中学進学を機に地元を離れ、現在は富山県のトナミ運輸でプレーしている保木選手…。
バドミントンを始めた地元・柳井市でも喜びの声が聞かれました。
(保木卓朗選手)「あと残り2か月ですが、勝っているときの感覚を自分たちのなかで取り戻せばオリンピックでもチャンスはある。まだ男子ダブルスではメダルを獲得したことがないので。世界選手権も史上初の金メダルを取りましたし、世界ランキング1位も取って自信もあるので、史上初をもう1個増やせるように頑張りたい。」
日本バドミントン協会は21日、保木卓朗選手が小林優吾選手とのペアで男子ダブルスのパリオリンピック代表に内定したことを発表しました。
保木選手は柳井市出身の28歳。
福島県の富岡第一中学校、富岡高校を経てトナミ運輸に入社。
小林選手とは中学の時からペアを組んでいます。
前回、東京オリンピックでは選考レースでの結果が振るわず出場がかなわなかった保木選手。
2021年の世界選手権で優勝すると、一時は世界ランク1位にまで上り詰めます。
その後も世界の舞台で勝ち続け、今回、念願のオリンピックへの切符をつかみました。
(保木卓朗選手)「小さいころからオリンピック出場というのは最大の目標でもあったんですけど、それがかないそうで出場できるということで、次は短期間ではありますけどメダル獲得を最大の目標にがんばりたい。」
保木選手のオリンピック出場内定に、地元・柳井市も喜びに沸いています。
小学生バドミントンチーム「Beekids」は保木選手が小学生だったころプレーしていた「旭ヶ丘ジュニアバドミントンクラブ」が前身です。
ジュニア時代から保木選手のことをよく知る当時のチームの代表とコーチは…
(旭ケ丘JBC時代の代表 山﨑さん)
「保木自身が小学校のころからオリンピックに出たい、金メダルをとりたいといっていたのがこれで現実味を帯びたなと、うれしかったです。」
クレバーな配球と機動力を武器に世界の舞台で戦う保木選手。
子どものころはどんな選手だったのでしょうか?
(旭ケ丘JBC時代のコーチ 永田さん)
「よそのチームに連れて行ったときに、そこのチームの一番上手な子のプレーをすぐまねしてできるようになったりとか。細かいところでいうと技術的なところも真似てできるようになったり、ひとつひとつ教える前に自分から盗んで自分のプレーにいかすことができていたのですごいなと思っていました。」
福島県の中学校に進学をするため柳井市を離れた保木選手ですが、今でも地元に帰ると子どもたちにバドミントンを教えてくれているといいます。
子どもたちにとって憧れの存在です。
(チームの小学生)「(五輪出場は)すごいと思います」
「自分はシングルスのプレーヤーなんですけど、保木選手はスマッシュもめっちゃ速いから保木選手みたいなプレーヤーになりたいです。」
「自分の同じチームでやっていて、自分もオリンピックに出たいなと思いました。」
オリンピックの舞台で日本は男子ダブルスのメダルを一度もとったことがありません。
柳井からのメダリスト誕生に期待が高まります。
「保木選手、オリンピック出場おめでとうございますがんばれー!」