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21歳差の男女が葛藤を乗り越えて“夫婦“になったワケ「親と妻の両方を介護なんて…」の声も

女子SPA! 2024年10月26日 8時47分

 夫婦の形はさまざま。登録者数10.5万人(2024年9月現在)を誇るYouTubeチャンネル「若埜ん家(わかのんち)」で日常生活を発信しているえみさん(52歳)とかいさん(31歳)は、じつに“21歳差”の夫婦として注目されています。

出会った当時、41歳と21歳だった2人はなぜ、惹かれ合ったのか。そのなれそめを、将来像と共に聞きました。

◆初対面のえみさんは「26歳だと思っていた」

――お二人は職場の工場で出会ったそうですね。当時、えみさんは41歳で、かいさんは21歳でした。

えみ:3人の子どもを抱えるシングルマザーでしたので、いろいろな会社で派遣社員として働いていました。正社員よりも割のいい求人が多く、契約期間もまちまちという中で働いていたのが、当時の工場だったんです。ある日「20歳くらいの新しい子が入ってくるみたい」と職場で噂を聞き、私が担当していた鉄板の加工部門にかいちゃんが配属されて、教育係になりました。子どもと年齢が近かったし、当時は先輩として「お母さんが教えたろか!」みたいな気持ちでしたね(笑)。

かい:高校卒業後、出会った工場で働くまではアルバイトを転々としていました。じつは当時、僕自身は恋愛感情がわからなかったんです。人を好きになるって、何だろうと思うほどで。でも、えみにはなぜかビビッと来るものを感じました。職場の人たちとの初対面で挨拶したとき、10メートルほど離れていたのに「この人と付き合いたい」と直感したんです。

――運命を感じるエピソードですね。当時、えみさんがシングルマザーだと知っていたのでしょうか?

かい:知っていました。入社してすぐ、職場の人からえみの話を聞いたんです。初対面では26歳ぐらいだと思っていたのに「41歳やで」と聞いたときは驚いたんですけど、どうにかして付き合いたいと思っていましたね(笑)。一緒に働いているうちに内面の魅力も分かってきたので、さらに好きになっていったし、恥も何もかも捨てて、えみを「オトしたい!」としか考えられなくなりました。

◆かいさんから「外の世界に連れ出して」とアプローチ

――初デートでは、映画館に行ったと明かしています。職場の先輩と後輩だったお二人がなぜ、一緒に出かけることになったのでしょう?

えみ:出会ってから4~5か月後でしたね。工場では年2回、夏と冬に10日間ほどの長期休暇があったんです。私は子どもがいたので、息子が習っていたサッカーの試合に手伝いに行ったり、普段では参加できない行事もあってバタバタしていました。

そんなときにふと、かいちゃんから「休みのあいだ、一回も外出していなくて。外の世界に連れ出してほしい」と、メッセージが来たんです。もともと、仕事上でやりとりするためのLINE交換をしていても、プライベートの連絡は取っていなかったので驚いて一度は「サッカーとかで忙しい」と返信したんですけど「かわいそう……」と思い直して、オッケーしました。

――デート当日はどうでしたか?

えみ:そうですね。かいちゃんに好意を抱かれているとは思っていなかったし「悩みがあるなら、聞いてあげようかな」と軽い気持ちで、ショッピングモールで待ち合わせました。最初、映画を見る予定はなかったんですけど、かいちゃんが私の趣味に合わせてくれて、ディズニー映画の『マレフィセント』を見たんです。あの日をきっかけに「ディズニー、ええな!」と言ってくれるようになり、今では、かいちゃんも大のディズニーファンになりました(笑)。

――お子さんのいるシングルマザーだと知っていたかいさんとしては、誘うのも勇気が必要だったのではないですか?

かい:それほど、なかったかな。こっちから仕掛けようというか「外の世界に連れ出してほしい」とメッセージを送れば、どこかで引っかかって「会えるんじゃないか」と期待はしていました。

えみ:仕事中に何度か、ふざけながらデートに誘ってくることはあったんです。でも、私がそのたびに断るものだから、内心ではかわいそうとも思っていて……(笑)。初デートで見た映画はレイトショーで、その日、最後の回だったんです。上映時間までは車内で待ちながら、初めてプライベートでじっくりとしゃべって、年の差を感じなかったし、おたがいのフィーリングが合うと感じていました。

◆「まだ人を好きになる感情が残っていたんだ」

――映画館の初デートで距離が縮まり、交際がスタート。でも、結婚までは考えられなかったそうですね。

えみ:かいちゃんは受け入れてくれたけど、当時、私は42歳のシングルマザーでしたし、私と付き合って「かいちゃんのご両親がどんな思いをされるんだろう」と、迷いがあったんです。結婚しても出産できる年齢ではないし、かいちゃんの周囲にいる人を悲しませるわけにはいかないと、常に思っていました。

――恋愛や結婚においては、ためらいもあったのでしょうか?

