映画『まる』が10月18日より劇場公開中である。何よりも重要なのは、主演の堂本剛だ。『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』(1997年)以来27年ぶりの映画単独主演を果たしたこともそうだが、脚本を堂本剛に「当て書き」している、彼あってこその映画になっているのだから。
実際に堂本剛は、荻上直子監督と企画プロデューサーによる約2年前からの熱烈オファーを受け、「自分が必要とされている役なら」と心を動かされ出演に至ったそうだ。映画本編を観て強く感じたのは、作り手が堂本剛を心から愛していることと、堂本剛という人のあり方が劇中の主人公にシンクロしていることだった。
それでいて、堂本剛のファンだけが楽しめればいい、という閉じた内容にもなっていない。設定そのものは突飛で奇想天外にも思えるが、実は誰もが抱く普遍的な心理も追っている、誠実で「開かれた」作品だった。その理由を記していこう。
◆本人の意図とは違うことで祭り上げられる物語
あらすじはこうだ。美大卒だがアートで身を立てられず、さらには腕のケガが原因でアシスタントの仕事を失った主人公・沢田は、部屋の床にいた1匹のアリに導かれるように○(まる)を描く。その○は知らぬ間に評価され、沢田は正体不明のアーティストとして一躍有名になってしまう。
もっと端的にいえば「祭り上げられる」ことのおかしみを追った内容だ。確かに世間的にチヤホヤされることはひとつの憧れではあるだろうが、この映画ではそれが主に「困惑」として描かれる。特に、これまで無下に扱ってきた人からも、絵に描いたような「手のひら返し」をされる様は笑ってしまう。
ここまで極端でなくとも、自身の努力とは関係ないことで褒められたり、はたまた過剰に思えてしまう評価という「買い被り」に居心地の悪さを感じたことがある人は少なくはないだろう。実は多くの人にとって、「思い当たる」ところもある物語なのだ。
◆自身が傷ついているからこそ、他人の痛みにも敏感
その上で、沢田が端的にいって「イイやつ」であることが重要だ。ささいなきっかけでやったことが世間的に評価され、それで莫大な収入を得たりしたら、尊大な態度を取ったりする者も世の中にはいるだろう。
しかし、沢田は有名になってもコンビニのアルバイトをすぐに辞めたりはしないし、森崎ウィン演じるミャンマー出身の先輩コンビニ店員が不遜な客になじられると「あいつらが、バカでごめん」と代わりに謝る。
さらに、沢田は映画の冒頭で自分の境遇を皮肉たっぷりに口にしたり、何かを諦めて日々を生きているような厭世的な印象も強い。それは自身の心が傷ついている、または人生に疲れ切っているからではないか、だからこそ他人の痛みにも敏感なのではないか、と想像がおよぶようにもなっている。
その皮肉っぽい言い回しに知的なセンスがあり、独特のユーモアにつながっていて、同時に人を傷つけるような印象がなく、優しさを感じさせるということが、個人的にバラエティ番組で見かけていた堂本剛に抱いていた印象にかなり近いものだったのだ。
◆嫉妬と嫌悪を募らせる綾野剛の気持ちもわかる
綾野剛演じる隣人の売れない漫画家も重要だ。彼は社会的に成功できず、“パパッと描いた○のおかげでラクをして成功している(ように見える)”沢田にはっきりと嫉妬と嫌悪をつのらせ、完全に間違った行動に出てしまう。
その心理もまた極端なようで、やはり自身の努力が実らず、身近な誰かや有名人に「なんであいつが成功するんだ」と思ってしまうような、普遍的なものといえる。
それでいて沢田と完全に対立しているわけではなく、「お互いにウザいと思っているようで、だからこそ気になっていて、完全には嫌いになりきれない」ような、限りなく友情に近い関係が築かれていることが、とても尊い。
◆「今」の堂本剛を重ね合わせる理由
実際に荻上直子監督は本作を手がけるにあたって、堂本剛の過去のインタビュー記事をたくさん読み、その中で「20代~30代の頃は仕事が忙し過ぎて、自分というものがわからなくなってしまい、とてもツラい時期があったけれども、音楽に助けてもらった」といったことを知って、そこから「自分がわからなくなってしまう人のお話」として、今回の映画のストーリーをふくらませていったのだそうだ。
筆者個人は、前述したような映画の中の沢田が傷つき疲れていて、それでも優しさを感じさせる様は、荻上監督が参照した20代~30代の頃の堂本剛はもちろん、「今」の堂本剛を重ねるところもあった。
