初主演を果たしたアメリカ映画(『東京カウボーイ』)や、大ヒット映画『ラストマイル』、現在放送中のドラマ『無能の鷹』など、今年も大活躍の井浦新さん(50歳)。
ディレクターを務めるファッションブランドや、自然由来のサステナブルコスメを手掛けるなど、俳優以外の活動も多岐にわたっています。
そんな井浦さんに公開中の主演映画『徒花 -ADABANA-』(以下『徒花』)のこと、さらに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を前に「やりたいことは口に出すタイプ?」「忙しくて大変では?」とぶつけてみました。
◆ひとり二役に「楽しみ」しかなかった
――『徒花』は、上流階級の人間にだけ、延命治療を目的に、自分と全く同じ見た目の「それ」の保有が認められた未来が舞台です。病で死を前にした主人公・新次は、自分の身代わりとなる「それ」と対面します。向き合う際、どんな感覚だったのでしょう。
井浦新さん(以下、井浦):“楽しい”という感覚しかなかったです。
――役者としての楽しみですか?
井浦:そうです。この物語の世界では、医療のためにクローンの存在が良しとされています。相当な刺激を受けました。僕はひとり二役を演じるわけで、当然、いろんな負荷がかかってきますが、それだけやりがいがあります。自分で作ってきたもの同士をぶつけ合うというのは、やりたくてもなかなかできないことですから、本当に楽しみしかなかったです。
◆主人公と見た目がそっくりな「それ」に自分も対面した
――「それ」の姿勢や動き、声の感じなどは一切、脚本には書かれていないのですか?
井浦:書かれていません。そういったことは俳優が生むことだと思います。「それ」は新次と、細胞的に同じで外見もうり二つ。でも肌の色や声の質感、姿勢などは、育ってきた環境によって変わってきます。
――後半の「かたつむりやトンボの話」が出てくる対話シーンは、特に身震いしました。
井浦:あのシーンは、クローンの撮影が始まって2日目に撮りました。対話のシーンまでに、自分のなかで、ちょっとずつ新次を積み重ねて育てていました。その新次と、「それ」が対面したんです。あの研究所で管理してくれた人たちのもとで育った「それ」をどう表すか。アプローチしていった結果、ポン!と出てきたのが、あの「それ」でした。
――ポンと出てきた。
井浦:はい。育てていった新次とは違い、僕も対面する感覚でした。
◆「徒花であっても無駄花ではない」は監督の美意識そのもの
――タイトルでもある“徒花(あだばな)”に言及するシーンも印象的です。「徒花であっても無駄花ではない」と。そこに続く言葉は、読者にはスクリーンで見てもらいたいと思いますが、井浦さんは、あそこで語られた言葉に何を感じますか?
井浦:とても好きな表現です。命の意味は、次の世代を残すためだけに存在するのではないと思います。甲斐(さやか)監督は、本当に残酷で特異な世界観を持っている監督ですが、ただ残酷だったり、狂気だったりするのではなく、ベースに美しさがあります。
その美しさも、どこか完璧じゃなかったり、土臭かったり、沈まないようにもがいているような姿の中に一瞬見えるきらめきのような。『徒花』というタイトルや、そのシーンは、監督の美意識そのものだと感じました。
――「それ」との呼び名に思うことは。
井浦:そこにも甲斐監督らしい残酷性が出ていると思います。
◆お芝居も物づくりもデビューからずっと二足のわらじ
――井浦さんご自身についてもお聞かせください。映画にドラマにと観ない日がありません。俳優業以外のこともされています。どう時間を工面しているのか不思議です。ご自身としては戦略的に分析してきっちりバランスを取っているのか、それとも、「やってしまう」のでしょうか。大変では?
井浦:お芝居も物を作ることも、自分自身が好きだからというのが、基本にあります。これが誰かからやらされているのなら、壊れてしまうかもしれないし、何かを止めたくなったり、時間もうまく使えないかもしれません。
でも自発的なので、忙しくなったとしても、時間の使い方が自然と上手になっていくんです。自分ひとりだったらぐちゃぐちゃになるかもしれませんが、事務所をはじめ、周りがスケジュールを管理、調整してくれてもいますし。
それにいきなり環境が変わって忙しくなったわけではありません。デビューからずっと、お芝居と物づくりの二足のわらじです。時間をかけてやってきているので戸惑いもありません。毎年毎年、今年のほうが去年を更新していると実感できることは幸せです。
◆40歳以降の誕生日は、1年ちゃんと人に感謝できたか確認する日
――ちなみに、やりたいことは口に出していくタイプですか?
井浦:口には出しません。言霊は信じていますが、「何々をやりたい」という言葉はどんどん生まれますし、それでやっていないと苦しんでしまいそうですから。「やりたい」ではなく「やろう」となったとき、設計図がちゃんと出来上がってから、言うタイプです。芝居に関しては、出会いたい監督がいたりする場合は、事務所に話したりといったことはありますが。
――最後に。9月に50歳を迎えたばかりですが、節目に思うことはありますか?