えみ:子どもたちを育てるために、とにかく必死だったんです。一生懸命に稼いで、経済的な余裕を持てないと子どもたちの将来の選択肢を狭めてしまうと焦りもあって。当時、信頼していた上司からは「今が頑張りどきだよ」と励まされていました。かいちゃんに今も「当時は仕事のことばかり考えていたよね」と言われるほどだったんです。

でも、勇気をもって付き合いはじめてからは、仕事人間だった私にも「まだ、人を好きになる感情が残っていたんだ」と気が付いて、子育ても仕事もよりいっそう頑張れるという、充実感も得られました。

かい:交際がスタートしてからは毎回、別れ話になっていたよね。えみからはよく「子どもが産めへんから」とか「親に孫を見せられへんから」と、話を聞いていたんです。そのたびに僕は「親は子どもの幸せに一番に考えてくれるって」と返して、説得していました。

◆頼もしい息子からの一言「お母さんが幸せやったら」

――6年間の交際中には、えみさんのお子さんとかいさんが初めて対面する機会も。かいさんの緊張もひとしおだったのではないですか?

かい:めちゃくちゃ緊張しました(笑)。特に、当時中学2年生だった息子に会うのが緊張して、9歳差で年もわりと近かったし、僕みたいな「金髪の一見イカつい男が突然やってきたら、どう思うんだろう」と不安もあったんです。実際、会ってからはろくな会話ができずに、目の前にエビの入った料理があったので「エビは大丈夫ですか……?」と、気を遣いながらボソッと話しかけるぐらいしかできなかったです。

えみ:でも、息子は初対面の前からすでに、かいちゃんを認めてくれていたんです。息子に「お母さんのこと、好きって言ってくれている子がいるんよ。でも、21歳も年下の金髪の子で」と相談した日があって、そこで「あかん」と言われたら、あきらめようと思っていました。

でも、息子は「オレの人生じゃないから、お母さんが幸せやったらいい」と言ってくれたし、かいちゃんが自宅が近所にあったので「仕事にも一緒に通えるやん」と明るく返してくれて、背中を押されました。

◆病院で勇気が出ず泣く泣く「上司」と伝えて…

――かいさんのご両親とえみさんが顔合わせしたのは、いつだったのでしょう?

かい:交際がスタートしてから6年目、結婚直前に初めて会わせました。両親は「よかったね」と快く受け入れてくれて、父は「6年間も付き合ったんやから、間違いないやろ」と言ってくれたし、母は「あんたみたいな子をもらってくれる人ができでよかった」と喜んでいました。

えみ:ご両親に伝えるなら、結婚を決めたときと思っていたんです。顔合わせの当日は、「今日で、かいちゃんとの関係性が終わってしまうかもしれない……」と覚悟もありましたね。正直、職場で私たちの距離感を察した一部の人からは「若い子をたぶらかして」みたいに、陰口を言われていたのは知っていたし、元からメンタルが強いタイプでもなかったし、結婚でけじめを付けられるまでは、誰にも公言しないと決めていました。

――強い覚悟があったんですね。葛藤もあった交際期間中、かいさんが事故で病院へ入院したときには、彼女ではなく「上司」と泣く泣く伝えるしかない場面もあったと。

えみ:看護師さんは意地悪ではなく、事務的に「どういうご関係ですか?」と聞いてくださっただけなんですよね。でも、いざ書類上へ書くときには、親でも兄弟でもなく、付き合っているからといって堂々と恋人と書く勇気もなく、迷った末に「上司」としか書けなかったんです。

その日は、その日は、過去一番と言っていいほどの言い合いになり「えみがいざとなった時にお付き合いしてると言えない関係じゃあもうお付き合いしてる意味じゃん!」と私が思ってしまって、自分が情けなくなって別れ話を切り出しました。

かい:でも、それをきっかけに「結婚しよう」と伝えられたんですよ。付き合っているだけでは自信が持てないなら「結婚したら『妻』と書けるよ」と言って、忘れられない日になりました。

――かいさんの言葉を受けて、えみさんもだいぶホッとされたのでは?

えみ:素直に「私も『妻です』と言いたいな」と思いました。6年間も付き合っているなかでは、私も結婚を伝えようと考えてはいたんです。でも、自分にとって最大の壁でしたし、かいちゃんが言ってくれて、心から安心しました。

◆介護の不安はありつつも「ずっと一緒にいられる」

――結婚は2020年8月。5年目となった今描いている、自分たちの将来像は?

かい:平和に暮らせればいいな。僕らの子ども代わりの猫ちゃんが3匹もいますし、愛情をそそぎながら、ひっそり幸せに生活できるのが一番です。

えみ:出産が難しいから、保護猫を育てようと決めたんだよね。2023年にはマイホームも完成して、今ある家でずっと一緒に暮らしていきたいなと思っているんです。じつは、結婚前はおたがいに「家を建てるなんてアホやんな」と思うほどで、賃貸で住むのが一番と思っていました。

でも、家族が増えるにつれて、賃貸を転々としていては、柱の傷とか、家の思い出も残せなくなると考えが変わって。21歳差の夫婦である以上、年上の私が先に老いるのは当然ですし、介護を見越したのもありました。いつか、車椅子生活になっても暮らせるようにバリアフリー住宅にして、マイホームで生涯を終えられればと思っています。

かい:介護の不安については、周囲からもよく聞かれるんです。なかには「親と妻の両方を介護なんて、できるわけないやろ」と言ってくる人もいますけど、そう言われると逆にちゃんとやってやろうと思える性格もあり「若いうちに介護する方が体力もパワーもあっていいやん」と思ってしまいます(笑)。えみが言ってくれたように、家を転々としていたら記憶は残っても形は残らないし、僕はえみとの思い出がたくさん詰まったマイホームでずっと暮らし続けたいです。

<取材・文/カネコシュウヘイ>

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