阪神淡路大震災を語り継ぐ人や防災への取り組みを連日お伝えしています。16日は、発災当時現地で救助にあたった消防士の男性に話を聞きました。男性は震災当時の状況とこれからへの不安を話しました。
(高松市消防局東消防署/川田浩之 署長)
「(Q.阪神大震災の被災地に入られた一番最初の印象は?)いままでそういった光景は見たことなかったのでちょっと想像を絶するというか。私にとってはターニングポイントになる災害」
そう話すのは高松市の東消防署の川田浩之署長。
阪神淡路大震災の時29歳だった川田さんは、市消防局の第1次隊として発生の当日に被災地に入り、神戸市の長田地区で活動しました。
救助が目的でしたが、実際にはほとんどが亡くなった人の収容だったそうです。
(高松市消防局東消防署/川田浩之 署長)
「1階部分がつぶれて2階が落ちてきた状態で、親子、お母さんとお子さんが。お子さんを守るようにかばった状態で発見した。いまだに(頭に)残っている。何とも言えない気持ちになりましたね。救出しに行ったんですけどそういう状態なんで」
ほとんどの建物が倒壊しているという想像を絶する状況に加え、今のような協力体制も確立されていない中、川田さんは現地で4日間活動しました。
(高松市消防局東消防署/川田浩之 署長)
「あの当時は隊員として入った訳ですが、バックアップ体制もあんまりない状態でなかなか活動するのに厳しい状況でした」
あれから30年。当時は、ほぼ初めてだった消防の広域応援は、阪神淡路大震災を教訓に緊急消防援助隊という形で体制が整えられていきました。
一方で南海トラフ地震に向けては不安もあると川田さんは話します。
(高松市消防局東消防署/川田浩之 署長)
「熊本地震しかり広島・愛媛の土砂災害とかも全て応援に行ってますのでそれなりのノウハウはあるんですけれど、受援、応援を受ける側というのは初めてなので。そのための訓練は毎年やっているんですけれど、実際になればそれ以上に負荷が入ってくると思うので心配」