大洋、巨人で活躍し、「ライオン丸」の愛称で親しまれたジョン・シピンさん(78)が22日、ヤクルト戦(横浜)のセレモニアルピッチを務めた。バッターボックスに立ったのは同僚だった田代富雄打撃コーチ(70)。約40年ぶりの再会を喜んだ2人が、当時の思い出を語り合った。
シピンさんは1971年に大洋入団。72、73年にベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞を受賞した。75年には自己最多34本塁打。長髪とひげがトレードマークの人気選手だった。
田代コーチは「僕が22歳、初めて1軍に上がったとき、そのときにものすごくお世話になった」と懐かしむ。遠征先ではよくステーキハウスに連れて行ってもらった。東京・広尾のマンションに呼ばれ、バーベキューも楽しんだ。生地もデザインも考えてくれたというスーツは、今も大切に持っている。
一方で「シピンさんは変わった方だった」と笑う。「羽田空港でシピンさんが缶からを抱えて、ロングコートを着て座ってて。『田代、来い。クッキー食え』って」。だが、右も左も分からない若者にとっては、それがありがたかった。「2軍から上がったばかりで、まともにしゃべれない。そういうのがあって、1軍の雰囲気にも慣れることができた」と感謝が尽きない。
シピンさんは、1軍で活躍し始めたころの田代コーチを「若いのに、本当に素晴らしい才能の持ち主。打撃は天才的なものがあった」と振り返る。シピンさんは78年から巨人でプレーしたが、同コーチはその後、中心打者として成長。「巨人に移籍した後も、活躍を見るのが本当に自分のことのようにうれしかった」
セレモニアルピッチでは久々に大洋のユニホーム姿を披露したシピンさん。「ホエールズは日本にいるときに、本当に球団の方々に良くしていただいた。自分にとっても大事なユニホーム」と感慨深そうに話した。マウンドから降りて田代コーチから球を受け取り、熱い握手を交わした。「田代さんに教われる選手はうらやましい。田代さんからもらったものを、選手たちが生かして、また次の世代につないでほしい」とエールを送った。