75歳の女性が恋愛沙汰で自殺未遂。こんなショッキングなエピソードではじまる『終の快楽』(世界文化社)。ノンフィクション作家、工藤美代子さんが綴る熟年女性達の密なるエッセイです。
◆年齢が熟せば色恋も熟す
20代の男女で恋人がいない率が約70%といわれる昨今で、本書に登場する熟年女性は大半がいわゆる“現役”。現役とは恋愛そして性愛に貪欲だという意味。著者の工藤さんご自身も70代、本書の主人公達にそそがれるまなざしは、時にあたたかく、時に悲哀がにじみ出ているのです。
いつしか私達は、年齢を重ねたら落ち着かなければならない、恥ずべき行いはすべきではない、など誰が決めたかもわからない固定観念に縛られています。“恋愛は若い方だけの特権、性愛など、年配の女性が語るなどはしたない”など。はからずも、色ボケなどという辛辣な言葉を投げかけられることも。セックスの賞味期限など、それこそ誰が決めたのでしょうか。
本書を読むと、熟年や年配などというカテゴリー分けすら、鼻で笑いたくなるのです。
◆コロナ以降、過激に赤裸々になったわけ
工藤さんのもとにはさまざまな人生相談が持ち込まれるそうですが、コロナ以降は毛色が違ってきたといいます。「過激になった。赤裸々になった。かつてない生々しい話になった」つまり「セックスが中心」の話ばかり。
これは私も感じていましたが、真面目に慎(つつ)ましく暮らしてきた友人知人がいきなり過激な性行為に走ったり、急に婚外恋愛に踏み切ったり、意外性を見せるようになったのです。
コロナが私達に心に落とした闇は、いつ死んでもおかしくない、という覚悟ではないでしょうか。ゆえに、いつ死んでもいいように、後悔をひとつずつ潰していく。意外性とは本音の裏返しで、後悔の対極にあるのが未知への快楽かもしれないのです。
◆75歳女性、10歳下の既婚男性との出会い
熟年の自殺や自殺未遂は、時折ニュースでも報道されます。不謹慎を承知でいえば、今さらなぜ寿命を待たずに死を選ぶのだろうと、問いたくなってしまいます。恋に破れたから自殺しようとした、という理由だとしたら、あなたはどう思いますか。
本書に登場するサヨ子さん(仮名)は75歳。夫は3年前に他界、子供はいませんが、十分な遺産のおかげで、生活に不自由はありません。
夫が亡くなって1年後に、サヨ子さんに恋人ができました。10歳年下の既婚者です。75歳と65歳の大人の恋愛。色褪(あ)せた日常からほんの少しの冒険を求めて、ささやかな交際をしているのだろうと、周囲はあえて干渉しなかったそうです。
やがてお相手の奥様に関係がバレてしまい、別れがおとずれます。そこでサヨ子さんは自殺を図るのですが、これがなんと狂言自殺。とはいえ、動機はお相手への激しい恋情とくれば、同情の余地はあまりあるほど。滑稽(こっけい)ながらも純粋な生きざま、と感じ入るのですが…。
◆性愛に投影する命のきらめき
ところが、サヨ子さんが求めていたのは、恋愛よりも性愛、もっといえば己の欲する快楽でした。サヨ子さんの姉がサヨ子さんの部屋で発見したのは、派手で卑猥な下着の数々。通常のショップでは販売していない、マニア向けの下着です。
恋愛も性愛も、セックスへの探求も、人それぞれで、法にふれないかぎり誰にも咎(とが)める資格はないでしょう。70代だろうが80代だろうが、「そんな風に見えなかった」という外野の声などなんのその、自己責任で堪能していいはずです。
が、狂言とはいえ自殺未遂にまで発展、となると脅威です。
同時に、そこまで貪欲になれるサヨ子さんに感動すら覚えます。お相手との相性が最高によかったのか、セックスへの可能性をもっと深めてみたかったのか、疑問ではありますが、サヨ子さんもまさに、いつ死んでもいい、と性と生命をまっとうしたかったのではないでしょうか。
