俳優のふり幅にはいつだって圧倒される。毎週木曜日よる10時から放送されている『わたしの宝物』(フジテレビ)で、愚劣な夫役を演じる田中圭がまさにそうだ。
田中圭は、国民的に愛されるキャラクターから、本作のような愚劣極まるキャラまでどうして演じてしまえるのか。そのふり幅の秘密を読み解くキーワードとは?
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、「明日があるさ」的な演技が類似する本作の田中圭を読み解く。
◆すぐに察しがつく夫婦関係
こりゃひどい。ひどすぎる。こんなに救いようがない男性キャラクターを久しぶりに見た気がする。『わたしの宝物』で、主人公・神崎美羽(松本若菜)の夫である神崎宏樹のことだ。演じるのは、田中圭。
第1話冒頭、慌ただしくダイニングテーブルを拭いた美羽が、リビング隅に置かれた鳥かごに覆いをかけて「酔っ払いにいじられるの嫌でしょ」と話しかける。「酔っ払い」とはいったい、誰のことなのか。宏樹のことである。
独り言とはいえ、自分の夫のことをそうつぶやかざるを得ないほど、この夫婦関係に問題があるのだろうとすぐに察しがつく。これは相当な酒乱か、それとも暴力男なのか。実際はそのどちらでもない。
◆夫婦の明らかな上下関係
美羽が手料理を並べているところへ、勤め先の社員たちを連れて宏樹が帰ってくる。「ほんとごめんなさい」と宏樹は愛想がいい。あれ、おかしいな。美羽が玄関に飛んでいって人数分のスリッパを並べる。部下のひとりの名前をいい間違えた瞬間、宏樹はブハッと笑っているが、なんだかピリッとした視線を感じる気もする。
宏樹たちはリビングへ移動する。床に這いつくばるようにしてスリッパを並べてかがんだ状態のままでいる美羽との明らかな上下関係が画面上に的確に示される。社員たちが帰ったあと、宏樹は「お前さ、名前ぐらい覚えられない?」とやっぱりなじる。声をあらげるわけではないが、言い方がきつい。
宏樹は毎晩のようにそうして妻に対してイライラしながら冷たい言葉の数々を吐き捨てる。別の日には、昼前に電話をかけてきて、会議で必要な資料が入った封筒をデスクの上に忘れてきたからすぐにもってこいと命令する。美羽は友人の雑貨屋のオープン記念に向かう途中だったが、宏樹から「状況わかるだろ」と言われ、家に戻る。
◆『おっさんずラブ』の愛されキャラから一変…
もっていったらもっていったで、感謝の一言もなく、小言をいわれる。なんなんだ、この男。いちいち。視聴者は共感のかけらも抱けない。こんな愚劣極まるキャラクターを演じるのが、田中圭なのだからなおさら強く感じる。
だって田中圭は少し前のクールでは、彼の代名詞ともなった、はるたんこと、春田創一を演じていた人である。はるたん旋風を巻き起こした大ヒットドラマシリーズ『おっさんずラブ』(テレビ朝日、2016年)の主人公・春田創一の愛されキャラったらもうね。国民的に愛でるというか、宇宙的な次元ですらある。
もちろん俳優はひとつの作品のひとつの役だけを演じるわけではない。作品ごとに前作とは180度異なる役柄をやることはよくある。あのはるたん役の快活なイメージから、こんなふり幅の最低夫を演じてしまえる。いったい、どうやったら次の役へ気持ちをもっていけるのか。俳優とは実に不可思議な存在である。
◆はるたん役との共通点
他作品での役柄自体を安易にもちこむべきではないけれど、それでも宏樹役にもほんの一瞬、はるたん的な快活さが弾む場面がある。宏樹が寝たあと、ひとりソファに座って図鑑のページをめくる美羽による回想。
結婚して5年。初めの頃は和やかな夫婦関係だった。帰宅した美羽がわっと泣きだしたのを見た宏樹も声をあげて一緒になって明るく泣く。顔をくしゃくしゃにするその表情や感情のアウトプットには、はるたん的なものが感じられる。昔は快活で人懐っこい人だったのである。
さらに細かい共通点をひとつあげるなら、陰湿な夫に変貌してからの宏樹の肩に注目してみる。美羽が会社まで封筒を届けた場面で、宏樹が着るスーツの右肩の端っこあたりがくぼんでいる。田中圭がスーツを着るとこうして右肩がなぜだかくぼむ(スーツのフィット感の問題でしかないのだが)。『おっさんずラブ』の春田はあえてくぼみを作っているのかというくらいくぼんでいた。
宏樹と春田はまったくベクトルが逆方向のキャラクターではあるのだが、このくぼみが同一人物(田中圭)が演じていることを証明するスポットみたいな役割になっていると思う。
◆「明日があるさ」的な俳優
