東京電力福島第1原発事故の影響で、福島県から神奈川県に避難してきた住民ら56世帯167人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁で言い渡される。思い出の詰まった家、長年暮らした地域、娘が就くはずだった仕事…。原発事故で多くを失い、人生が一変させられた。福島県富岡町から避難してきた原告の小畑茂さん(64)、まゆみさん(64)夫妻は今、司法へ切に願う。「『想定外』で済まされて良いのか。津波対策を怠ってきた国と東電両方の責任を認めてほしい」
「久しぶりだねえ」。富岡町での日々を写したアルバムを夫妻でめくる。自宅で写る幼い子どもたちの笑顔、近隣住民ら数十人で食事を囲んだ集合写真-。原発から約8キロの自宅は事故後に居住制限区域となり、アルバムなどは一時帰宅が認められた際に持って帰ってきた。その自宅も、今はもうない。
茂さんの転勤を機に約35年前、同町で暮らし始め、自宅を建てた。住民同士の仲が良く「一つの家族のようだった」。まゆみさんは懐かしむ。
2011年3月11日。大きな揺れに見舞われ、まゆみさんは子ども3人と隣村へ避難した。神奈川へ単身赴任していた茂さんは心配で居ても立ってもいられなかった。その後、原発事故が発生。15日になんとか家族で再会し、茂さんの実家がある葉山町に避難した。
高校卒業後に地元企業で就職が決まっていた長女(31)の内定は取り消され、次女(25)は中学進学目前で友達と離れ離れになった。「子どもたちが一番かわいそうだったな」。茂さんはつぶやく。そして、原発事故の怖さは「目に見えないこと」と即答する。