歴史を刻む時がついに来た。パリ五輪の追加競技として初採用されたブレイキン(ブレイクダンス)は9日に女子が始まる。今や国内でも人気だが、これまで競技の普及や強化、大会誘致などの活動を中心となって先導してきたのは、神奈川ゆかりの2人の元ダンサー。競技採用まで平らな道のりではなかったが、互いに描き続けた未来図がコンコルド広場で現実となる。
日本代表の男女4選手を支えるのは、海老名市出身の渡辺将広監督(35)と、川崎市育ちの石川勝之コーチ(43)。若年層を呼び込む目的で採用されたブレイキンだが、残念ながら4年後のロサンゼルス五輪の実施競技から外れた。普及の観点からも大きな痛手だが、日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス本部長も務める石川さんはこう語る。
「この状況を意外と前向きに受け止めていて、(パリ五輪が)逆にブレイキンが新たな道を切り開くための起点にもなる」
石川さんは大学時代に競技を始め、ダンサー名「KATSU ONE(カツワン)」として世界大会優勝を経験。一方、「マーロック」の名を持つ渡辺さんは県立希望ケ丘高でブレイクダンス部を立ち上げ、大学では数々の大会運営にも携わった。ダンス仲間でもあった2人は、それぞれの情熱を燃やしながらブレイキンと向き合ってきた。
別々の道が再び交わったのは2017年。パリ五輪に先立ち、18年のユース五輪(ブエノスアイレス)でブレイキンが導入された。これに伴い、日本国内でも本格的な競技化に向けて、日本連盟内に現本部を設立するためのプロジェクトチームが立ち上がった。
「ユース五輪は絶対に成功させないといけない」。そう意気込んだリーダー役の石川さん。一方、当時はスポーツメーカーの会社員でボランティアで関わった渡辺さんは苦悩の日々を振り返る。「何もないところからのスタートだった」