1974年7月に台風8号の影響で起きた集中豪雨で神奈川県内でも大きな被害が出た「七夕水害」から50年。当時、横須賀市内では崖崩れで13人が死亡し、市内を流れる平作川の氾濫で京急久里浜駅近くの流域にある千世帯は濁流で孤立した。浸水被害に遭った本多勉さん(74)=同市久里浜=は「水害を知る人も少なくなった。被害を再び出さないためにどう語り継ぐかが課題」と胸中を明かす。市立中央図書館(同市上町)では平作川の水害被害を紹介する企画展を開いている。
同月8日未明から朝にかけて降り続いた豪雨が横須賀市内を襲った。降雨量は1時間当たり約70ミリに達した。市内各所では崖崩れが発生し、13人の死者を出すなど被害は甚大だった。市内全域で床上浸水3595戸、床下浸水3403戸に及んだ。
当時の神奈川新聞によると、三浦半島最長河川の平作川下流域は午前6時に濁流があふれ出した。同8時には周辺地域の水かさはピークになり、地盤が低い所では水深1.6メートルに達したという。国道134号は30センチ以上冠水し、京急線線路も水没した。平作川支流の吉井川もあふれ同市舟倉周辺は床上浸水600世帯、床下浸水352世帯だった。
当時、本多さんは舟倉で父と旋盤加工を行う住居兼の平屋建ての町工場を営んでいた。胸元まで水が迫ったが高い所へ逃げられなかった。「諦め半分の気持ちだった。機械は守れず、全て壊れた。ただ濁流が引くのを待つしかなかった」
「写真は泥水で駄目になった。思い出を全て奪われた」と語るのは岩﨑清幸さん(78)=同市舟倉。自宅の畳の張り替えを余儀なくされた。自家用車も泥や汚物でドロドロになった。