就任4年目の三浦大輔監督(50)が横浜DeNAベイスターズを26年ぶりの日本一へと導いた。1998年の歓喜も低迷時代も知る通算172勝の元エース。「燃える」。この一言に番長を表す全てが詰まっている。
強者に挑んできた野球人生だ。小学3年で競技を始め、所属したチームはどこも弱かった。「1回戦に勝つかどうかと聞いていた」奈良・高田商高では、「じゃあ、俺が強くして甲子園に行く。打倒天理、打倒智弁」。何度敗れても負けん気で立ち向かった。
フリーエージェント(FA)権を行使した2008年オフもそう。幼少期からのファンだった阪神に移籍するか、横浜残留か。「あの1カ月は人生で一番、引退の決断よりも悩んだ」と振り返る。「2位のチームに行って優勝して、俺、本当にうれしいのか?」。たどり着いた答えは「最下位から優勝した方が、俺らしいな」だった。
だが、その後もベイスターズは勝てず、同僚も次々と去った。02~15年の14年間で最下位が10度。ある選手にはこう言われた。「三浦さんは一回優勝してるからいいですよね。僕も経験したいんです、と。『そうだよな』。当時はそう返すしかない。ただ、優勝できないって思われているのは悔しかった」
試合中、観客がグラウンドに物を投げ込み中断したこともある。選手たちで拾いに行ったことは今も忘れない。「ファンの方にもすごく悔しい思いをさせてしまった」。残留を決断してからは「この世界で成功する。勝ち星を挙げる」と個人の成績より「チームのため」へと意識が変わった。
評論家らの優勝予想は福岡ソフトバンクホークスが圧倒的優位だった。「くそーと思いましたよ。やってやろう!」。中学生の時、ロック歌手矢沢永吉さんの歌と出合い「ぶれない、貫きたい、かっこいい生き方をしたい」と決めた。自分を信じて挑み続け、横浜にとって唯一無二の存在となった。