作品間の垣根をこえて、ぼくらが田中圭を語るとき、こうした微細な類似がたくさん見つかる。ある種、隠れミッキー的な側面がある。その類似の読解は人それぞれではあるけど、物語レベルをこえて類似を見つける豊かな楽しみを与えてくれる人なのである。
今まで一番驚いた類似のキーワードは、「Tomorrow」。2018年公開、ジョン・ウー監督の『マンハント』に出演した田中は、苦悩する研究者・北川正樹役を少ない回想場面の中で演じた。ラストに「A Better Tomorrow」という重要なセリフが用意されている(これはウー監督の代表作である『男たちの挽歌』(1986年)の英語タイトルへのセルフオマージュ)。
あぁ、そうかと筆者は膝をうった。実際にセリフを言ったのは主演の福山雅治だが、このセリフが意味する「明日があるさ」とは、俳優としての田中圭の特性を端的に言い当てたものなのだなと勝手に理解した。あるいは、田中初の冠番組『田中圭の俳優ホン打ち』(フジテレビ)で彼がオーナー兼店長を演じた店名が「Tomorrow」だった。
彼はキャリアを通じて「明日があるさ」的な役割を担ってきたところがある。硬柔問わず、どんな作品どんな役柄の田中圭もいつも見る者を前向きにさせてくれる。はるたん役はその典型だった。とすると、毎日妻を叱責してばかりいる陰湿夫である宏樹役にも実は「明日があるさ」的なものがあるんじゃないか。
◆ありきたりな演技をやらなかった“ある場面”
第1話ラストで美羽から妊娠を告げられ、自分の子ではないとは知らない宏樹だが、第2話冒頭、「お疲れ様でした」とぼそりつぶやいて、ひとりでオフィスに残る場面がある。
上司と部下にはさまれ、彼の心は悲鳴をあげている。時計を2度見る。視線をそらすタイミングが完璧だ。激務のストレスから深いため息でもつくのかと思ったら、田中圭がそんなありきたりな演技はやらない。
ため息寸前のところでぱっと机上を整理する。この短いワンシーンでの田中の控えめでいてつややかな演技には心動かされる。「あなたの子よ」と美羽からいわれた一言を思い出す宏樹の虚(うつろ)な表情がビルの窓ガラスに映る。なかば憐れみだが、宏樹にもそりゃ明日はあるよなぁと。本作の田中圭は、とても複雑な「明日があるさ」を表現している。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
田中圭は、国民的に愛されるキャラクターから、本作のような愚劣極まるキャラまでどうして演じてしまえるのか。そのふり幅の秘密を読み解くキーワードとは?
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、「明日があるさ」的な演技が類似する本作の田中圭を読み解く。
◆すぐに察しがつく夫婦関係
こりゃひどい。ひどすぎる。こんなに救いようがない男性キャラクターを久しぶりに見た気がする。『わたしの宝物』で、主人公・神崎美羽(松本若菜)の夫である神崎宏樹のことだ。演じるのは、田中圭。
第1話冒頭、慌ただしくダイニングテーブルを拭いた美羽が、リビング隅に置かれた鳥かごに覆いをかけて「酔っ払いにいじられるの嫌でしょ」と話しかける。「酔っ払い」とはいったい、誰のことなのか。宏樹のことである。
独り言とはいえ、自分の夫のことをそうつぶやかざるを得ないほど、この夫婦関係に問題があるのだろうとすぐに察しがつく。これは相当な酒乱か、それとも暴力男なのか。実際はそのどちらでもない。
◆夫婦の明らかな上下関係
美羽が手料理を並べているところへ、勤め先の社員たちを連れて宏樹が帰ってくる。「ほんとごめんなさい」と宏樹は愛想がいい。あれ、おかしいな。美羽が玄関に飛んでいって人数分のスリッパを並べる。部下のひとりの名前をいい間違えた瞬間、宏樹はブハッと笑っているが、なんだかピリッとした視線を感じる気もする。
宏樹たちはリビングへ移動する。床に這いつくばるようにしてスリッパを並べてかがんだ状態のままでいる美羽との明らかな上下関係が画面上に的確に示される。社員たちが帰ったあと、宏樹は「お前さ、名前ぐらい覚えられない?」とやっぱりなじる。声をあらげるわけではないが、言い方がきつい。
宏樹は毎晩のようにそうして妻に対してイライラしながら冷たい言葉の数々を吐き捨てる。別の日には、昼前に電話をかけてきて、会議で必要な資料が入った封筒をデスクの上に忘れてきたからすぐにもってこいと命令する。美羽は友人の雑貨屋のオープン記念に向かう途中だったが、宏樹から「状況わかるだろ」と言われ、家に戻る。
◆『おっさんずラブ』の愛されキャラから一変…