井浦:そういうのは正直ないんです。数字だけはどんどん増していきますが、特に変わりません。人の誕生日を祝うのは好きですが、自分はスルっとその日を迎えて過ぎていけるほうが気楽です。
ただひとつあるとすれば、40歳を過ぎたくらいから、誕生日は、自分を祝うというより、1年ちゃんと人に感謝できたかなと確認する日になっています。最大限、周りに感謝する日。だから50歳は、もっと感謝を増していきたいと思っています。
<取材・文・撮影/望月ふみ>
(C) 2024「徒花-ADABANA-」製作委員会/DISSIDENZ
【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi
ディレクターを務めるファッションブランドや、自然由来のサステナブルコスメを手掛けるなど、俳優以外の活動も多岐にわたっています。
そんな井浦さんに公開中の主演映画『徒花 -ADABANA-』(以下『徒花』)のこと、さらに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を前に「やりたいことは口に出すタイプ?」「忙しくて大変では?」とぶつけてみました。
◆ひとり二役に「楽しみ」しかなかった
――『徒花』は、上流階級の人間にだけ、延命治療を目的に、自分と全く同じ見た目の「それ」の保有が認められた未来が舞台です。病で死を前にした主人公・新次は、自分の身代わりとなる「それ」と対面します。向き合う際、どんな感覚だったのでしょう。
井浦新さん(以下、井浦):“楽しい”という感覚しかなかったです。
――役者としての楽しみですか?
井浦:そうです。この物語の世界では、医療のためにクローンの存在が良しとされています。相当な刺激を受けました。僕はひとり二役を演じるわけで、当然、いろんな負荷がかかってきますが、それだけやりがいがあります。自分で作ってきたもの同士をぶつけ合うというのは、やりたくてもなかなかできないことですから、本当に楽しみしかなかったです。
◆主人公と見た目がそっくりな「それ」に自分も対面した
――「それ」の姿勢や動き、声の感じなどは一切、脚本には書かれていないのですか?
井浦:書かれていません。そういったことは俳優が生むことだと思います。「それ」は新次と、細胞的に同じで外見もうり二つ。でも肌の色や声の質感、姿勢などは、育ってきた環境によって変わってきます。
――後半の「かたつむりやトンボの話」が出てくる対話シーンは、特に身震いしました。
井浦:あのシーンは、クローンの撮影が始まって2日目に撮りました。対話のシーンまでに、自分のなかで、ちょっとずつ新次を積み重ねて育てていました。その新次と、「それ」が対面したんです。あの研究所で管理してくれた人たちのもとで育った「それ」をどう表すか。アプローチしていった結果、ポン!と出てきたのが、あの「それ」でした。
――ポンと出てきた。
井浦:はい。育てていった新次とは違い、僕も対面する感覚でした。
◆「徒花であっても無駄花ではない」は監督の美意識そのもの
――タイトルでもある“徒花(あだばな)”に言及するシーンも印象的です。「徒花であっても無駄花ではない」と。そこに続く言葉は、読者にはスクリーンで見てもらいたいと思いますが、井浦さんは、あそこで語られた言葉に何を感じますか?
井浦:とても好きな表現です。命の意味は、次の世代を残すためだけに存在するのではないと思います。甲斐(さやか)監督は、本当に残酷で特異な世界観を持っている監督ですが、ただ残酷だったり、狂気だったりするのではなく、ベースに美しさがあります。
その美しさも、どこか完璧じゃなかったり、土臭かったり、沈まないようにもがいているような姿の中に一瞬見えるきらめきのような。『徒花』というタイトルや、そのシーンは、監督の美意識そのものだと感じました。
――「それ」との呼び名に思うことは。
井浦:そこにも甲斐監督らしい残酷性が出ていると思います。
◆お芝居も物づくりもデビューからずっと二足のわらじ
――井浦さんご自身についてもお聞かせください。映画にドラマにと観ない日がありません。俳優業以外のこともされています。どう時間を工面しているのか不思議です。ご自身としては戦略的に分析してきっちりバランスを取っているのか、それとも、「やってしまう」のでしょうか。大変では?
井浦:お芝居も物を作ることも、自分自身が好きだからというのが、基本にあります。これが誰かからやらされているのなら、壊れてしまうかもしれないし、何かを止めたくなったり、時間もうまく使えないかもしれません。
でも自発的なので、忙しくなったとしても、時間の使い方が自然と上手になっていくんです。自分ひとりだったらぐちゃぐちゃになるかもしれませんが、事務所をはじめ、周りがスケジュールを管理、調整してくれてもいますし。
それにいきなり環境が変わって忙しくなったわけではありません。デビューからずっと、お芝居と物づくりの二足のわらじです。時間をかけてやってきているので戸惑いもありません。毎年毎年、今年のほうが去年を更新していると実感できることは幸せです。
◆40歳以降の誕生日は、1年ちゃんと人に感謝できたか確認する日
――ちなみに、やりたいことは口に出していくタイプですか?
井浦:口には出しません。言霊は信じていますが、「何々をやりたい」という言葉はどんどん生まれますし、それでやっていないと苦しんでしまいそうですから。「やりたい」ではなく「やろう」となったとき、設計図がちゃんと出来上がってから、言うタイプです。芝居に関しては、出会いたい監督がいたりする場合は、事務所に話したりといったことはありますが。
――最後に。9月に50歳を迎えたばかりですが、節目に思うことはありますか?
井浦:そういうのは正直ないんです。数字だけはどんどん増していきますが、特に変わりません。人の誕生日を祝うのは好きですが、自分はスルっとその日を迎えて過ぎていけるほうが気楽です。
ただひとつあるとすれば、40歳を過ぎたくらいから、誕生日は、自分を祝うというより、1年ちゃんと人に感謝できたかなと確認する日になっています。最大限、周りに感謝する日。だから50歳は、もっと感謝を増していきたいと思っています。
<取材・文・撮影/望月ふみ>
(C) 2024「徒花-ADABANA-」製作委員会/DISSIDENZ
【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi