アジア太平洋戦争末期、米軍の無差別爆撃で多くの死者が出た横浜大空襲から79年を迎えた29日、横浜市内の各地で、体験者が講演した。当時の記憶を呼び起こし、時に声を詰まらせながら語って聞かせる体験者の言葉に、参加者や児童は静かに耳を傾けた。
空襲の犠牲者を悼む「祈念のつどい」が横浜にぎわい座(同市中区)で開かれ、笠原實さん(93)が初めて自らの経験を人前で話した。
米軍は大量の焼夷(しょうい)弾を投下した後、戦闘機による機銃掃射も行った。笠原さんは機銃掃射から逃れるため、焼け野原になった街をかけずり回ったことなどを回顧。争いが絶えない世界情勢に「何万もの人が死んでいる。言葉にならない」と涙を流した。
中学校教諭だった笠原さんの教え子だった内田直生さん(73)=鎌倉市在住=は「先生の空襲体験は一度も聞いたことがなかった。『今話さなければ』と思ったのでしょう。胸に来るものがあった」と恩師の心情をおもんぱかった。