もっていったらもっていったで、感謝の一言もなく、小言をいわれる。なんなんだ、この男。いちいち。視聴者は共感のかけらも抱けない。こんな愚劣極まるキャラクターを演じるのが、田中圭なのだからなおさら強く感じる。
だって田中圭は少し前のクールでは、彼の代名詞ともなった、はるたんこと、春田創一を演じていた人である。はるたん旋風を巻き起こした大ヒットドラマシリーズ『おっさんずラブ』(テレビ朝日、2016年)の主人公・春田創一の愛されキャラったらもうね。国民的に愛でるというか、宇宙的な次元ですらある。
もちろん俳優はひとつの作品のひとつの役だけを演じるわけではない。作品ごとに前作とは180度異なる役柄をやることはよくある。あのはるたん役の快活なイメージから、こんなふり幅の最低夫を演じてしまえる。いったい、どうやったら次の役へ気持ちをもっていけるのか。俳優とは実に不可思議な存在である。
◆はるたん役との共通点
他作品での役柄自体を安易にもちこむべきではないけれど、それでも宏樹役にもほんの一瞬、はるたん的な快活さが弾む場面がある。宏樹が寝たあと、ひとりソファに座って図鑑のページをめくる美羽による回想。
結婚して5年。初めの頃は和やかな夫婦関係だった。帰宅した美羽がわっと泣きだしたのを見た宏樹も声をあげて一緒になって明るく泣く。顔をくしゃくしゃにするその表情や感情のアウトプットには、はるたん的なものが感じられる。昔は快活で人懐っこい人だったのである。
さらに細かい共通点をひとつあげるなら、陰湿な夫に変貌してからの宏樹の肩に注目してみる。美羽が会社まで封筒を届けた場面で、宏樹が着るスーツの右肩の端っこあたりがくぼんでいる。田中圭がスーツを着るとこうして右肩がなぜだかくぼむ(スーツのフィット感の問題でしかないのだが)。『おっさんずラブ』の春田はあえてくぼみを作っているのかというくらいくぼんでいた。
宏樹と春田はまったくベクトルが逆方向のキャラクターではあるのだが、このくぼみが同一人物(田中圭)が演じていることを証明するスポットみたいな役割になっていると思う。
◆「明日があるさ」的な俳優
作品間の垣根をこえて、ぼくらが田中圭を語るとき、こうした微細な類似がたくさん見つかる。ある種、隠れミッキー的な側面がある。その類似の読解は人それぞれではあるけど、物語レベルをこえて類似を見つける豊かな楽しみを与えてくれる人なのである。
今まで一番驚いた類似のキーワードは、「Tomorrow」。2018年公開、ジョン・ウー監督の『マンハント』に出演した田中は、苦悩する研究者・北川正樹役を少ない回想場面の中で演じた。ラストに「A Better Tomorrow」という重要なセリフが用意されている(これはウー監督の代表作である『男たちの挽歌』(1986年)の英語タイトルへのセルフオマージュ)。
あぁ、そうかと筆者は膝をうった。実際にセリフを言ったのは主演の福山雅治だが、このセリフが意味する「明日があるさ」とは、俳優としての田中圭の特性を端的に言い当てたものなのだなと勝手に理解した。あるいは、田中初の冠番組『田中圭の俳優ホン打ち』(フジテレビ)で彼がオーナー兼店長を演じた店名が「Tomorrow」だった。
彼はキャリアを通じて「明日があるさ」的な役割を担ってきたところがある。硬柔問わず、どんな作品どんな役柄の田中圭もいつも見る者を前向きにさせてくれる。はるたん役はその典型だった。とすると、毎日妻を叱責してばかりいる陰湿夫である宏樹役にも実は「明日があるさ」的なものがあるんじゃないか。
◆ありきたりな演技をやらなかった“ある場面”
第1話ラストで美羽から妊娠を告げられ、自分の子ではないとは知らない宏樹だが、第2話冒頭、「お疲れ様でした」とぼそりつぶやいて、ひとりでオフィスに残る場面がある。
上司と部下にはさまれ、彼の心は悲鳴をあげている。時計を2度見る。視線をそらすタイミングが完璧だ。激務のストレスから深いため息でもつくのかと思ったら、田中圭がそんなありきたりな演技はやらない。
ため息寸前のところでぱっと机上を整理する。この短いワンシーンでの田中の控えめでいてつややかな演技には心動かされる。「あなたの子よ」と美羽からいわれた一言を思い出す宏樹の虚(うつろ)な表情がビルの窓ガラスに映る。なかば憐れみだが、宏樹にもそりゃ明日はあるよなぁと。本作の田中圭は、とても複雑な「明日があるさ」を表現している。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu