2022年秋から岡山・創志学園高を率い、今春の選抜大会(18~30日・甲子園球場)に出場する元東海大相模の門馬敬治監督。体調不良で1度はグラウンドを去り、新たな地で再出発した名指揮官の、進化する「アグレッシブベースボール」を追った。
JR新横浜駅から新幹線のぞみで約3時間。岡山駅からは公共交通機関がなく、さらに車で40分ほど走った山間に創志学園高硬式野球部グラウンドはある。神奈川から遠く離れた、新たな「アグレッシブベースボール」の拠点だ。
選手をじっと見つめるのは門馬敬治。東海大相模高監督を退任し、1年余りの休養期間を経て2022年秋、新たに創志学園監督に就任した。
東海大相模時代はアグレッシブ、すなわち超攻撃的な野球を掲げて春夏計4度の甲子園制覇。全国優勝回数は、現役監督としては大阪桐蔭高・西谷浩一に次ぎ2位につける。あまたのプロ野球選手も輩出。「名将」と呼ぶことを否定する人は、控えめに言ってもそうはいまい。
そんな門馬にとって岡山は「(相模時代は)大阪、神戸はよく来ていたし、広島にも大田泰示(現横浜DeNA)とかを見に行ったり。でも岡山駅には降りたことがなくて、ずっと通過していた場所」だった。文字通り何のゆかりもなかった地に「(創志学園から)熱心に誘っていただいて、最後は人ですね」という一点の理由でやってきた。
◆皿洗いからリスタート
1人で始める。そして自分から始める。「自分のことで必死ですよ」。それが今の門馬敬治の姿だ。
気心の知れたコーチを連れてきたわけでもなく、住まいは岡山駅近くで単身赴任。身の回りのことは自分でやる。昨年は1年間で1度しか神奈川の自宅には戻らなかった。
早朝、そして練習を終えた夜のほぼ毎日、総勢60人弱が暮らす野球部の寮に顔を出す。
着任した門馬が寮でまず始めたこと。それは野球の特訓でもメンタルトレーニングや生活指導でもなく、日々の食事後の皿洗いだった。
「自分が初めて寮に来た時、1年生が配膳をやって、食器はそれぞれが洗うことになっていて。上下関係がどうというのではなかったけれど、なんか嫌だなあと思って。こういうのは僕がやればいいと」
すぐそこから、朝も夜も寮に運ばれてきた食事を自ら配膳し、食後の皿を洗い始めた。
続けること実に8カ月。時がたつにつれて、コーチたちが手伝ってくれるようになり、朝の配膳の人を雇ってもらえるようになり、食事の業者さんが手伝ってくれるようにもなった。「不思議なものでね、頑張って動いていると誰かが助けてくれるんですよ。ついに学校が食洗機を入れてくれて(笑)。だいぶ楽になった。でも今も、夜のご飯とおみそ汁は僕とコーチで用意しています」
◆「ねぇ俺、愚痴を言ってない?」
全く知り合いがいなかった岡山の少年野球チームにも、遠方のグラウンドも含めて1人であいさつに訪れ、岡山県内の硬式25チームは全て回った。
当然、「あの東海大相模の門馬か」という視線を感じることもあったという。だが、本人はそんな名声をあえて自ら遠ざける。
「(岡山の人たちには)受け入れられる部分と、受け入れられない部分があると思うんですよ。でも僕が神奈川からやってきたんだから、どうのこうのじゃなく自分から行くしかない。もう飛び込んでいって、攻めるしかないんです」
熱狂的な神奈川の野球、そして全国制覇を成し遂げた東海大相模高の教え子たちの野球。岡山との違いはさまざまあるはずだ。しかし門馬はこれまでの自分と今を比較することもしない。
「比べるんじゃなくて、目の前のチームをどうするか。違いがあると思ったら壁ができてしまう。こういうことができないんだなと思うのではなくて、僕は選手を信じる」
岡山に来てから、長い時間を共にする部長、コーチたちに尋ね続け、自分にも問いかけてきたことがある。「ねぇ俺、愚痴を言ってない?」
そこに「名将」のイメージはない。門馬は「そうかもしれないですね。でも、それが逆に良かったのかも。グラウンドまで自分で40分間、トラックを運転して、荷物を運んでまた下ろして。本当の再スタートになった」と笑う。
◆わずか1年半 センバツ切符に「ぐっと」
今年1月26日、春の選抜大会出場決定の一報が届いた。「ぐっときた」と涙が伝ったという。監督就任からわずか1年半、昨夏の岡山大会初戦敗退からのセンバツ切符は快挙と言っていいだろう。
ただ門馬は「でもね、これでも遅いと思っている人もいるかもしれないから。評価は周りがすること。僕はチームを進化させるために、まだまだだぞと言い続けるだけ」。
センバツ決定以降、地元からの激励や取材も増え、忙しい日々を送る。岡山での第一歩となる聖地・甲子園への凱旋(がいせん)を前にした今、門馬が改めて思い出すのは、東海大相模の大先輩であり人生の師である原貢(享年78)から受けた25年前の教えだ。(敬称略)
◆もんま・けいじ 東海大相模高では主将を務め、東海大に進学。故障のためマネジャーとなり、当時の原貢監督に師事する。1999年に東海大相模の監督となり、2000年春の選抜大会で全国優勝。21年選抜では次男の功とともに史上初の親子優勝に輝くなど、春夏甲子園を4度制覇した。菅野智之(巨人)、大田泰示(横浜DeNA)、小笠原慎之介(中日)、森下翔太(阪神)ら、日本を代表する選手を育てた。21年夏を最後に体調不良で東海大相模監督を辞任。22年秋、岡山・創志学園高の監督に就任した。社会科教諭。横浜市出身。54歳。
◆創志学園高校 2010年に開校された岡山県岡山市の私立高校。共学で普通科と看護科がある。野球部は10年創部。11年に春の選抜大会に初出場し、16年の春、夏、18年夏、22年夏の計5回、甲子園に出場している同県の強豪。西純矢(阪神)などのプロ野球選手を輩出している。柔道、ソフトボールなども強豪として知られる。