昨年10月からスタートしたNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。3月末のラストに向けて、より一層の物語が盛り上がっている……と言いたいところですが、作品自体の盛り上がりよりもツッコミどころの多い内容の賛否や、物語とは関係ないゴシップの方が盛況であるように感じます。
それだけこの朝の連続テレビ小説というコンテンツが注目されているという証拠なのでしょう。ですが、その注目のされ方に疑問を感じます。
◆ここ数年、異様にハードルが上がった朝ドラ
ここ数年、NHK朝の連続テレビ小説・通称朝ドラは、その作品の良しあしに関わらず、どの作品も異常な注目度を見せています。少しでも展開があると逐一ネットニュースになり、作品名のハッシュタグや登場人物がXのトレンドに上がることが日常です。
主役やヒロインに限らず、若手・無名俳優の登竜門となっており、脇役や1週のみの出演であっても「朝ドラ俳優」という称号が与えられ、多くのドラマ・映画やCM、バラエティ番組に羽ばたいていっています。
ただ、作品によってはお茶の間の評価を得られないことも多々あり、「#~~反省会」や、検索避けのため批判用のタグが作られ、演技や演出の隅々までツッコミが入れられることも。またそこでは作品の苦言だけでなく出演者や作者の人格否定につながる誹謗中傷などが書き込まれることもあります。
世間的には好評だった『虎に翼』でさえ、作風やテーマが好みに合わなかった視聴者から非難が殺到している世界が一部のSNSの中にありました。
◆一方、昔の朝ドラはどうだった?
NHKやCSなどでは、多くの過去の朝ドラが再放送されています。現在も朝に『カーネーション』昼に『カムカムエヴリバディ』と、素晴らしい過去の作品が放映されています。
10年近く前から、朝はBSで再放送もセットで視聴するようになった筆者ですが、今と比べると、昔の作品は、放映時の価値観が違うことを差し置いても感情移入できなかったり、ストーリーや行動が理解不能な作品も多々ありました。
子役などの演技も、今と比べれば見ていられないものも多かったです。内容についていけず、視聴を諦めた作品もありました。
あの国民的人気作品『おしん』でさえも、主役のおしんが老年期を迎えた時期の回は、説教臭いと少女期・青年期ほどの盛り上がりはなく批判があったといいます。
サザエさん作者の長谷川町子さん姉妹を描いた『マー姉ちゃん』では最後の数週、展開の計算を誤ったような消化試合感があり、大石静さん脚本の『オードリー』も両親の隣家で父親の昔の恋人に育てられるという設定が、一部から「地獄朝ドラ」「ホラー」と叫ばれるほどでした。
◆大物脚本家でもツッコミどころ満載だった
このように橋田寿賀子さん、大石静さんなどの有名作家の作品であっても、どこかツッコミどころ満載の作品が多々あったのです。
ですが、昔の朝ドラの万人受けしない部分から脚本家の作家性や信念を感じることがあり、それがドラマ作品としての面白さでした。放映時間15分の中で尺が余り、物語のダイジェストやドラマのイメージソングが流れるのも、そこはかとない味がありました。
それと同時に、かつての朝ドラは朝の忙しい時間の中のひとときの楽しみとして、サクっと軽く視聴できるライトなものであったはずです。
◆あまちゃん以降、SNSによって朝ドラの権威が上昇
『ゲゲゲの女房』や『あまちゃん』あたりから、朝ドラは視聴者層を老若男女全世代に広げ、多くの国民が注目する人気コンテンツになりました。それまでも高視聴率を常にキープしていましたが、SNSの広がりもあいまって、話題性はさらに上昇していったように思えます。
また、SNSによって忌憚のない感想や考察が自由に発表できて拡散できるようになったことは、その盛り上がりに拍車をかけました。常に内容が話題になることで、録画、見逃し配信や再放送を駆使してまで見る人も増えました。
