無差別の焼夷(しょうい)弾攻撃が街を焼き尽くした。1945年5月29日の横浜大空襲。当時5歳だった金子光一さん(84)=横浜市中区=は戦火を逃げ回り、九死に一生を得た。20年ほど前から、語り部として地域で活動する金子さんは言う。「生き残った者として、空襲を、戦争のことを、語らなければいけない」
午前9時過ぎだったと記憶している。
同区本牧地区にある友達の家で遊んでいると空襲警報が鳴り、空がみるみる薄暗くなった。慌てて外に飛び出すと、炎と煙が一帯に充満していた。
自宅までは100メートルと離れていない。なのに気が動転し、自宅とは反対方向に逃げる3人連れの大人を追っていた。
和菓子店の横から国民学校の脇道を駆け上がるが、家々が燃え盛り、熱くてたまらない。街角の防火用水槽で大人たちに頭から水をかけてもらい、再び走り出した。
どれくらい上ったのだろう。息を切らし、ようやくたどり着いた山の上の空き地から見下ろすと、街が炎で真っ赤に染まっていた。