戦後79年がたち、戦争体験者やその子ども世代が高齢化する中、孫世代がゆかりの品を大切に保管し、戦争の悲惨さや理不尽さを語り合う遺族が横浜市にいる。戦没者の遺品を継承することを通じて「戦争の記憶を家族で語り継いでいければ」と思いを込める。
同市戸塚区の井山恵美子さん(80)の父、谷島新平さんは静岡県・浜松の航空隊に所属し、1945年1月17日、戦闘機に搭乗中、シンガポール上空で戦死したという。26歳だった。
井山さんはまだ1歳5カ月だったため、「父のぬくもりを知らない。父の顔を思い出すこともできない」と明かす。
記憶にあるのは茨城県の実家で育ててくれた母、いちさんの後ろ姿だ。3歳の時の父の葬儀では、いちさんが夜中にこっそりと遺骨箱を開けたら紙切れが1枚入っていただけだったと後に聞かされた。遺骨さえ返してもらえず、母の癒えない悲しみと絶え間ない苦悩を間近で感じてきた。
結婚して実家を離れた後も1人暮らしを続けたいちさんのところに家族で頻繁に行き来してきたが、いちさんは2000年3月、83歳で亡くなった。昨年暮れに井山さんの夫・孝さんを亡くしたこともあり、両親について思いを巡らすことが増えてきた。
今年、80歳を迎えたことから全国戦没者追悼式に参列しようと次女の釣宏美さん(50)を誘ったところ、宏美さんは「せっかく参列するのだから」と空き家となった実家に飾ってあった数々の遺品の中から新平さんの遺影や勲章が入った額縁を持ち帰った。井山さんは「うれしいね。額に入れた写真を間近で見ることがなかった」と喜び、遊びに来ていた孫の健吾さん(18)を交えて語り合った。
今月15日。日本武道館で行われた全国戦没者追悼式には、井山さんと宏美さん、もう1人の孫春菜さん(23)の3世代で参列した。小学校教諭になったばかりの春菜さんは「機会があれば子どもたちに戦争で亡くなった曽祖父について語ることで、戦争の悲惨さを身近に感じてもらいたい」と決意を新たにした。
宏美さんは今回、いちさんがかつて追悼式に参列した際の喪服を着用した。「『二度と戦争を起こしてはならない』と話していた祖母と思いを重ね、次の世代につなげていきたい」