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「番長の息子」三浦澪央斗 偉大な父と比較された野球人生「嫌でした。でもその分…」

カナロコ by 神奈川新聞 2024年3月4日 5時0分

 「最後までやり切った。悔いはない。でもあともう1、2年はやりたかったな」。横浜DeNAの三浦大輔監督(50)の長男として、常に注目を浴びてきた玉川大4年の三浦澪央斗(れおと)は、野球人生に終止符を打つことを決めた。

 昨年10月8日、首都大学野球リーグ2部の大東文化大戦。先発した背番号18の右腕は、4失点で黒星を喫したものの、最後まで一人で投げ切った。

 その姿は、横浜スタジアムのマウンドに立ち続けた父のよう。観戦に来ていた父からは「六回くらいで降板すると思ったがよく投げ切ったな」とねぎらわれた。

 平塚学園高時代は控え投手で、3年夏の背番号も18。メディアには「番長の息子」として取り上げられ、「自分を記事にするくらいなら他の選手を取り上げてくれ」と思ったこともあった。「打たれたくない。打たれないように」との気持ちや重圧が知らぬうちに投球にも影響していた。

◆大学4年春にはエースナンバー

 ただ、野球が好きという気持ちは変わらなかった。「せっかくだから大学でも続けよう」と迷いはなく、大学でも腕を振った。伸び伸びとした環境に加え、入学からコロナ禍とぶつかったことが功を奏した。

 制限された練習時間の中で「自分で考えるようになった。フォームを見直す時間が増えた」。球速は高校時代から10キロアップし143キロに。2年春にリーグ戦デビューを果たすと、強気な投球スタイルで4年春にはエースナンバーを託された。

 寮生活だった高校時代とは異なり、実家暮らしに戻ると、親子での会話が増えた。「父は一番(自分のことを)気にしてくれていたと思う」。その表情はうれしそうだ。

◆「信頼される人になりたい」

 野球を始めてからずっと偉大な父と比べられた。幼少期、父子でバッティングセンターに行くと自然と人だかりができた。空振りすると恥ずかしくてたまらなかった。

 「(比較されるのは)嫌だった。でもその分他の人ができない体験をさせてもらった」。小学生のときに球宴の舞台裏で憧れの田中将大(楽天)と話したこと、そして2016年、大観衆が集った父の引退試合で始球式を務めたことは最高の思い出として脳裏に刻まれている。

 今春、不動産会社に就職し、新社会人となる。「野球は一人ではできない。思いやりや気遣いを学んだ。営業職なので信頼される人になりたい」。勝負服をスーツに変えても、一つ一つの仕事を粘り強く「完投」していく。

 みうら・れおと 中川中(青葉緑東シニア)―平塚学園高―玉川大。高校時代は控え投手ながら、大学では2年春にデビュー。4年時はエースとして投手陣を支えた。父は横浜DeNAの三浦大輔監督。投手。182センチ、83キロ。右投げ右打ち。横浜市出身。22歳。

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