2020年に日本国内での販売も締め切りとなるアルファロメオ「4C/4Cスパイダー」。ミドシップのリアルスポーツカーとして誕生し、市販モデルとして存在感を放っていた4C/4Cスパイダーだが、アルファロメオには市販されることなく消えていったミドシップ車があった。
■アルファロメオの残念なミドシップとは?
先ごろ生産中止が告げられるとともに、2020年4月30日をもって日本国内におけるオーダーも締め切りとなってしまったアルファロメオ「4C/4Cスパイダー」は、少なくとも現状における、アルファ史上空前絶後のミッドシップ・ライトウェイトスポーツカーといえよう。
あるいは、アルファロメオにとってはアイコン的な存在であり、4Cがデザイン上のモチーフとした「ティーポ33.2ストラダーレ」まで含めれば、アルファ史上2代目のミッドシップ市販車という見方もあるかもしれない。
しかしご存じのとおり、33.2ストラダーレは総生産数18台という超レア車。しかも、高度なレーシングカーに市販スポーツカー的なボディを与えた、現代のハイパーカーにも相当するモデルと見るべきであろう。
とはいえ、実は第二次大戦前からミドシップ車の研究・開発を進めていたアルファロメオでは、4Cとして実を結ぶよりも遥か昔から、小型・軽量のミドシップスポーツカーにも幾たびかチャレンジしていた。
いずれもシリーズ生産化には至らなかったものの、今なおロンバルディア州アレーゼにあるメーカー直属ミュージアム「ムゼオ・ストーリコ・アルファロメオ」に、その一部が展示ないしは秘蔵されている。
現在のムゼオは2015年のリニューアルオープンによって、素晴らしい変身を遂げた。でもそのわずか数年前には、完全に閉鎖してコレクションも放出されるとさえ噂されていたことを、ご記憶の向きもあるだろう。
実際、筆者にとって2度目の訪問となった2010年には事実上の放置状態となっていたものの、だからこそ結果としてバックヤードに秘蔵されていた「知られざるプロトティーポ(プロトタイプ)」たちにも出会うことができたのだ。
今回は、その際に遭遇した3台のアルファロメオ製ミドシップ・ライトウェイトスポーツカーのエピソード。アルファ史上稀に見る市販リアルスポーツカーである4C/4Cスパイダーへの惜別の念も込めつつ、ここにお届けしたい。
●スカラベオ:1966年
アルファロメオ幻のミドシップ試作車最初の1台は、バックヤード所蔵ではなく、正規の館内展示車両。1966年に製作された「スカラベオ(Scarabeo)」である。
レーシングスポーツカーとしての「ティーポ33.2」プロジェクトが発足する直前の1965年。アルファロメオ社の技術陣トップであるオラツィオ・サッタ・プリーガやジュゼッペ・ブッソたちは、それまでスポーツカー耐久レースの小排気量GTカテゴリーで闘っていた「ジュリアTZ」に代わるニューマシンのために、当時の最先端技術だったミドシップ・レイアウトの可能性を模索。
その一環としてであろうか、ジュリア系4気筒DOHC1570ccエンジンを搭載するプロトタイプが開発された。
内部に燃料タンクを組み込んだ軽金属製チューブをメインストラクチャーとする、特異なセミ・モノコックフレームなどの車体構成は、のちの「ティーポ33」でも採用されたものだ。エンジンは、右シートの背後に横置き配置するミドシップだった。
ボディワークは、老舗カロッツェリア・ギアからその量産車生産部門として派出し、この時代のイノチェンティやアルファロメオのスペシャルモデルなどを複数手掛けていた「O.S.I.(Officine Stampaggi Industriali)」社が製作を担当した。
1966年のパリ・サロンに出品された第一次プロトタイプは、ウインドスクリーンとルーフ、ドアまで一体化したキャノピースタイルを持つ、いかにもコンセプトカー然としたスタイル。その印象から、神聖な甲虫を意味する「スカラベオ(スカラブ)」と名づけられた。
そして直後に製作されたこの車両──同じくO.S.I.製の第二次プロトタイプは、よりレーシングカー的なデザインとされた。さらに、ルーフのないバルケッタスタイルの第三次プロトタイプまで製作されたものの、この時代にアルファロメオのレースカー開発とワークスチーム運営を受託していた「アウトデルタ」の意向もあって、スカラベオの生産化は夢と消えてしまった。
■レースシーンでの活躍を夢見ていたアルファロメオの試作車たち
