものを擁護しようというわけではない。
日本では芸能人が政治的なものにからんだ発言をするといつもこうなる。政治的発言をはっきりしたら政治的発言はするな。政治的無関心を表明する発言をしてもこうした似たような賑わいになる。
何が政治的で何が政治的でないのか。そして芸能人が政治的発言をしたら干されるのか。そんなことに関心を寄せることがそれこそ「時間もったいなくない?」と強調しておきたい。総選挙は近い。不都合な世界を生きる国民が、また別の人を選びなおすことになるのか、どうか。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
まただよ。関心・無関心問わず、芸能人が政治にからんだ途端にこうなる。でも笠松の無関心の場合、政治的無関心を包み込んだ政治的態度とも考えられる。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、政治的な発言を多く遺した昭和の名優にふれながら、笠松の希少な気質を読み解く。
◆確かに正論だけれど……
「政治は僕、まったく詳しくないんで」
『ワイドナショー』に初めてコメンテーター出演した笠松将が、そう前置きしながら、10月1日の石破茂総理による就任会見映像に対して「嘘ばっかり」と言うMCの東野幸治にふられ、「石破さんの『言ってたことと違う論争』でいうと、誰がなってもこうなる。そうなると、つついている部分が違うというか、周りに原因があるのかなと。石破さんをたたくのは違うのかなと思います」とコメントした。
麻生太郎最高顧問の話題では、東野が「権力闘争に対しては興味もないし、そんなことよりも」と笠松のコメント中に代弁的に補足しようとすると、「僕はそもそも詳しくないんで、知らない漫画の13巻からでてきたマンガキャラクターたちがすごいこんなんやってるけどみたいな、誰だよっていう。もちろん知ってますけどねみなさん」と。
フリーアナウンサーの豊崎由里絵がすかさず「おっしゃることわかりますけどでもこのあとやっぱ選挙があるので、ボールが私たちに投げられちゃうわけですよね。それを考えると、この人がどういう人で、今後どういうことを計画してるのかっていうのは、やっぱり今みておかないとなかなか選挙行動に結びつかない」と食いぎみで制する。確かに正論だけれど……、もうほんと勘弁してくれ。
◆「ぶっちゃけ、えっ、時間もったいなくない?」
この続きはあまたのこたつ記事にお任せしたいところだが、でもこのコラム内で笠松の発言のいいところだけが切り取られて誤読されるのは嫌なので、もう少しだけ詳述してみる。
豊崎からの指摘を受けて「そこが結局は、でも何もじゃあよくなったか、わるくなったかっていったときに、よくなってないが何年も続いてるわけですよね。もちろん、よくなってるとこもある。悪いところもある。てなったときにじゃあみててもみてなくてもそうなるんだったら、もっとなんか他のことやったほうがって、思っちゃうんですよね、僕は」と笠松。
さらに「ぶっちゃけ、えっ、時間もったいなくない?」と続ける。笠松の発言に対して、東野からコメントを求められた泉谷しげるが「ばか野郎ですよ」と言ってスタジオは笑っていた。
◆泉谷しげるの発言「国民が変わっていけばいいだけ」は…
「政治家が変えられないってことはみんなわかってるわけでしょ。選んどいて自分たちが変わっていくのさ。国民が変わっていけばいいだけの話じゃん」と諭すように語る泉谷は、いい感じのことを言ってる気もするが、ちょっと乱暴な言い方かなとも感じる。
国民が変わるというより、国民が選ぶ政治家が変わると言った方がより正確である。石破内閣では何より内閣支持率が重要で、国民を味方につけなければならないのに、早期解散によって衆議院選挙の投開票が10月27日に行われる。国民の「判断材料」は? 東野が言うように単に「嘘ばっかり」内閣なのか。当初の石破総理に対する民意が問われるわけだから「選挙行動」は必須。
選挙が近いのに政治に対する無関心が広まってしまっては困る。でもMCの口から最初に発せられたこの無関心という言葉ばかりが強調されるのは、なんだかあまりにも野暮ったい。
◆ワイドショーと政治的無関心
コメンテーターとしての笠松は単なる無関心な人でしかないのだろうか? ワイドショーと政治的無関心。ここでつい思い出してしまうのは、音楽の使用法や駄弁的語り口など、映像すべてが悪態をついているようにしか見えなかった映画『ジョーカー』(2019年)での台詞である。
同作のクライマックス、主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)が憧れの人気テレビショーに出演して「僕は政治には無関心」と発言する。司会者マレー(ロバート・デ・ニーロ)を射殺したあげく、暴徒化した民衆からカリスマ的支持を受ける。政治的無関心者による社会的行動が、世界の不都合な真実を明かしてしまった。
笠松にとってのワイドショーも不都合なものでしかなかった。つまり、キャスティング云々含めて、わざわざ出演する必要があったのかということ。政治の話題にコメントをするとわかっていて、ワイドショーの場に出演していること自体がれっきとした政治的なひとつの態度表明でもある。
はっきり政治の話をしなくたって、常日頃から社会に参画するぼくらはどうしたって無意識のうちに政治的存在である。政治的無関心を「今の若者は!」的な論調でいちいち批判することがそもそも野暮なのだ。
◆ヤクザ役で出演した笠松の希少な気質
「憲法には言論の自由が定められている。それに従って語るだけ」
「どうして芸能人が原発問題を語るのか」と記者から聞かれた菅原文太が簡潔に答えている。あぁ、文太さんのような方がいたらなぁ。晩年の菅原は政治的な人だった。2014年の沖縄県知事選挙の演説台に立った名文句がある。
「政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせない事、安全な食べ物を食べさせる事。もう一つは……、これはもっとも大事です。絶対に戦争をしない事」。
一方で彼は映画俳優として、加藤泰監督の『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年・雪に落ちるみかんの美しいこと!)や加藤監督の助監督だった本田達男監督のデビュー作『まむしの兄弟 お礼参り』(1971年)など、昭和のヤクザ映画スターの金看板で娯楽を享受する映画観客をただただ楽しませた。
『TOKYO VICE』(WOWOW、2022年)で若いヤクザ役を演じた笠松のたたずまいも素晴らしかった。あれは今どき希少な映画俳優の気質である。菅原文太をわざわざ引き合いにだしてまで、別に笠松の無関心そのものを擁護しようというわけではない。
日本では芸能人が政治的なものにからんだ発言をするといつもこうなる。政治的発言をはっきりしたら政治的発言はするな。政治的無関心を表明する発言をしてもこうした似たような賑わいになる。
何が政治的で何が政治的でないのか。そして芸能人が政治的発言をしたら干されるのか。そんなことに関心を寄せることがそれこそ「時間もったいなくない?」と強調しておきたい。総選挙は近い。不都合な世界を生きる国民が、また別の人を選びなおすことになるのか、どうか。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu