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「オッサングルマ」なんて呼ばせない! バブル期に登場した、イカシた4ドアセダン5選

くるまのニュース 2019年10月9日 6時10分

バブル期には、それまでにはなかったような「こだわり」を見せるクルマが数多く登場しました。バブルカーといえば高級車やスポーツカーを想像しますが、ふつうの4ドアセダン/クーペにも、のちに名車と呼ばれたモデルがありました。

■バブル期には4ドアセダンの開発も莫大なコストをかけた

 バブル景気と呼ばれた1986年から1991年、自動車メーカーはその好景気を背景に、新型車の開発に莫大な開発費用を投資しました。その結果、欧州車とひけを取らないようなモデルや、世界をリードするモデルなどが登場、国産車の水準が大きく向上しました。

 バブル期のクルマといえば、トヨタ「セルシオ」やホンダ「NSX」など、スペシャルな高級セダン/スーパーカーを想像しますが、当時は主流のボディ形状だった4ドアセダンや、それに波及する4ドアクーペにも数々の名車が生まれました。

 ●日産・初代「プリメーラ(P10型)」

 日産の初代「プリメーラ」は、1990年2月に登場した4ドアセダンです。

「P10」型と呼ばれる初代プリメーラは、当初4ドアセダンのみのボディで登場しました。1.8リッターと2リッターの「SR」型エンジンを搭載、5速MTおよび4速ATと組み合わされていました。

 イギリスでも生産されたこのプリメーラは、欧州市場も視野に入れて開発されました。当時、日本で流行していた、車高の低い4ドアハードトップのスタイリングではなく、ミドルサイズのセダンとして後席居住性も考えられていました。

 1991年にはイギリス生産の5ドアハッチバックモデルが輸入され、日本で発売されています。このハッチバックモデルは「20eGT」のモノグレードでした。

 1990年代までに技術で世界一の自動車企業を目指す、という、日産の「901運動」から生まれたフロント・マルチリンクサスペンションをおごり、ヨーロッパ車に負けないハンドリングは当時の自動車雑誌などでも評判になりました。

 一方で、足は締まっていて乗り心地はけっして良いとはいえず、いままでの日本車に慣れ親しんだ一般的なユーザーからは不満の声も上がっていました。これらはマイナーチェンジや一部改良がおこなわれるたびにしなやかになっていきました。

 1995年にはP11型と呼ばれる2代目にフルモデルチェンジされました。

●スバル・初代「レガシィ(BC型)」

 スバルの初代「レガシィ(BC型)」は1989年1月に登場しました。

 当時のスバルの主力車種、「レオーネ」の実質的な後継モデルとして開発されたモデルで、プラットフォームを含め新設計されました。セダンとともにツーリングワゴンも同時発売、こちらはBF型と呼ばれています。

 世界に通用するセダン、そしてスバルの個性ある主張を明確に打ち出すこと、のふたつを開発テーマに掲げた外観は、直線基調の「アルシオーネ」のデザインを継承しています。ちなみにツーリングワゴンはセダンよりもリアオーバーハングを90mm延長され、全長はセダンの4510mmに対しツーリングワゴンは4600mmとなっています。

 搭載されたエンジンは、当時新設計された水平対向4気筒EJ型(EJ18型、およびEJ20型)。EJ20型にはターボ車も用意され、「RS」というグレードで発売当初はセダンのみに設定されました。

 そのレガシィセダンRSは、1989年1月にアメリカ・アリゾナ州フェニックスで10万km走行の速度記録に挑戦、平均速度223.345km/hという、FIA公認の国際記録(当時)を達成しました。

 質の高い走りで大ヒットしたレガシィは、その後スバルを支えるモデルに成長していきます。

■ランティスにギャランVR-4、カリーナED・・・懐かしいバブル期セダン

●マツダ「ランティス」

 マツダ「ランティス」は、1993年に登場した4ドアセダン、および4ドアクーペです。

マツダ・ランティス4ドアクーペ2.0タイプR

 ランティス専用の「CBプラットフォーム」を用いたボディは、全長4245mm(クーペ)4490mm(セダン)×全幅1695mm×全高1355mmと、Cセグメント相当の5ナンバーモデルでした。

 リトラクタブルヘッドライトを採用したマツダ「ファミリアアスティナ」、その兄弟モデルである「ユーノス100」の実質的な後継モデルとして登場。海外ではランティス名ではなく、「323F」「323 Astina」として販売されていました。

