夫婦関係に悩んでいる女性は少なくないはず。4人の子供を育てながら、セラピストとして活躍する宮地愛さんもその1人です。宮地さんは異色の経歴の持ち主。前職は公立高校の国語の教師で、「美容には興味がありませんでした」と語ります。そんな宮地さんが一念発起してセラピストの道に進んだのは、「主人から独立したい」という強い思いがあったからでした。
◆10代のころに憧れた教師になるも…
宮地さんが教師を志したのは、「高校生のとき」と振り返ります。
「私は不登校児で、ほとんど小学校に行けなくて……。当時は、不登校=ズル休みと思われるような時代です。教師だけではなく、両親にも理解してもらえず、つらい思いをしたのを覚えています。
中学校からなんとか復帰できたのですが、高校に進学して進路を考えるようになったときに、学校の先生になって同じような悩みを持つ子の味方になってあげたいと考えました」
大学の教育学部に進学した宮地さんは、22歳で念願の教師になります。
「教員はとてもやりがいのある仕事でしたが、想像いていた以上に激務で、家には寝に帰っているような状態でしたね。それなのに、当時の給与は月に25万円程度。仕事量と給与が見合わないところや、教師同士の人間関係にも疲れてしまいました……」
◆結婚と出産を機に専業主婦に
徐々に熱意を失っていった宮地さんは、結婚と出産を機に28歳で専業主婦に。
「教員は、産休と育休を3年間取得することができます。当初は復帰も考えていたのですが、子育てをしながら教師を続けるのは無理だと考えて泣く泣く退職を決意しました」
夫が高年収であったことも専業主婦になることを後押ししましたが、夫婦生活を続けるうちに、宮地さんはストレスを抱えていったそうです。
「うちの夫は、『俺が働くから子育ては任せた』という昭和気質。お金の管理も自分でしたがるので、私は“お給料制”でやりくりをしていました。でも、結婚する前は自分で稼いでいましたし、教員だったというプライドもある。3人の子供の面倒を見ながら、もっと自由にお金を使いたいとずっとモヤモヤしていました」
◆専業主婦からセラピストになることを決意
そんな宮地さんがセラピストの道を目指したのは、38歳を目前に控えた2022年の年末でした。
「それまで美容に興味はなかったのですが、3人目を産んだ後に顔が崩れてきたので、何とかしたいと思っていろいろ調べてみて……。そこでセラピストスクールのことを知り、セラピストの方たちが楽しそうに活躍されているのを見て、『私もやってみたい!』と考えました。自分で使えるお金を増やしたいという思いもあったのですが、セラピストなら自宅で仕事ができるのもメリットでしたね」
すぐに入学を決めたという宮地さんですが、「スクールの入会金を払うときは足が震えました」と明かします。
「当時の入学金は88万円。お小遣い制の私にとっては大金です。夫に相談して反対されるのもイヤだったので、内緒で申し込みました(笑)」
スクールの受講期間は6か月。畑違いということもあり、宮地さんは期間を延長して1年間学びましたが、「最初は何を言っているのかぜんぜん理解できませんでした(笑)」と回顧します。そんな宮地さんを支えたのは、とある先輩セラピストの激励でした。
「私は人に頼るのが苦手です。それで『わからないことがあっても、助けてくださいと言えない性格なんです』と正直に打ち明けたところ、とある先輩が『自分もそうだったよ』と言ってくれて。『今は弱点を克服できたらから、あなたもきっと変われる』と励ましてくれたんですね。その言葉がうれしくて、今も私の支えになっています」
◆仕事に復帰して夫に感謝できるようになった
頼れる先生や先輩の指導もあり、40歳を前にセラピストの道を歩み始めた宮地さん。仕事を初めて1年半が経った今、営業日を月8日と決めて、月収20万円を稼いでいます。
「子育てを優先したいのと体力的な問題もあって、今は仕事量を抑えていますが、教員時代と比べると、収入はほとんど変わらないのに、自由に使える時間とお金が増えてとても充実しています。
それにセラピストとして働くようになって、安定してお金を稼ぐたいへんさを痛感しましたね。毎月きちんとお金を家に入れてくれていた夫に感謝できるようになり、夫へのモヤモヤはなくなりました。実は、今年4月に39歳で4人目の子供を出産したのですが、夫も以前よりも性格が丸くなって、育児や家事に積極的に協力してくれるようになりました」
宮地さんは、自分と同じような悩みを抱えている女性に、こうのようにアドバイスをおくります。
「夫婦関係、親子関係、仕事、お金……悩みの原因はいろいろあると思います。私の場合は夫婦関係でしたが、それを考えないようにしてお金の問題にすり替えていました。悩みに向き合うのはつらいと思いますが、悩みを直視したうえで一歩踏み出してみてください。悩みを解決したいという思いを持って一歩踏み出すことができたら、誰だって変わることができると思います」
