震度5強を記録した富山市の実家に帰省していた記者も激しい揺れに襲われ、小学校の体育館で余震の続く不安な一夜を過ごした。
1日夕、市西部の婦中町下轡田(ふちゅうまちしもくつわだ)のショッピングセンターにいた。会社の同僚らに配る土産を選び、会計を待つ長い列に並んだ。店内はいつものように、にぎわっていた。
「緊急地震速報です」。突如、スマートフォンからけたたましい音が鳴り響いた。直後、大きな横揺れ。「頭を守って伏せてください!」。店員が大声で叫ぶ。地面が波打ち、建物がきしむ。10秒、20秒、30秒…。1分弱、続いただろうか。だがすぐに、より大きな揺れに襲われた。
吹き抜けの広場に目をやると、看板が次々と落ちてくる。ほこりが舞い上がり、白く濁る店内。泣き叫ぶ女性の声が聞こえる。「死」という単語が頭をよぎった。
長い揺れがようやく収まると、来店客は我先に出口へ向かった。外に出ると、幼い女の子が涙を浮かべ、母親にしがみついていた。
「とにかく、自宅に帰ろう」。乗り物に酔ったような気持ち悪さを抱えたまま、車で自宅へ戻った。ショッピングセンターから約20分。幸い、地割れなどは起きておらず、築30年余りの自宅も無事だったが、床には本や食器などが散乱していた。
帰宅後も、震度3程度の余震が断続的に続いた。自宅が安全とも思えず、市のホームページで避難所を調べ、母校の小学校に向かった。
市立堀川南小(同市本郷町)の体育館には、10組ほどの家族が避難していた。壁沿いに置かれた大型ストーブで暖を取りながら、避難者はマットの上で横になっていた。
避難所の許可を得て、被災者に声を掛けた。男性会社員(41)は富山湾に近い同市田畑の自宅から妻(42)、長女(14)、次女(12)と避難した。富山県全域の海沿いに津波警報が出された。「富山で津波警報が出されるとは思っていなかった。驚いた」と男性。「海や川から離れ、高い場所に避難しよう」と車で移動したが、途中で寄った別の避難所には人があふれて入れず、約10キロ離れた堀川南小にたどり着いた。「照明もあり、トイレも確保できた」と安堵(あんど)する一方、「自宅が津波の被害を受けなければいいのだが…」と顔を曇らせた。