 搭載エンジンは1.8リッター直列4気筒と、2リッターV型6気筒の2種類。トランスミッションは4速AT、および5速MTが組み合わされました。クーペボディに170馬力のV型6気筒エンジンを搭載する「タイプR」はスポーティな走りで、モータージャーナリストや自動車雑誌などからは好評でしたが、実際の販売はランティス全体で低調でした。

 バブル期に開発されたため、走りだけでなく室内の質感も良いクルマでしたが、発売された時期がバブル崩壊後だったため、悲運の1台といえます。

 1994年からはじまったFIAクラスII、新生全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にマツダはこのランティスで参戦。

 JTCCは4座4枚ドアの量産車で、かつ2リッター以下の自然吸気エンジン、という規定があり、ライバルメーカーが直列4気筒エンジンモデルで参戦するなか、V型6気筒を搭載するランティスは注目されましたが、FFの日産「プリメーラ」、トヨタ「カローラ」「コロナ」、ホンダ「シビック」勢だけでなく、重量ハンデを負ったFRのBMW「318i」勢にも及びませんでした。

 ●トヨタ・2代目「カリーナED」「コロナエクシヴ」

 カリーナEDは、1985年に登場した4ドアハードトップモデルです。量産4ドア車としては当時世界でもっとも低い車高(1310mm)のスタイリッシュなモデルでした。

 2代目カリーナEDは、1989年に9月にフルモデルチェンジをして登場しました。

 大ヒットした先代同様、低い車高の4ドアピラーレスハードトップスタイルを継承。ベースとなるセリカとともに、ドライバーが「スポーツ」と「ノーマル」の操舵特性を選択できる、デュアルモード4WS(電子制御4輪操舵)を採用、さらに世界初のメカニカルセンシングSRSエアバッグを装備するなど、意欲的なモデルでした。

 このモデルの姉妹車として「コロナ EXiV(エクシヴ)」も登場、カリーナEDはトヨタ店、コロナ エクシヴはトヨペット店で販売されました。

 この2代目カリーナEDの販売は好調でしたが、1993年にフルモデルチェンジして登場した3代目は、バブル崩壊や4ドアハードトップブームの陰りもあって人気は低迷、1998年に販売を終了しました。

●三菱・6代目「ギャラン」

 三菱の6代目「ギャラン」は、1987年10月に登場した4ドアセダンです。

「インディビデュアル4ドア」というコンセプトで登場した6代目「E30系」ギャランは、従来のギャランについていたサブネーム「Σ(シグマ)」が車名からなくなりました。

 1.6リッターから2リッターまで、全部で5種類のエンジンバリエーションがありましたが、注目されたのは最上級グレード「VR-4」に搭載された2リッター直列4気筒インタークーラーターボエンジンです。最高出力205馬力(のちにマイナーチェンジで220馬力/240馬力にパワーアップ)、最大トルク30kgmを発生、当時の直列4気筒エンジンのなかで最強のスペックでした。

 この「4G63ターボ」エンジン、および4WDシステムはランサーエボリューションシリーズに受け継がれます。

 VR-4にはビスカスカップリング式フルタイム4WDを採用、さらに全油圧制御式車速・操舵力完納型の4輪操舵システム(4WS)が装着されました。このギャランVR-4は、日本車ハイパワー4WDの元祖ともいえるモデルでした。

 変わり種としては、「ギャランAMG」がありました。いまは「メルセデスAMG」としてメーカーのブランドになっているAMGですが、当時はドイツの独立系チューナーで、三菱と業務提携をおこなっていました。

 ギャランAMGは、4G63自然吸気エンジンをベースにAMGがチューンナップを施したモデルでした。AMGとの業務提携で生まれたモデルは、このギャランAMGのほかに「デボネアAMG」があります。

 1992年にギャランは7代目にフルモデルチェンジされます。その後、セダンの低迷期に入り、日本では1996年にフルモデルチェンジされた8代目をもって、2005年12月に「ギャラン」という車名が消えました。

※ ※ ※

 一見、オーソドックスな形をしたコンサバティブな4ドアセダンですが、バブル時代には「ヨーロッパ車に追いつけ追い越せ」とばかりに、惜しみなく開発費を投入した結果、かつてない出来のモデルが次々と登場し、その後の日本車の礎となりました。

 バブル期に登場したモデルは、登場からすでに30年ほど経ったものもあり、2019年現在、程度の良い中古車を見つけるのは、当然ながら難しくなっています。

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