<取材・文/黒田知道>
◆10代のころに憧れた教師になるも…
宮地さんが教師を志したのは、「高校生のとき」と振り返ります。
「私は不登校児で、ほとんど小学校に行けなくて……。当時は、不登校=ズル休みと思われるような時代です。教師だけではなく、両親にも理解してもらえず、つらい思いをしたのを覚えています。
中学校からなんとか復帰できたのですが、高校に進学して進路を考えるようになったときに、学校の先生になって同じような悩みを持つ子の味方になってあげたいと考えました」
大学の教育学部に進学した宮地さんは、22歳で念願の教師になります。
「教員はとてもやりがいのある仕事でしたが、想像いていた以上に激務で、家には寝に帰っているような状態でしたね。それなのに、当時の給与は月に25万円程度。仕事量と給与が見合わないところや、教師同士の人間関係にも疲れてしまいました……」
◆結婚と出産を機に専業主婦に
徐々に熱意を失っていった宮地さんは、結婚と出産を機に28歳で専業主婦に。
「教員は、産休と育休を3年間取得することができます。当初は復帰も考えていたのですが、子育てをしながら教師を続けるのは無理だと考えて泣く泣く退職を決意しました」
夫が高年収であったことも専業主婦になることを後押ししましたが、夫婦生活を続けるうちに、宮地さんはストレスを抱えていったそうです。
「うちの夫は、『俺が働くから子育ては任せた』という昭和気質。お金の管理も自分でしたがるので、私は“お給料制”でやりくりをしていました。でも、結婚する前は自分で稼いでいましたし、教員だったというプライドもある。3人の子供の面倒を見ながら、もっと自由にお金を使いたいとずっとモヤモヤしていました」
◆専業主婦からセラピストになることを決意
そんな宮地さんがセラピストの道を目指したのは、38歳を目前に控えた2022年の年末でした。
「それまで美容に興味はなかったのですが、3人目を産んだ後に顔が崩れてきたので、何とかしたいと思っていろいろ調べてみて……。そこでセラピストスクールのことを知り、セラピストの方たちが楽しそうに活躍されているのを見て、『私もやってみたい!』と考えました。自分で使えるお金を増やしたいという思いもあったのですが、セラピストなら自宅で仕事ができるのもメリットでしたね」
すぐに入学を決めたという宮地さんですが、「スクールの入会金を払うときは足が震えました」と明かします。
「当時の入学金は88万円。お小遣い制の私にとっては大金です。夫に相談して反対されるのもイヤだったので、内緒で申し込みました(笑)」
スクールの受講期間は6か月。畑違いということもあり、宮地さんは期間を延長して1年間学びましたが、「最初は何を言っているのかぜんぜん理解できませんでした(笑)」と回顧します。そんな宮地さんを支えたのは、とある先輩セラピストの激励でした。
「私は人に頼るのが苦手です。それで『わからないことがあっても、助けてくださいと言えない性格なんです』と正直に打ち明けたところ、とある先輩が『自分もそうだったよ』と言ってくれて。『今は弱点を克服できたらから、あなたもきっと変われる』と励ましてくれたんですね。その言葉がうれしくて、今も私の支えになっています」
◆仕事に復帰して夫に感謝できるようになった
頼れる先生や先輩の指導もあり、40歳を前にセラピストの道を歩み始めた宮地さん。仕事を初めて1年半が経った今、営業日を月8日と決めて、月収20万円を稼いでいます。
「子育てを優先したいのと体力的な問題もあって、今は仕事量を抑えていますが、教員時代と比べると、収入はほとんど変わらないのに、自由に使える時間とお金が増えてとても充実しています。
それにセラピストとして働くようになって、安定してお金を稼ぐたいへんさを痛感しましたね。毎月きちんとお金を家に入れてくれていた夫に感謝できるようになり、夫へのモヤモヤはなくなりました。実は、今年4月に39歳で4人目の子供を出産したのですが、夫も以前よりも性格が丸くなって、育児や家事に積極的に協力してくれるようになりました」
宮地さんは、自分と同じような悩みを抱えている女性に、こうのようにアドバイスをおくります。
「夫婦関係、親子関係、仕事、お金……悩みの原因はいろいろあると思います。私の場合は夫婦関係でしたが、それを考えないようにしてお金の問題にすり替えていました。悩みに向き合うのはつらいと思いますが、悩みを直視したうえで一歩踏み出してみてください。悩みを解決したいという思いを持って一歩踏み出すことができたら、誰だって変わることができると思います」
<取材・文/黒田知道>