広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」この像は広島で被爆した10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんがモデルとなっています。和木町では6日佐々木禎子さんの兄が、児童に平和の大切さを話しました。
(佐々木雅弘さん)
「朝ごはんのためにちゃぶ台の前に座りました。座った途端でした。あのきのこ雲が出た。さく裂した、原爆が」
和木小学校で講演した佐々木雅弘さん。
妹の禎子さんは被爆から10年近くが経ったころ、白血病を発症しました。
激痛を伴いましたが、家族の貧しい生活を知っていた禎子さんは、痛みを和らげる注射をほとんど求めなかったといいます。
(佐々木雅弘さん)
「いま痛いよと言ったらお父ちゃんお母ちゃんが心配する。そんなことを禎子は毎日思っていた。だから絶対にわがままを言わなかった」
そして、禎子さんの最期の願いとなったのは…
(佐々木雅弘さん)
「お父ちゃん、お茶漬けが食べたいと。死ぬ間際になっても、家にお金がないことを心配して言うんです。来ているみんな、このお兄ちゃんの顔を見て、おいしかった、ありがとう。最期の言葉、ありがとうと言ったんです」
禎子さんが病床で折り続けた、千羽鶴。
禎子さんが亡くなった後、同級生らが協力し、原爆の犠牲となった子どもたちの霊を慰める「原爆の子の像」が建てられ、千羽鶴はいま、平和の象徴とされています。
佐々木さんは、「違いを認め合う、思いやりの心を持ってほしい」と子どもたちに話していました。
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