筆者が訪ねた2010年6月の段階では、一時的に放置状態となっていた旧ムゼオ・ストーリコ・アルファロメオ。居合わせた博物館スタッフから咎められることもなく入ることのできたバックヤードにて、それまで存在すら知らなかった一台のプロトティーポと遭遇した。
●ジュニアZ 2000ペリスコピオ:1972年
1969年から販売されていた本格的グラントゥリズモ「ジュニアZ」をベースとするミッドシップ試作車。
1973年から正式にスタートした世界ラリー選手権(WRC)へのワークス参戦を見越し、当時のWRCで最上級クラスであるFIA「グループ4」に準拠して、アウトデルタとともに開発されたといわれる「ジュニアZ 2000ペリスコピオ(Junior Z 2000 Periscopio)」である。
この試作車には、ボディ後部のエンジンルームにフレッシュエアを送り込む、潜水艦の潜望鏡を思わせる特異なエアスクープから「ペリスコピオ(潜望鏡を意味する伊語)」というペットネームが授けられていた。
スカラベオと同様、右側にオフセットした横置きに搭載されるエンジンは、同時代のグループ2ツーリングカーレース用マシン「2000GTAm」用の4気筒DOHCである。資料によると排気量は1985ccで、240psをマークすると記されていた。
フロントセクションは、基本的にジュニアZと共通。一方、リアサスペンションを覗いてみると、太いド・ディオン・チューブが横たわっていたことから、半独立式ド・ディオン・アクスルであることは間違いない。おそらくは、同時代の「アルフェッタ」用を流用したと思われる。
開発当初は、ルノー「アルピーヌA110」を仮想ライバルとしていたとのことながら、残念ながら当時世界スポーツカー選手権で手いっぱいだったアウトデルタは、WRCまで進出することは不可能と判断。
プロジェクトは早々にキャンセルされてしまったようだが、もしも当時のグループ4が規定していた400台の生産を終えて実戦配備されていたならば、ワークスA110Gr.4のゴルディーニ製1.8リッターを大幅に上回るパワーを利して、互角のパフォーマンスを見せてくれたかもしれない。
●アルファスッド・スプリント6C:1982年
ペリスコピオと同様、旧ムゼオで一時的に開放されていたバックヤードで発見した一台。
一見したところでは、小型量産車アルファスッドのクーペ版「アルファスッド・スプリント」に、ブリスターフェンダーと極太タイヤを組み合わせたチューニングカーのようにも映る。
このクルマの名は「アルファスッド・スプリント6C」。1982年から施行されたFIA「グループB」レギュレーションに対応するラリーマシン、あるいはサーキット用レースカーのベース車両として開発されたモデルで、現代においてもアルファロメオの至宝として誉れ高い2492ccV型6気筒SOHCのエンジンをミドシップに縦置きで搭載している。
モノコックボディの骨格やストラット式のフロントサスペンションなどは、スッド・スプリントのものを流用する一方で、リアセクションは大幅にスープアップ。
リアサスペンションは専用設計のダブルウィッシュボーンとされたほか、前後フェンダーはワイドなタイヤを収めるためにブリスター化されていた。
グループBの規定に従うためには最小200台の生産が必要だったスプリント6Cだが、ロードカー然としたプロトタイプ第1号と、フロントサスペンションもダブルウィッシュボーン化するとともに、内外装を若干レーシーに仕立てた第二次試作車の2台を製作した段階で、スプリント6Cプロジェクトはキャンセルに終わってしまった。
過給機付きエンジンや4輪駆動のドライブトレインを持たないことから、WRCをはじめとするラリー競技での活躍は見込めなくなっていたことが、その理由とされている。
しかし、そののち同じくスッド・スプリントをより派手に仕立て、ミドシップにアルファロメオV6エンジンを搭載したスペシャルカー「ジョカットロ(Giocattolo=イタリア語でおもちゃのこと)」が、オーストラリアのスペシャリストによって企画。3台の試作車を経て、1986年から12台の生産モデルが製作・販売されたという。
その生産車のうち数台には、豪州ホールデン製5リッターV型8気筒OHVエンジンにコンバートしたものも含まれ、オーストラリアやニュージーランドの国内ラリーなどで活躍したともいわれている。