◆羞恥とはいったい何なのか
本書を読むと、前述した固定観念がばかばかしくなってきます。人生においての羞恥とは、過激で赤裸々なセックスではなく、自分に嘘をつき続けて生きること、あるいは嘘をついたまま死ぬことかもしれません。
一般的に、閉経後の女性は濡れにくくなる、挿入時に痛みを生じる、など性行為がスムーズにいかなくなる傾向があります。
しかし男性と異なり、体の構造上は生涯“現役”OKです。ホルモン補充療法やゼリーを用いれば、十分にクリアできます。そのせいか、70代、80代の女性が、かなりの年下男性と付き合う例も後を絶たないのでしょう。
亡くなった夫の戦友と月2回ほど睦(むつ)み合う92歳の女性、旦那さんの介護をしながらふたりのボーイフレンドと逢瀬を重ねる68歳の女性。
悩み相談という名の自慢なのか、マウント合戦なのか、工藤さんでなくとも、一読者としても頭を抱えてしまいます。ただ、本書に登場する女性達はみんな、自分に与えられた命を精一杯輝かせようと、懸命に生きているのです。
◆したたかな“女”という底力
この世に存在する「私」を見つめるためには、合わせ鏡になる誰かが必要になってきます。男性を愛するというよりは、自己愛のために男性を利用している、当人が意識しているのか無意識なのか、“女”という底力を感じます。そんなしたたかさも、私には美しく映りました。
子育て、結婚、家族。さまざまなしがらみから解放され、自由な時間を手に入れた女性達。熟れた翼を広げて飛び立つ姿は、私達に生きる気力を揺り起こしてくれるのです。
<文/森美樹>
【森美樹】
小説家、タロット占い師。第12回「R-18文学賞」読者賞受賞。同作を含む『主婦病』(新潮社)、『私の裸』、『母親病』(新潮社)、『神様たち』(光文社)、『わたしのいけない世界』(祥伝社)を上梓。東京タワーにてタロット占い鑑定を行っている。X:@morimikixxx
◆年齢が熟せば色恋も熟す
20代の男女で恋人がいない率が約70%といわれる昨今で、本書に登場する熟年女性は大半がいわゆる“現役”。現役とは恋愛そして性愛に貪欲だという意味。著者の工藤さんご自身も70代、本書の主人公達にそそがれるまなざしは、時にあたたかく、時に悲哀がにじみ出ているのです。
いつしか私達は、年齢を重ねたら落ち着かなければならない、恥ずべき行いはすべきではない、など誰が決めたかもわからない固定観念に縛られています。“恋愛は若い方だけの特権、性愛など、年配の女性が語るなどはしたない”など。はからずも、色ボケなどという辛辣な言葉を投げかけられることも。セックスの賞味期限など、それこそ誰が決めたのでしょうか。
本書を読むと、熟年や年配などというカテゴリー分けすら、鼻で笑いたくなるのです。
◆コロナ以降、過激に赤裸々になったわけ
工藤さんのもとにはさまざまな人生相談が持ち込まれるそうですが、コロナ以降は毛色が違ってきたといいます。「過激になった。赤裸々になった。かつてない生々しい話になった」つまり「セックスが中心」の話ばかり。
これは私も感じていましたが、真面目に慎(つつ)ましく暮らしてきた友人知人がいきなり過激な性行為に走ったり、急に婚外恋愛に踏み切ったり、意外性を見せるようになったのです。
コロナが私達に心に落とした闇は、いつ死んでもおかしくない、という覚悟ではないでしょうか。ゆえに、いつ死んでもいいように、後悔をひとつずつ潰していく。意外性とは本音の裏返しで、後悔の対極にあるのが未知への快楽かもしれないのです。
◆75歳女性、10歳下の既婚男性との出会い
