上関町祝島で16日から4年に1度の祭り、神舞(かんまい)が始まりました。
コロナ禍で前回・4年前は中止となり、8年ぶりとなったことしの神舞。
初日の16日は、大分からの御神体を島に迎え入れる神事が行われ、神楽が奉納されました。
午前11時過ぎ、上関町祝島沖に、神職らを乗せた船が大分県からやってきました。
「ホーランエー(宝・来・栄)」
神舞の初日となった16日は「入船神事」と呼ばれる、神職らを乗せた船を迎え入れる神事が行われました。
船を先導する「櫂伝馬」の上では、船の行く先を清める采幣(さいへい)と漕ぎ手を鼓舞する剣櫂(けんがい)が勇壮な舞を披露します。
「祝島の神舞」はおよそ1100年前、現在の大分県国東市国見町伊美地区の人たちが嵐にあって祝島に漂着した時に手厚いもてなしを受け、そのお礼に農耕の技術を伝えたことがきっかけとされています。
以来、伊美別宮社の神職などが4年に1度、祝島を訪れ神楽を奉納しています。
前回、4年前はコロナ禍により中止となったため8年ぶりの開催です。
神職らが、いよいよ島に上陸します。
本来、祭りは5日間…。
ことしは過疎高齢化などにより、3日に日程を短縮するなど規模を縮小して開催された今回の神舞。
それでも人口およそ270人の小さな島に多くの人が集まりました。
祝島の人は、神舞のたびにこの光景を見て「島が沈む」といいます。
(祝島のお年寄り)
「本当、涙が出るほどうれしいわ。
本当にここまでいけるとはおもわんかったね。
若い人ががんばってくれた」
(剣櫂を務めた 出田涼也さん)
「特に最後はたくさん人が囲んでいたので、体力も無くなったけど、出来るだけ大きく踊りました。(人を見て)より一層頑張ろうと思いましたし、特に最後はたくさん人がいて…」
午後からは大分県の里楽師(りがくし)たちによる神楽が奉納されました。
神舞は18日、御神体を見送る出船神事で幕を閉じます。