6月から発掘調査が進められている小田原城跡(小田原市城内)で、江戸前期に発生した寛永小田原地震で生じた地割れが発見された。割れ目は少なくとも22カ所で確認される大規模なものだった。約50メートル離れた場所でも地震の痕跡とみられる割れ目が2015年に見つかっており、今回の発見で寛永小田原地震のものと断定された。
市文化財課によると、地割れは小田原城址公園北東側の御用米曲輪(くるわ)の地下1.6メートルで見つかった。1633(寛永10)年に県西部を震源として発生した寛永小田原地震(マグニチュード推定7.1程度)の痕跡で、当時の小田原周辺は建物倒壊など甚大な被害を受け、多くの犠牲者が出たと考えられている。小田原藩士だけでも237人が亡くなった記録がある。
今回発見された地割れは最も大きいもので長さ約14メートル、幅7センチで、8センチの段差もあった。地割れの規模が大きいことから、地下に断層が存在する可能性もあるという。
当時の地表面からは地震の際に起きた火災のものとみられる炭化した木材や焼土も見つかっている。周辺から出土した陶磁器などの遺物や上下の地層から、寛永小田原地震のものと断定された。