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技術の日産が面白いクルマを作っていた!? 日産の珍車・迷車5選

くるまのニュース 2019年10月12日 6時10分

数々の名車やヒット作を生み出してきた日産ですが、歴代車のなかには珍しいモデルや「よくぞ出した」というような迷車が存在します。そんな、日産の珍車・迷車を5車種ピックアップして紹介します。

■昔の日産車にはユニークなクルマが多数存在

 日産はこれまで「スカイラインGT-R」「フェアレディZ」のような高性能車や、「プリメーラ」「マーチ」などのベストセラーカーを多数販売してきました。

 一方で、「よくぞ出した」というくらいユニークで、いまでは珍しいクルマも世に出しています。そこで、日産の歴代車のなかから珍車・迷車を5車種ピックアップして紹介します。

●エクサ

 日産初のFF車「チェリー」の後継車として、1978年に発売されたコンパクトカー「パルサー」は、新世代のファミリーカーという位置づけでした。

 2代目パルサーでは、スポーティな2ドアクーペの「パルサーエクサ」が加わり、1986年のフルモデルチェンジの際に「エクサ」に改名します。

 エクサはクーペタイプの3ドアハッチバックで、リアハッチの形状が2種類あり、ひとつは「クーペ」で、もうひとつはステーションワゴンのような荷室の「キャノピー」でした。

 どちらのタイプもリアハッチの取り外しが可能で、リアシート側をオープンにすることができ、フロント側の屋根もTバールーフになっていたので、オープンエアドライブが楽しめました。

 しかし、外したリアハッチの置き場をどうするかという問題があったため、住環境によってはフルオープンにするのは難しかったようです。

 なお、日本仕様のリアハッチはクーペとキャノピーで互換性がなく、着せ替えはできませんでしたが、海外仕様では可能でした。

 斬新なアイデアとスタイリッシュなデザインで当時の若者からは支持され、いまもエクサのオーナーズクラブがあるほどです。

●ブルーバード オーズィー

5ドアは売れないというジンクスを証明してしまった「ブルーバード オーズィー」

 1987年に発売されたミドルサイズセダンの8代目「ブルーバード」は、画期的なフルタイム4WDシステムの「ATTESA」を搭載した、革新的なモデルでした。そして、1991年に「ブルーバード オーズィー」がラインナップに加わります。

「オーズィー」という車名は「オーストラリアの」という意味を持つ「Aussie(オージー)」という英単語に由来し、生産は日産のオーストラリア工場でおこなった輸入車でした。

 ブルーバード オーズィーは、オーストラリアでは「ピンターラ」というクルマで、8代目ブルーバードをベースにしていたことから、日本での販売にあたってはブルーバードの名称が用いられました。

 ブルーバードとの差はボディ形状で、通常モデルは4ドアセダンでしたが、ブルーバード オーズィーはステーションワゴンに近い5ドアハッチバックでした。

 使い勝手もよさそうなボディ形状ですが、当時の日本では5ドアハッチバックに馴染みが薄かったためか、販売台数は少なかったといいます。

 日産は1993年にオーストラリア工場を閉鎖し、ブルーバード オーズィーも同時に生産を終了。わずか2年の販売だったため、いまではかなりレアなクルマです。

●セドリック ロイヤルリムジン

当時のカタログにも掲載されていた「セドリック ロイヤルリムジン」

 かつて、日産の高級車というとフラッグシップに「プレジデント」があり、その下に「シーマ」、そして「セドリック/グロリア」という序列でした。

 プレジデントは運転手がいるショーファードリブンのクルマで、シーマとセドリック/グロリアはオーナーが運転するオーナードリブンという位置づけですが、7代目セドリックにショーファードリブンのモデルがあったのは、意外と知られていません。

 日産の特装車を生産していたオーテックジャパンが、7代目セドリックをベースにリムジンに仕立てた「セドリック ロイヤルリムジン」がそれです。

 セドリック ロイヤルリムジンは1987年に発売。ベース車のシャシを切って600mm伸ばしてつなぎ直す「ストレッチリムジン」と呼ばれる手法で製造されました。

 リアシートは広大な足元のスペースが用意され、前席と後席隔離する仕切りにはテレビやオーディオセットなどを装備し、価格は約1500万円からでした。

 なお、リムジンではありませんがホイールベースを150mm延長した「セドリック ブロアムL」というモデルもあり、1996年に発売されています。

■無印良品とコラボしたクルマがあった!?

●240RS

とても市販車とは思えないほどスパルタンな「240RS」

 1979年にデビューした3代目日産「シルビア」は、2代目とは大きく異なるデザインの、シャープなボディラインを持つスポーティなクーペ/ハッチバックでした。

 このシルビアをベースとして、1982年にWRC(世界ラリー選手権)参戦のため、2.4リッター直列4気筒DOHC16バルブエンジンを搭載するレースベース車の「240RS」が市販されました。

 当時、WRCのグループBというカテゴリーで戦っていたので、その公認を得るために200台を製造。

 外観はラジエーターを積極的に冷やすために大きく拡大されたフロントグリルと、角張ったデザインの大型オーバーフェンダーが装着され、迫力あるボディとなっていました。

 また、内装には快適装備が一切無く、インパネには各メーターとグローブボックスがあるだけの、スパルタンな仕様でした。

 エンジンは2基のソレックスキャブレター(50Φ)が装着され、2.4リッターから最高出力240馬力を発揮し、WRC仕様では275馬力までパワーアップしていましたが、当時のWRCでは4WD車でないと勝てない状況で、FRの240RSはすでに時代遅れだったといえます。

 なお、主に海外ラリーへの参戦用だったため、国内向けもほとんどが左ハンドルとなっていました。

●MUJIカー1000

これぞベーシックカーというくらいシンプルな「MUJIカー1000」

 株式会社良品計画が運営する「無印良品」は、生活雑貨から食料品まで幅広い商品を売る小売店です。この無印良品から、2001年に日産と良品計画との共同開発車「MUJIカー1000」が発売されました。

 1000台の限定販売で「MUJI.net」を通してネットで予約を受け付け、納車やサービスは日産のディーラーでおこなうという販売方法でした。

 MUJIカー1000は2代目「マーチ」の1リッターエンジン車がベースで、マーブルホワイトの専用ボディカラーに塗装されていない素地のバンパー、専用デザインのラジエーターグリルとリアコンビランプ、ブラックの電動格納式ドアミラーなど、無印良品の飾らない商品をイメージさせる質素で実用的なデザインが採用されました。

 価格は93万円(消費税含まず)と安価で、オーディオやエアコン、エアバッグなど必要最低限の装備は搭載されていましたので、かなりお買い得だったといえます。

 なおMUJIカー1000の売買契約が成立すると、無印良品オリジナル折りたたみ自転車がプレゼントされたそうです。

※ ※ ※

 今回紹介した5車種は、どれも生産を終了してからかなりの歳月が経っていますが、MUJIカー1000以外は旧車イベントなどで見ることができます。

 日産の旧車愛好家は他メーカーよりも多く、特別なモデルでなくてもオーナーズクラブがあるのが特徴で、例えばブルーバードでは世代別にオーナーズクラブがあるほどです。

 旧車の維持は大変ですが、現代のクルマが失った魅力があるということでしょう。

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