お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰さんも若手俳優を覚える際「ドラマだったら、NHK朝ドラ、あれだけ一発押さえておけばいい」と『あちこちオードリー』(テレビ東京系/2024年10月2日放送より)で言っていたように、ドラマというより一種の情報番組のようになっている感さえあります。つまり、朝ドラを“楽しむ”ことより、話題のために“見る”ことが目的となっている人が多くなったように感じます。
「合わないなら見ない」のではなく、朝ドラという情報を得るのがルーティンとなっているため、見ざるを得なくなっているーータイパを重視する現代人にとってわざわざ朝、時間をとって見る毎日の15分を無駄にしたくない感が強いのでしょう。
昨今の朝ドラへの誹謗中傷は、SNSで批判やツッコミを入れて話題の潮流に乗ることで、本人にとっては「無駄となった」朝の15分を、なんとかして有意義なものにしようとしているようにさえ思えます。
◆三谷幸喜らが朝ドラ執筆を断る理由
今期の朝ドラ『おむすび』も、どちらかというと批判やツッコミのエンゲージメントの高い作品に感じます。
一方でライトな視聴者層からは「橋本環奈ちゃんを見ているだけで癒される」「コミカルな内容で朝から元気になれる」などという意見もあります。誰もがスキのない洗練された作品を求めているわけではありません。
先日、脚本家の三谷幸喜さんが『あさイチ』(NHK)に出演し、「朝ドラの脚本をやるならどんなお話にしたいですか」とたずねられた際に、三谷氏は「絶対ムリだと思います」「朝ドラ、本当に難しいし、毎回15分でちょっと盛り上げなきゃいけないし」と語っていました。
朝ドラという国民的な枠を担当するにあたって、プロとして当然の意識です。それもあり、有名脚本家の中では、朝ドラのオファーがあっても断る人も少なくないといいます。
昨今、朝ドラでは複数の脚本家が得手不得手のテイストの部分を分業して脚本を担当するパターンが増えてきました。これらは、少なからず朝ドラが神格化し、制作者側も「朝ドラの名にふさわしい完ぺきなものを作らねばいけない」というプレッシャーの表れではないかと思うのです。
◆もっと有名脚本家の朝ドラを見たい!
個人的には三谷氏をはじめ、坂元裕二氏やバカリズム氏などが手掛けた個性的な作家さんの自由な朝ドラを見てみたい希望があります。ただ、感情を揺さぶる独特な世界観が持ち味の脚本家・遊川和彦氏が様々な条件を出して思うままに執筆したという『純と愛』は、視聴者の反応は芳しくないものが多かったですが……(筆者は好きです)。
雑音はあれど、『おむすび』も、脚本・根本ノンジ氏のコミカルでほっこりな作風が生かされた、朝から明るくなれる朝ドラに相応しいいい作品だとも言えます。ドタバタで先の見えない展開も逆にワクワクして、毎朝が楽しみです。最終回までの盛り上がり、期待しましょう!
<文/小政りょう>
【小政りょう】
映画・テレビの制作会社等に出入りもするライター。趣味は陸上競技観戦
それだけこの朝の連続テレビ小説というコンテンツが注目されているという証拠なのでしょう。ですが、その注目のされ方に疑問を感じます。
◆ここ数年、異様にハードルが上がった朝ドラ
ここ数年、NHK朝の連続テレビ小説・通称朝ドラは、その作品の良しあしに関わらず、どの作品も異常な注目度を見せています。少しでも展開があると逐一ネットニュースになり、作品名のハッシュタグや登場人物がXのトレンドに上がることが日常です。
主役やヒロインに限らず、若手・無名俳優の登竜門となっており、脇役や1週のみの出演であっても「朝ドラ俳優」という称号が与えられ、多くのドラマ・映画やCM、バラエティ番組に羽ばたいていっています。
ただ、作品によってはお茶の間の評価を得られないことも多々あり、「#~~反省会」や、検索避けのため批判用のタグが作られ、演技や演出の隅々までツッコミが入れられることも。またそこでは作品の苦言だけでなく出演者や作者の人格否定につながる誹謗中傷などが書き込まれることもあります。
世間的には好評だった『虎に翼』でさえ、作風やテーマが好みに合わなかった視聴者から非難が殺到している世界が一部のSNSの中にありました。
◆一方、昔の朝ドラはどうだった?
