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「人が死んでいくのに誰も知らない」…戒厳軍突破、光州へ向かった彼ら [韓国記者コラム]

KOREA WAVE 2024年12月8日 15時17分

【KOREA WAVE】
棺の前で泣き崩れる光州の遺族=ヒンツペーター記者撮影、KBSキャプチャ(c)MONEYTODAY

「光州?ドン・ウォーリー、ドン・ウォーリー!アイ・ベスト・ドライバー」

ソウルのホテルでタクシー運転手をしていたキム・マンサプ(映画ではソン・ガンホ演じる)が偶然、光州行きを望むドイツ人客と出会う。

「外国人客を乗せて光州に行き、夜間外出禁止時間前に戻ってくれば10万ウォンをくれるって」。10万ウォンは当時、キム・マンサプが滞納していた家賃を一度に払えるほどの大金だった。この大金に目がくらんだ彼は、ドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を乗せて、5.18民主化運動の真っ只中だった光州へ向かう。そこでどんな事態が待っているのかもわからないまま。

これが2017年8月2日に公開された映画「タクシー運転手」の冒頭だ。

映画「タクシー運転手」ポスター=ショーボックス提供(c)MONEYTODAY

この映画は、1980年5月18日に発生した光州民主化運動と、軍事政権が徹底的に隠そうとした5.18運動の真実を外部に伝えたドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター、そして隠された協力者であるタクシー運転手キム・サボクを描いた実話を元にした作品だ。この映画が、ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が「非常戒厳」を宣言したことで再び注目を集めている。

緊急国民向け特別談話を発表する韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領=KTVキャプチャ(c)MONEYTODAY

戒厳令は韓国の歴史上17回目であり、1979年の「10.26事件」時の非常戒厳宣言以来45年ぶりだ。

1979年10月26日、パク・チョンヒ(朴正熙)大統領(当時)が暗殺され、非常戒厳が布告された。この時期、戒厳軍が権力の中心に座り、チョン・ドゥファン(全斗煥)氏(のちに大統領)ら「ハナ会」を中心とした新軍部勢力がクーデターを起こしたのが「12.12事態」だ。そして、この新軍部勢力に対抗して起こった民主化運動で、多くの市民が無実のまま虐殺された事件が、この映画が扱っている「5.18光州民主化運動」だ。

当時、戒厳軍による厳しい報道統制により、この事件は外部に知らされなかった。しかし、ドイツの従軍記者と、彼を光州へ運んだ一市民の勇気によって、この事件は新軍部の支配を突破し、国外で先に報道され、逆に国内へ伝わることになった。

今回の戒厳宣言では、怒った市民たちが街頭に出て戒厳軍に体を張って立ち向かい、写真や動画を撮り続けて証拠を残す姿が見られた。16回目の戒厳当時とは様相は大きく異なる。

パク・チョンヒとチョン・ドゥファン=オンラインキャプチャ(c)MONEYTODAY

「タクシー運転手」は、他の「5.18映画」とは異なり、新たな人物を際立たせることで新鮮さを与えた。5.18民主化運動を初めて世界に知らせたドイツ人従軍記者ユルゲン・ヒンツペーターとタクシー運転手キム・サボクの存在も再評価された。また、第三者の視点で事件を見つめ、観客に当時の惨状を重すぎない形で伝え、1000万人以上の観客を動員して商業映画としても成功を収めた。

5.18光州民主化運動は、軍事政権が生み出した独裁者を清算するための重要な転換点となった出来事だ。独裁者だったパク・チョンヒが暗殺された後、戒厳令が布告され、おのずと軍が権力の中心に座るようになった。

特に「ハナ会」を中心に軍首脳部を掌握したチョン・ドゥファンは、自分に反対する勢力を容赦せず、民主化運動が展開された光州も例外とはしなかった。戒厳軍を動員して民主化を求める無実の市民らを無惨に踏みにじり、拷問・虐殺した。それだけでない。メディアを統制して光州で「赤(共産主義者)」たちが暴動を起こし、ヤクザまで動員されたという虚偽を報じ、犠牲者らをスパイや暴徒に仕立て上げた。

光州へ向かう場面=映画「タクシー運転手」キャプチャ(c)MONEYTODAY

無防備な状態で踏みにじられていた光州の実情を海外に伝えたのはヒンツペーターだった。5.18事件当時、日本にいたヒンツペーターは、チョン・ドゥファンの戒厳軍と光州の市民との衝突に関する短い情報を受け取った。

その簡単な情報にもかかわらず、「ただごとではない」という記者としての直感が働き、現地に行くことを決心した。翌5月19日に韓国に入国し、20日には光州へ向かった。

この時同行したのがタクシー運転手のキム・サボク。二人は共にソウルから光州へ向かった。長い距離にもかかわらず道路は車が一台もなく、光州への入り口は四方が戒厳軍の検問所に封鎖されている異様な光景だった。しかし、キム・サボクは機転を利かせて検問を突破し、内部への進入に成功した。

光州の市民らは、恐ろしい現実を伝えた。言葉が通じないドイツ人記者を歓迎し、学生や市民らはトラックに乗って歌を歌うなどの姿も見せた。しかし、その一部は数日後、戒厳軍によって虐殺された。

光州市民がドイツ人記者を歓迎する様子=ヒンツペーター記者のフィルム、KBS提供(c)MONEYTODAY

ヒンツペーターがのちに公開した写真には、光州の市民がいかに普通の人々だったかが鮮明に写し出されている。あまりにも多くの人々が殺害され、棺が足りない状況や、その棺の前で号泣する遺族の姿など、当時の惨状が生々しく記録されていた。

ヒンツペーターは取材を終え、キム・サボクのタクシーに乗って光州脱出を試みた。しかし、検問所で止められ、戒厳軍幹部にトランクを開けるよう要求される。撮影した写真フィルムやカメラが見つかったものの、幹部は二人を見逃した。その後、ヒンツペーターの写真は世に出された。

1980年5月に光州で起こった悲劇は、このようにして世界に知られることになった。

それまでにも、5.18事件を扱った映画は多くあった。しかし、この事件を外部に伝えたドイツ人記者とタクシー運転手の物語を描いた映画はなかった。特に、厳重な統制を突破してヒンツペーターを光州へ導き、脱出まで助けた平凡な市民、キム・サボクの存在は、この映画を通じて初めて広く知られるようになった。

キム・サボクの勇気がなければ、そして軍事政権の手の届かない海外メディアでこの事件が報じられなければ、固く隠蔽されていた5.18事件は「スパイの仕業」として後世に記録されていたかもしれない。【MONEYTODAY キム・ソヨン記者】

(c)MONEYTODAY/KOREA WAVE/AFPBB News

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