例えば、2017年に突発性難聴を発症したために一時活動を休止し、復帰後も後遺症と向き合い続けており、その告白に勇気づけられたという人は多い。さらに、2024年はももいろクローバーZ・百田夏菜子と結婚、さらにSMILE-UP.を退所して個人事務所を設立するという、大きな転機を迎えている。
客観的に見てもつらい時期が続き、その大きな転機を経て後遺症を抱えながらも音楽活動を続けていく堂本剛の姿は、映画『まる』の劇中で本人の意思とは異なることで評価をされ続け、困惑をしつつも流されていた沢田が、「それでも」自身が本当に望んでいるアートへの思いを捨てきれない様ともシンクロしている。
特に、終盤にとあることを吐露しながら涙する沢田の姿に、やはり「今」の堂本剛の姿を重ね合わせる人はいるはずだ。
もちろん、堂本剛は自身のとてつもない努力と信念があってこそスターになったのは間違いなく、客観的にはたまたま描いただけにも思える○が評価される劇中の沢田とは根本的にプロセスは異なる。しかし、アイデンティティーや創作についての苦悩を抱える様からすれば両者はほぼ同じ人物に見えるし、この世に存在するとしか思えない沢田を体現した堂本剛を、心から称賛したくなったのだ。
◆主題歌にも浸りきってほしい
さらに堂本剛は映画『まる』の主演のみならず、主題歌の「街(movie ver.)」も担当している。こちらは2002年にリリースされた「街」を映画のために再レコーディングしたものだ。
堂本剛自身、今回の再レコーディングにおいて「楽曲そのものは僕自身が人のことが好きじゃなかった時期に書いた曲で、傷つけられたり傷ついたりもするけれど、自分の中にある痛みを忘れたくないなという想いが宿っているんです」などとコメントをしている。まさにその歌詞でその通りの想いが表れていること、それは『まる』の物語および主人公・沢田の心理にシンクロしていることがわかるだろう。
ぜひ、映画の終わりに、その「街(movie ver.)」が聞こえてきた瞬間の、鳥肌が立つような感動に期待してみるといいだろう。そして、堂本剛および劇中の沢田それぞれの姿を投影したような歌詞と歌声に、劇場で浸りきってほしい。
<文/ヒナタカ>
【ヒナタカ】
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:@HinatakaJeF
実際に堂本剛は、荻上直子監督と企画プロデューサーによる約2年前からの熱烈オファーを受け、「自分が必要とされている役なら」と心を動かされ出演に至ったそうだ。映画本編を観て強く感じたのは、作り手が堂本剛を心から愛していることと、堂本剛という人のあり方が劇中の主人公にシンクロしていることだった。
それでいて、堂本剛のファンだけが楽しめればいい、という閉じた内容にもなっていない。設定そのものは突飛で奇想天外にも思えるが、実は誰もが抱く普遍的な心理も追っている、誠実で「開かれた」作品だった。その理由を記していこう。
◆本人の意図とは違うことで祭り上げられる物語
あらすじはこうだ。美大卒だがアートで身を立てられず、さらには腕のケガが原因でアシスタントの仕事を失った主人公・沢田は、部屋の床にいた1匹のアリに導かれるように○(まる)を描く。その○は知らぬ間に評価され、沢田は正体不明のアーティストとして一躍有名になってしまう。
もっと端的にいえば「祭り上げられる」ことのおかしみを追った内容だ。確かに世間的にチヤホヤされることはひとつの憧れではあるだろうが、この映画ではそれが主に「困惑」として描かれる。特に、これまで無下に扱ってきた人からも、絵に描いたような「手のひら返し」をされる様は笑ってしまう。
ここまで極端でなくとも、自身の努力とは関係ないことで褒められたり、はたまた過剰に思えてしまう評価という「買い被り」に居心地の悪さを感じたことがある人は少なくはないだろう。実は多くの人にとって、「思い当たる」ところもある物語なのだ。
◆自身が傷ついているからこそ、他人の痛みにも敏感
その上で、沢田が端的にいって「イイやつ」であることが重要だ。ささいなきっかけでやったことが世間的に評価され、それで莫大な収入を得たりしたら、尊大な態度を取ったりする者も世の中にはいるだろう。
しかし、沢田は有名になってもコンビニのアルバイトをすぐに辞めたりはしないし、森崎ウィン演じるミャンマー出身の先輩コンビニ店員が不遜な客になじられると「あいつらが、バカでごめん」と代わりに謝る。
