江戸っ子の気質を言い表したことわざとして、「火事と喧嘩は江戸の花」とよくいわれる。2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK総合・毎週日曜夜8時)では、この火事と喧嘩の場面が冒頭から描かれる。
それによって主演俳優である横浜流星その人の魅力を実にうまく、余すところなく引きだしているのである。大河ドラマ初主演にして極まる時代劇の演技とは?
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、完璧な江戸っ子走りを披露する本作の横浜流星を解説する。
◆空撮きっかけで初登場する横浜流星
『べらぼう』第1回冒頭、江戸城から浅草北西の吉原まで、江戸の街一帯が大火につつまれる。「逃げろ!」とひとりの若い町人男性が、しきりに叫びながら鐘を鳴らす。
本作の主人公・蔦屋重三郎である。演じるのは横浜流星。大河ドラマを含むNHKドラマ初出演。しかもいきなり大河ドラマ初主演俳優になった横浜による、この重三郎をカメラはどう捉えるのか。
やや上方から下降し、勢いよく周囲を回るカメラが、鐘を鳴らす重三郎を捉えるのである。前後して、本作のワンカット目は、逃げ惑う人々を俯瞰する空撮映像だった。
1965年に緒形拳主演で放送された大河ドラマ『太閤記』では、ヘリコプターにのせたカメラが騎馬の軍勢を捉え、その映像が日本のテレビドラマ初の空撮とされている。空撮きっかけで初登場する横浜流星は、大河ドラマ初主演にしてすでに伝統的な大河ドラマ俳優なのではないかと思った。
◆頻繁に裸足になる俳優
大火が江戸中に広がったのは、火をあおる風のせいだ。重い稲荷を背負った重三郎が懸命に街中を走る。その間、終始風になびく着物の裾から、足(脚)がむきだしになる。
子どもたちに水を浴びせたあと、重三郎が草履をぬいで、裸足になる。その瞬間の足元が丁寧にアップで写る。上述した空撮の初登場場面からこの素足で地面をけるショットへと、なんだかやけに横浜流星の裸足が印象付けられている。
そう、横浜流星とは頻繁に裸足になる俳優なのである。たとえば、履き物をぬぐという類似性でいえば、主演映画『きみの瞳が問いかけている』(2020年)で、足がくさいのを気にした篠崎塁(横浜流星)がわざわざ靴をぬいで水で洗う足の裏がアップで写されていた。
◆素足が強調される意味
塁はそのあと履き古した靴を新調する。すっきり清潔になった足元が再度アップで写される。横浜が演じる主人公たちのこうした着脱にもう少し注目してみる。広瀬すずとの共演映画『流浪の月』(2022年)でも冒頭から着脱の過程が印象的である。
会社から汗だくで帰宅した中瀬亮(横浜流星)が早々にスボンをおろす。雄々しい脚をスクリーン上にあらわにする(ラブコメ映画『L♡DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』では上白石萌音が演じるヒロインにズボンをおろされる場面があった)。
寝室のベッドで亮がスマートフォンをいじるときもまた画面中景で横浜のふくらはぎに不思議と視線が誘導される。あらゆる作品でなぜ横浜流星は裸足になるのか。その素足が強調されることにはどんな意味があるのだろうか?
◆フィジカルな脚力勝負の時代劇
雄々しくて美しい脚だなぁとのんきに観察するだけでも楽しい。そしてそれを足元まで色っぽい人なんだなぁと単純に感心して存在感の話題として語ることはできる。
でもそれ以上に、横浜は、足(脚)そのものを演技の根幹とする俳優なのではないかと考えられないだろうか。少なくとも大河ドラマのような時代劇における演技は、俳優のフィジカルな脚力勝負のところがあるからである。
『べらぼう』で横浜が演じるのは、町人役である。江戸の町人役は、江戸っ子気質で軽妙でなりながら、腰を落とした姿勢によって時代劇らしい重量感も伝えなければならない。その腰元を物理的な意味で支えるのが、足元、つまり脚力の演技である。
◆横浜流星その人が江戸の花
町人役ではなく、武士階級の侍役なら、脚力に基づいて重心に裏打ちされた腰元で水平をとりつつ、あとは刀を振る手さばきを披露すればいいのだが、町人役は水平がとりずらい。
脚力の演技が強くなって重量感があり過ぎてもまずいし、かといって上半身だけでぺらぺら軽妙に動くだけでは説得力がない。上半身と下半身がちぐはぐにならずにうまくバランスを保つ必要性がある。
その点、横浜流星はほとんど完璧である。『べらぼう』第1回中盤、重三郎が寺の境内を走る場面がある。着物をまくって素足をあらわにした横浜の江戸っ子走りは、上半身と下半身のバランスが見事である。
「火事と喧嘩は江戸の花」という江戸っ子気質を言い当てたことわざがあるが、冒頭の大火場面、旗本・長谷川平蔵宣以(中村隼人)の取り巻きに一方的に重三郎が殴られる場面以上に、この完璧な江戸っ子走りを披露する横浜流星その人が江戸の花だ。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修
「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu
それによって主演俳優である横浜流星その人の魅力を実にうまく、余すところなく引きだしているのである。大河ドラマ初主演にして極まる時代劇の演技とは?
