Infoseek 楽天

「無名・無収入の夫」と結婚した昭和の大女優・高峰秀子、“超格差婚”の意外なその後

女子SPA! 2024年12月5日 8時46分

 昭和の大女優・高峰秀子と、脚本家の夫・松山善三は超格差婚を経て、生涯添い遂げた。そんなふたりの愛情物語を、ふたりの養女として身近で見てきた文筆家の斎藤明美さんが一冊の本『ふたり~救われた女と救った男』にまとめました。

 本では書ききれなかった、知られざる高峰秀子と、当時まだ無名だった愛する夫・松山善三の超格差婚のエピソードを斎藤さんにお聞きしました。

◆無名・無収入の助監督と結婚した大女優

 2024年は、日本映画史に残る偉大な女優、高峰秀子の生誕100年にあたります。

 一世を風靡した映画女優というと、きらびやかな印象を持つかもしれませんが、その結婚相手は、当時無名の駆け出しの助監督に過ぎなかった松山善三でした。

 そんな、ふたりの結婚生活を身近で見てきたのが、ふたりの養女、斎藤明美さんです。

◆年収約5000万円くらいある妻に対して夫は0

――当時大スターだった高峰秀子と、松山善三のふたりの、「超格差婚」とはどのようなものだったのでしょうか? ふたりが結婚した1955年という時代背景もふくめて教えていただけますか?

斎藤:一番格差がわかりやすい、結婚当時の2人の収入についてお話しましょう。2人が結婚した昭和30年の物価を現在に換算すると約20倍になっているそうなので、当時の高峰の映画一本のギャラ、映画界最高額100万円は、今なら約2000万円、松山の月給1万2500円は今の25万円に当ります。

――それはすごい格差ですね。

斎藤:つまり高峰の仕事が一年に映画出演一本だけとしても年収2000万円、もちろん2~3本出演すれば4000万円~6000万円、それに比べて松山の助監督としての年収は250万円、ボーナスがあったとしても300万円強でしょう。それも婚約したと同時に助監督をやめて脚本家になるべく執筆に打ち込んだので、結婚当初の松山は無収入ですね。要は、年収約5000万円くらいある妻に対して、夫は0という、恐るべき開きがあったわけです。あなたなら、無収入の男性と結婚できます?

――正直、それは考えるものがありますね。仮に自分が夫になる立場で想像しても、躊躇してしまいそうな格差です。高峰秀子さんの懐の深さがよくわかります。

斎藤:ちなみに昭和20年代の25歳~29歳の男性の平均年収は約370万円だったそうなので、やはり結婚する前の松山の年収は平均よりかなり下回っています。そして、当時の25~29歳の働く女性の平均年収は約354万円だったことを考えると、高峰はその20倍近く稼いでいたわけです。

◆「超格差婚」のその後は…

――まさに大スターと、シンデレラ・ボーイですね。

斎藤:収入以外の項目について2人の比較は、拙著『ふたり~救われた女と救った男』に掲載した比較表をご覧ください。

――はい。比較表、すごく興味深いです。ところで結婚当初、大変な格差があったことは分かりました。その後の格差婚の結末はどうだったのでしょうか? 高峰さんは幸せになったのでしょうか。

斎藤:さて、どうなったか? それは「ふたり」を読んでください。

――ありがとうございます。このお話を踏まえて、ページをめくるのが楽しみです。最後に「ふたり」を近くで見てきた斎藤さんが、いまひとつだけ伝えたいことがあるとしたら?

斎藤:愛情とは瞬発的なものではなく、持続できるかどうかにその真価がある。そして愛情とは理解と尊敬だと思います。

――本日は貴重なお話をありがとうございます。なんだか元気をいただきました。

【斎藤 明美(さいとう・あけみ)】

文筆家。本名:松山明美。1956年土佐市生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経て、『週刊文春』の記者を20年務めてフリーに。2009年、10年余り親交のあった松山・高峰夫妻の養女となる。小説『青々と』で日本海外文学大賞奨励賞受賞。著書に『高峰秀子の捨てられない荷物』『最後の日本人』『高峰秀子の流儀』『高峰秀子との20年』『高峰秀子の言葉』など

<取材/八幡眞梨子>

【女子SPA!編集部】
大人女性のホンネに向き合う!をモットーに日々奮闘しています。メンバーはコチラ。X:@joshispa、Instagram:@joshispa

この記事の関連ニュース