さらに、沢田は映画の冒頭で自分の境遇を皮肉たっぷりに口にしたり、何かを諦めて日々を生きているような厭世的な印象も強い。それは自身の心が傷ついている、または人生に疲れ切っているからではないか、だからこそ他人の痛みにも敏感なのではないか、と想像がおよぶようにもなっている。
その皮肉っぽい言い回しに知的なセンスがあり、独特のユーモアにつながっていて、同時に人を傷つけるような印象がなく、優しさを感じさせるということが、個人的にバラエティ番組で見かけていた堂本剛に抱いていた印象にかなり近いものだったのだ。
◆嫉妬と嫌悪を募らせる綾野剛の気持ちもわかる
綾野剛演じる隣人の売れない漫画家も重要だ。彼は社会的に成功できず、“パパッと描いた○のおかげでラクをして成功している(ように見える)”沢田にはっきりと嫉妬と嫌悪をつのらせ、完全に間違った行動に出てしまう。
その心理もまた極端なようで、やはり自身の努力が実らず、身近な誰かや有名人に「なんであいつが成功するんだ」と思ってしまうような、普遍的なものといえる。
それでいて沢田と完全に対立しているわけではなく、「お互いにウザいと思っているようで、だからこそ気になっていて、完全には嫌いになりきれない」ような、限りなく友情に近い関係が築かれていることが、とても尊い。
◆「今」の堂本剛を重ね合わせる理由
実際に荻上直子監督は本作を手がけるにあたって、堂本剛の過去のインタビュー記事をたくさん読み、その中で「20代~30代の頃は仕事が忙し過ぎて、自分というものがわからなくなってしまい、とてもツラい時期があったけれども、音楽に助けてもらった」といったことを知って、そこから「自分がわからなくなってしまう人のお話」として、今回の映画のストーリーをふくらませていったのだそうだ。
筆者個人は、前述したような映画の中の沢田が傷つき疲れていて、それでも優しさを感じさせる様は、荻上監督が参照した20代~30代の頃の堂本剛はもちろん、「今」の堂本剛を重ねるところもあった。
例えば、2017年に突発性難聴を発症したために一時活動を休止し、復帰後も後遺症と向き合い続けており、その告白に勇気づけられたという人は多い。さらに、2024年はももいろクローバーZ・百田夏菜子と結婚、さらにSMILE-UP.を退所して個人事務所を設立するという、大きな転機を迎えている。
客観的に見てもつらい時期が続き、その大きな転機を経て後遺症を抱えながらも音楽活動を続けていく堂本剛の姿は、映画『まる』の劇中で本人の意思とは異なることで評価をされ続け、困惑をしつつも流されていた沢田が、「それでも」自身が本当に望んでいるアートへの思いを捨てきれない様ともシンクロしている。
特に、終盤にとあることを吐露しながら涙する沢田の姿に、やはり「今」の堂本剛の姿を重ね合わせる人はいるはずだ。
もちろん、堂本剛は自身のとてつもない努力と信念があってこそスターになったのは間違いなく、客観的にはたまたま描いただけにも思える○が評価される劇中の沢田とは根本的にプロセスは異なる。しかし、アイデンティティーや創作についての苦悩を抱える様からすれば両者はほぼ同じ人物に見えるし、この世に存在するとしか思えない沢田を体現した堂本剛を、心から称賛したくなったのだ。
◆主題歌にも浸りきってほしい
さらに堂本剛は映画『まる』の主演のみならず、主題歌の「街(movie ver.)」も担当している。こちらは2002年にリリースされた「街」を映画のために再レコーディングしたものだ。
堂本剛自身、今回の再レコーディングにおいて「楽曲そのものは僕自身が人のことが好きじゃなかった時期に書いた曲で、傷つけられたり傷ついたりもするけれど、自分の中にある痛みを忘れたくないなという想いが宿っているんです」などとコメントをしている。まさにその歌詞でその通りの想いが表れていること、それは『まる』の物語および主人公・沢田の心理にシンクロしていることがわかるだろう。
ぜひ、映画の終わりに、その「街(movie ver.)」が聞こえてきた瞬間の、鳥肌が立つような感動に期待してみるといいだろう。そして、堂本剛および劇中の沢田それぞれの姿を投影したような歌詞と歌声に、劇場で浸りきってほしい。
<文/ヒナタカ>
【ヒナタカ】
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:@HinatakaJeF