2024年もあと2週間ほど……2024年の印象的な出来事といえばやっぱりパリオリンピック。その大舞台で3つの金メダルを獲得し世界を驚かせたのが岡山市出身の岡慎之助選手です。幼い頃からの夢を叶え今度は夢を与える側になった21歳がいま感じていることとは――。
(記者リポート 興除公民館 7月)
「午前3時に差し掛かるところ、最後の出番(鉄棒)にものすごい声援です。しんちゃんコールが出ました」
2024年の夏、日本を、そして世界を驚かせた体操・岡慎之助選手。岡選手はパリオリンピックの体操男子団体と個人総合、種目別の鉄棒で金メダル、平行棒で銅メダルを獲得。
体操での金メダル3つ獲得は日本人選手52年ぶりの快挙でした。
オリンピックで巻き起こった「しんちゃんフィーバー」。岡選手が生まれ育った岡山市南区の興除地区では、恩師や同級生など約800人が地元のヒーローをお出迎え。
12月に行われた岡山市でのパレードにも約1万人が詰めかけました。
(体操 パリ五輪3冠/岡慎之助 選手)
「いや~もう興奮してます。興奮止まらんっす、最高ですね!」
4歳で体操を始めた岡選手。小学2年から中学3年までは岡山市の「おかやまジュニア体操スクール」で練習に励んできました。
岡山市でのパレードの前日、その体操スクールに帰ってきた岡選手は子どもたちと笑顔でふれあっていました。
(体操 パリ五輪3冠/岡慎之助 選手)
「さみしいって言ってます、手を離してくれない(笑)」
(スクールで岡選手を指導/三宅裕二 コーチ)
「あぁいうことをずっと時間かけてやってきました、もう毎日何時間も」
三宅裕二さんは小中学生時代の岡選手を指導しました。幼いころから地道な反復練習を嫌がらなかったという岡選手。しかし当時は……。
Q.(岡選手は)三宅先生から何て呼ばれているでしょうか?
岡選手「試合とかでもすごい失敗が多くてがっかりしたみたいなので『チーン』で、(呼び名が)『チーン』ってなった」
子ども「えー!」
(スクールで岡選手を指導/三宅裕二 コーチ)
「もう、けっこう失敗してました。失敗をする悔しさ、それがああいう大舞台で生きたのかなと。本当に積み上げてきたものを出してくれた」
そんな当時14歳の岡選手は将来の夢について……。
(岡慎之助 選手[当時14歳])
「アテネオリンピックの冨田選手の鉄棒の着地を見て、それをきっかけに(体操を)始めました。冨田選手みたいに最後の着地がきれいにまとまるように、僕もオリンピックに出て着地をビシッと決めたいです」
「あこがれ」を抱いて踏み入れた体操の世界。20歳で勝ち取ったオリンピック3冠の栄光から約4カ月。自らが「あこがれの存在」となった今は、新たな「敵」が襲い掛かってきています。
(体操 パリ五輪3冠/岡慎之助 選手)
「こうやって金メダルをたくさん持って帰っていろいろな方が期待をしてくれたりとか、なんだろう……プレッシャーを感じる、感じてきていて今」
高みに立ったからこそ現れた「敵」。それでも岡選手は自分らしい体操を信じ、更なる高みへと歩みを続けます。
(体操 パリ五輪3冠/岡慎之助 選手)
「次のオリンピックも金メダルを目指すけど、まずは目先のやる事に集中して、自分らしい体操をやるっていうところですね、見てるみんながきれいだなとか、感動するような、魅了できるような演技を目指していきます」