NHKやCSなどでは、多くの過去の朝ドラが再放送されています。現在も朝に『カーネーション』昼に『カムカムエヴリバディ』と、素晴らしい過去の作品が放映されています。
10年近く前から、朝はBSで再放送もセットで視聴するようになった筆者ですが、今と比べると、昔の作品は、放映時の価値観が違うことを差し置いても感情移入できなかったり、ストーリーや行動が理解不能な作品も多々ありました。
子役などの演技も、今と比べれば見ていられないものも多かったです。内容についていけず、視聴を諦めた作品もありました。
あの国民的人気作品『おしん』でさえも、主役のおしんが老年期を迎えた時期の回は、説教臭いと少女期・青年期ほどの盛り上がりはなく批判があったといいます。
サザエさん作者の長谷川町子さん姉妹を描いた『マー姉ちゃん』では最後の数週、展開の計算を誤ったような消化試合感があり、大石静さん脚本の『オードリー』も両親の隣家で父親の昔の恋人に育てられるという設定が、一部から「地獄朝ドラ」「ホラー」と叫ばれるほどでした。
◆大物脚本家でもツッコミどころ満載だった
このように橋田寿賀子さん、大石静さんなどの有名作家の作品であっても、どこかツッコミどころ満載の作品が多々あったのです。
ですが、昔の朝ドラの万人受けしない部分から脚本家の作家性や信念を感じることがあり、それがドラマ作品としての面白さでした。放映時間15分の中で尺が余り、物語のダイジェストやドラマのイメージソングが流れるのも、そこはかとない味がありました。
それと同時に、かつての朝ドラは朝の忙しい時間の中のひとときの楽しみとして、サクっと軽く視聴できるライトなものであったはずです。
◆あまちゃん以降、SNSによって朝ドラの権威が上昇
『ゲゲゲの女房』や『あまちゃん』あたりから、朝ドラは視聴者層を老若男女全世代に広げ、多くの国民が注目する人気コンテンツになりました。それまでも高視聴率を常にキープしていましたが、SNSの広がりもあいまって、話題性はさらに上昇していったように思えます。
また、SNSによって忌憚のない感想や考察が自由に発表できて拡散できるようになったことは、その盛り上がりに拍車をかけました。常に内容が話題になることで、録画、見逃し配信や再放送を駆使してまで見る人も増えました。
お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰さんも若手俳優を覚える際「ドラマだったら、NHK朝ドラ、あれだけ一発押さえておけばいい」と『あちこちオードリー』(テレビ東京系/2024年10月2日放送より)で言っていたように、ドラマというより一種の情報番組のようになっている感さえあります。つまり、朝ドラを“楽しむ”ことより、話題のために“見る”ことが目的となっている人が多くなったように感じます。
「合わないなら見ない」のではなく、朝ドラという情報を得るのがルーティンとなっているため、見ざるを得なくなっているーータイパを重視する現代人にとってわざわざ朝、時間をとって見る毎日の15分を無駄にしたくない感が強いのでしょう。
昨今の朝ドラへの誹謗中傷は、SNSで批判やツッコミを入れて話題の潮流に乗ることで、本人にとっては「無駄となった」朝の15分を、なんとかして有意義なものにしようとしているようにさえ思えます。
◆三谷幸喜らが朝ドラ執筆を断る理由
今期の朝ドラ『おむすび』も、どちらかというと批判やツッコミのエンゲージメントの高い作品に感じます。
一方でライトな視聴者層からは「橋本環奈ちゃんを見ているだけで癒される」「コミカルな内容で朝から元気になれる」などという意見もあります。誰もがスキのない洗練された作品を求めているわけではありません。
先日、脚本家の三谷幸喜さんが『あさイチ』(NHK)に出演し、「朝ドラの脚本をやるならどんなお話にしたいですか」とたずねられた際に、三谷氏は「絶対ムリだと思います」「朝ドラ、本当に難しいし、毎回15分でちょっと盛り上げなきゃいけないし」と語っていました。
朝ドラという国民的な枠を担当するにあたって、プロとして当然の意識です。それもあり、有名脚本家の中では、朝ドラのオファーがあっても断る人も少なくないといいます。
昨今、朝ドラでは複数の脚本家が得手不得手のテイストの部分を分業して脚本を担当するパターンが増えてきました。これらは、少なからず朝ドラが神格化し、制作者側も「朝ドラの名にふさわしい完ぺきなものを作らねばいけない」というプレッシャーの表れではないかと思うのです。
◆もっと有名脚本家の朝ドラを見たい!
個人的には三谷氏をはじめ、坂元裕二氏やバカリズム氏などが手掛けた個性的な作家さんの自由な朝ドラを見てみたい希望があります。ただ、感情を揺さぶる独特な世界観が持ち味の脚本家・遊川和彦氏が様々な条件を出して思うままに執筆したという『純と愛』は、視聴者の反応は芳しくないものが多かったですが……(筆者は好きです)。
雑音はあれど、『おむすび』も、脚本・根本ノンジ氏のコミカルでほっこりな作風が生かされた、朝から明るくなれる朝ドラに相応しいいい作品だとも言えます。ドタバタで先の見えない展開も逆にワクワクして、毎朝が楽しみです。最終回までの盛り上がり、期待しましょう!
<文/小政りょう>
【小政りょう】
映画・テレビの制作会社等に出入りもするライター。趣味は陸上競技観戦