能登半島地震の発生から1年が過ぎました。東日本大震災をきっかけに富山県内で支援活動を始めた民間のボランティアグループが、今月、石川県の奥能登地域を訪れました。
被災地に笑顔を届ける活動と、奥能登の現状を取材しました。
■能登で続ける支援 そして被災者の思いは
今月12日の朝、射水市の介護施設に集まったのは…
「おはようございます、ああ久しぶり」
とやま311ネット代表の酒井隆幸さん(68)。東日本大震災が発生した2011年、県内に避難した人を支援しようとグループを結成し、能登半島地震以降は能登の被災地を訪れ、炊き出しや物資の提供を行っています。
去年9月の奥能登豪雨の際には、被災した輪島市のスーパーで土砂を運び出すなど、支援活動を続けてきました。
この日の目的は「心の支援」。酒井さんと思いを共にする仲間たちが向かった先は、輪島市の西側、海沿いの地域。地震から1年が過ぎた今も至る所に地震の爪痕が残っていました。
武道キャスター「輪島市門前町の海岸に来ています。この辺りは地震の前は海の中にあったんですが、今はこのように一面、陸地化しています」
去年の元日、門前町は震度7を観測し、地震による隆起で海岸の姿が一変しました。
海底が4メートル隆起した港は船をつけることができず、現在も復旧工事が続いています。
輪島市では住宅1万544棟が被害を受け、災害関連死を含め181人の命が奪われました。
とやま311ネットのメンバーが到着したのは、門前町の海岸からほど近い道下地区に建てられた仮設住宅の団地です。279戸に518人が身を寄せていて、その多くが高齢者です。
武道キャスター「お邪魔します」
そのうちのひとり、水上せきのさんの部屋を訪ねました。
水上さん「ぜいたく言ったらきりがない。私ひとりだから十分なんですけど」
85歳の水上さん。過疎が進む小さな集落でひとり暮らしをしてきましたが、自宅は全壊し、避難所を転々とした後、この仮設住宅に移り住みました。
水上さん「希望を持ったってどうにもならないから、(困難が)あたってきたら何とかのけながら生きようかと思って。 変わり者らしいですわ(笑)」
仮設住宅で暮らして8か月、知らない住民と慣れない環境に閉じこもりがちになる高齢者もいるなか、水上さんは、県外から度々訪れるボランティアに力をもらったと話します。
水上さん「遠い所から来てくれて、今の若い人らは何もならないってしゃべるけれども、うそよねって。若い人らがこういう所までボランティアで来て助けてくれて。じゃあ私らが他県でなにかあると、かわいそうに気の毒なって口には出すよね、けれども行動できるかって言ったらできないよね」
■手作りコンサートで笑顔 富山と奥能登の縁
地震から1年。奥能登の人たちに新たな年を笑顔で過ごしてもらおうと、とやま311ネットが用意したのは温かいぜんざいと、神主に扮しての祝詞。そして、よさこいや楽器演奏など。様々な演目の手作りコンサートです。
この日、団地の集会場には大勢の住民が集まり、共に楽しい時間を過ごしました。
とやま311ネットが支援を続けてきたことで、その活動に参加する地元住民も増えました。
元介護士の山下理子さん(66)は門前町の自宅が全壊し、この仮設団地で暮らしながら、住民の健康や安全を見守っています。
山下さん「本当に感謝です、ボランティアの人には感謝。物はなくなっても人がいればまたね。ここにいる間、みんなが元気でおってくれれば、無事でここを出て、リフォームして住んだり、みんな無事に過ごして出て行ければそれがベストだと思います」
とやま311ネット 酒井代表「これからの支援のあり方は、とにかくコミュニティーをしっかりと形成することを応援する。もうボランティアで何でもしようというのは、ちょっと抜けたと思うし、公共の支援も入れば、逆に邪魔にならないように。今回も誓いを新たにして、きょうは終えました」
がんばろう能登、がんばろう輪島。同じ思いでつながった富山と奥能登の縁は、これからも続いていきます。
とやま311ネットの酒井代表は、活動を続けるには人手や資金が不足していて、賛同してくれる人にはできる形で参加してほしいと話していました。
この記事の動画はこちらから再生できます