熟年の自殺や自殺未遂は、時折ニュースでも報道されます。不謹慎を承知でいえば、今さらなぜ寿命を待たずに死を選ぶのだろうと、問いたくなってしまいます。恋に破れたから自殺しようとした、という理由だとしたら、あなたはどう思いますか。
本書に登場するサヨ子さん(仮名)は75歳。夫は3年前に他界、子供はいませんが、十分な遺産のおかげで、生活に不自由はありません。
夫が亡くなって1年後に、サヨ子さんに恋人ができました。10歳年下の既婚者です。75歳と65歳の大人の恋愛。色褪(あ)せた日常からほんの少しの冒険を求めて、ささやかな交際をしているのだろうと、周囲はあえて干渉しなかったそうです。
やがてお相手の奥様に関係がバレてしまい、別れがおとずれます。そこでサヨ子さんは自殺を図るのですが、これがなんと狂言自殺。とはいえ、動機はお相手への激しい恋情とくれば、同情の余地はあまりあるほど。滑稽(こっけい)ながらも純粋な生きざま、と感じ入るのですが…。
◆性愛に投影する命のきらめき
ところが、サヨ子さんが求めていたのは、恋愛よりも性愛、もっといえば己の欲する快楽でした。サヨ子さんの姉がサヨ子さんの部屋で発見したのは、派手で卑猥な下着の数々。通常のショップでは販売していない、マニア向けの下着です。
恋愛も性愛も、セックスへの探求も、人それぞれで、法にふれないかぎり誰にも咎(とが)める資格はないでしょう。70代だろうが80代だろうが、「そんな風に見えなかった」という外野の声などなんのその、自己責任で堪能していいはずです。
が、狂言とはいえ自殺未遂にまで発展、となると脅威です。
同時に、そこまで貪欲になれるサヨ子さんに感動すら覚えます。お相手との相性が最高によかったのか、セックスへの可能性をもっと深めてみたかったのか、疑問ではありますが、サヨ子さんもまさに、いつ死んでもいい、と性と生命をまっとうしたかったのではないでしょうか。
◆羞恥とはいったい何なのか
本書を読むと、前述した固定観念がばかばかしくなってきます。人生においての羞恥とは、過激で赤裸々なセックスではなく、自分に嘘をつき続けて生きること、あるいは嘘をついたまま死ぬことかもしれません。
一般的に、閉経後の女性は濡れにくくなる、挿入時に痛みを生じる、など性行為がスムーズにいかなくなる傾向があります。
しかし男性と異なり、体の構造上は生涯“現役”OKです。ホルモン補充療法やゼリーを用いれば、十分にクリアできます。そのせいか、70代、80代の女性が、かなりの年下男性と付き合う例も後を絶たないのでしょう。
亡くなった夫の戦友と月2回ほど睦(むつ)み合う92歳の女性、旦那さんの介護をしながらふたりのボーイフレンドと逢瀬を重ねる68歳の女性。
悩み相談という名の自慢なのか、マウント合戦なのか、工藤さんでなくとも、一読者としても頭を抱えてしまいます。ただ、本書に登場する女性達はみんな、自分に与えられた命を精一杯輝かせようと、懸命に生きているのです。
◆したたかな“女”という底力
この世に存在する「私」を見つめるためには、合わせ鏡になる誰かが必要になってきます。男性を愛するというよりは、自己愛のために男性を利用している、当人が意識しているのか無意識なのか、“女”という底力を感じます。そんなしたたかさも、私には美しく映りました。
子育て、結婚、家族。さまざまなしがらみから解放され、自由な時間を手に入れた女性達。熟れた翼を広げて飛び立つ姿は、私達に生きる気力を揺り起こしてくれるのです。
<文/森美樹>
【森美樹】
小説家、タロット占い師。第12回「R-18文学賞」読者賞受賞。同作を含む『主婦病』(新潮社)、『私の裸』、『母親病』(新潮社)、『神様たち』(光文社)、『わたしのいけない世界』(祥伝社)を上梓。東京タワーにてタロット占い鑑定を行っている。X:@morimikixxx