今から79年前の太平洋戦争末期、岩国市出身の男性が特攻隊員として出撃し、21歳で亡くなりました。
その特攻隊員が通っていた岩国市内の剣道の道場では「平和について考えてほしい」と遺品が公開されています。
岩国市出身の新屋 勇さん。1945年4月11日、特攻隊として台湾から出撃し、沖縄付近でアメリカ軍の巡洋艦に体当たりし、戦死しました。
21歳の若さでした。
また、特攻に使われた航空機を台湾で整備したのは、新屋さんの弟=昇さんだったと伝えられています。
兄を特攻に送り出した弟の昇さんが「この歴史を伝えてほしい」と遺言を残したことから、新屋さんが通っていた岩国市の剣道道場「練武会」のOB会では、毎年、新屋さんが亡くなった4月に遺品を公開しています。
遺品はおよそ50点。
飛行日誌やアルバムのほか、「会いに来てくれ九段坂」などと悲壮な決意が綴られたハンカチもあります。
(練武会OB会 兼重由美さん)
「台湾有事という言葉が飛び交う状態に今なっている日本を回避したいという気持ち。新屋さんの命を亡くさないといけない世の中ではなく、これから若い人たちが戦争をしないで済むような世の中にしていかないといけない」
遺品は今月30日まで、稽古のある毎週火曜・金曜の午後6時から8時まで公開されています。
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