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、完璧な江戸っ子走りを披露する本作の横浜流星を解説する。
◆空撮きっかけで初登場する横浜流星
『べらぼう』第1回冒頭、江戸城から浅草北西の吉原まで、江戸の街一帯が大火につつまれる。「逃げろ!」とひとりの若い町人男性が、しきりに叫びながら鐘を鳴らす。
本作の主人公・蔦屋重三郎である。演じるのは横浜流星。大河ドラマを含むNHKドラマ初出演。しかもいきなり大河ドラマ初主演俳優になった横浜による、この重三郎をカメラはどう捉えるのか。
やや上方から下降し、勢いよく周囲を回るカメラが、鐘を鳴らす重三郎を捉えるのである。前後して、本作のワンカット目は、逃げ惑う人々を俯瞰する空撮映像だった。
1965年に緒形拳主演で放送された大河ドラマ『太閤記』では、ヘリコプターにのせたカメラが騎馬の軍勢を捉え、その映像が日本のテレビドラマ初の空撮とされている。空撮きっかけで初登場する横浜流星は、大河ドラマ初主演にしてすでに伝統的な大河ドラマ俳優なのではないかと思った。
◆頻繁に裸足になる俳優
大火が江戸中に広がったのは、火をあおる風のせいだ。重い稲荷を背負った重三郎が懸命に街中を走る。その間、終始風になびく着物の裾から、足(脚)がむきだしになる。
子どもたちに水を浴びせたあと、重三郎が草履をぬいで、裸足になる。その瞬間の足元が丁寧にアップで写る。上述した空撮の初登場場面からこの素足で地面をけるショットへと、なんだかやけに横浜流星の裸足が印象付けられている。
そう、横浜流星とは頻繁に裸足になる俳優なのである。たとえば、履き物をぬぐという類似性でいえば、主演映画『きみの瞳が問いかけている』(2020年)で、足がくさいのを気にした篠崎塁(横浜流星)がわざわざ靴をぬいで水で洗う足の裏がアップで写されていた。
◆素足が強調される意味
塁はそのあと履き古した靴を新調する。すっきり清潔になった足元が再度アップで写される。横浜が演じる主人公たちのこうした着脱にもう少し注目してみる。広瀬すずとの共演映画『流浪の月』(2022年)でも冒頭から着脱の過程が印象的である。
会社から汗だくで帰宅した中瀬亮(横浜流星)が早々にスボンをおろす。雄々しい脚をスクリーン上にあらわにする(ラブコメ映画『L♡DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』では上白石萌音が演じるヒロインにズボンをおろされる場面があった)。
寝室のベッドで亮がスマートフォンをいじるときもまた画面中景で横浜のふくらはぎに不思議と視線が誘導される。あらゆる作品でなぜ横浜流星は裸足になるのか。その素足が強調されることにはどんな意味があるのだろうか?
◆フィジカルな脚力勝負の時代劇
雄々しくて美しい脚だなぁとのんきに観察するだけでも楽しい。そしてそれを足元まで色っぽい人なんだなぁと単純に感心して存在感の話題として語ることはできる。
でもそれ以上に、横浜は、足(脚)そのものを演技の根幹とする俳優なのではないかと考えられないだろうか。少なくとも大河ドラマのような時代劇における演技は、俳優のフィジカルな脚力勝負のところがあるからである。
『べらぼう』で横浜が演じるのは、町人役である。江戸の町人役は、江戸っ子気質で軽妙でなりながら、腰を落とした姿勢によって時代劇らしい重量感も伝えなければならない。その腰元を物理的な意味で支えるのが、足元、つまり脚力の演技である。
◆横浜流星その人が江戸の花
町人役ではなく、武士階級の侍役なら、脚力に基づいて重心に裏打ちされた腰元で水平をとりつつ、あとは刀を振る手さばきを披露すればいいのだが、町人役は水平がとりずらい。
脚力の演技が強くなって重量感があり過ぎてもまずいし、かといって上半身だけでぺらぺら軽妙に動くだけでは説得力がない。上半身と下半身がちぐはぐにならずにうまくバランスを保つ必要性がある。
その点、横浜流星はほとんど完璧である。『べらぼう』第1回中盤、重三郎が寺の境内を走る場面がある。着物をまくって素足をあらわにした横浜の江戸っ子走りは、上半身と下半身のバランスが見事である。
「火事と喧嘩は江戸の花」という江戸っ子気質を言い当てたことわざがあるが、冒頭の大火場面、旗本・長谷川平蔵宣以(中村隼人)の取り巻きに一方的に重三郎が殴られる場面以上に、この完璧な江戸っ子走りを披露する横浜流星その人が江戸の花だ。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修
「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu