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ランボルギーニに採用されるデザインだった!? 激レアスーパーカー、チゼータ「V16T」とは?

くるまのニュース 2020年5月12日 12時10分

スーパーカーはいつの世も、乗り手と造り手の欲望が渦巻くものだ。世界的に好景気であった1980年代、世界のウルトラリッチをターゲットにしたイタリアンエキゾチックカー、チゼータ「V16T」が誕生した。今や伝説のように語り継がれるチゼータとは、どのような夢を抱いたメーカーだったのだろうか。

■アメリカ西海岸をターゲットにしたチゼータが生まれた背景とは?

 クルマ好きの飽くなき欲望というものは、今も昔も変わらぬようである。それは、乗り手の欲望であり、造り手の欲望でもあった。ときに、売り手の欲望もその周辺で渦巻いたことだろう。

カウンタックの後継モデル、ディアブロ用に用意していた案が、クライスラーによって却下されたために、チゼータに採用された

 各所に偏在する欲という欲が、世界経済の動向と巷のクルマファッショントレンドという「時の流れ」を媒介とし、互いに真正面、フルラップで衝突したときに、チゼータ・モロダーのような貴種にして奇種が誕生する。

 名前の前半は、奇才エンジニアのイニシャルである。すなわち、C.Z.。これをイタリア語の発音で読めば、チーとゼータ、つまり、チゼータとなる。男のフルネームは、クラウディオ・ザンポーリといった。

 彼は、ランボルギーニの黎明期、年代でいうと1966年から1973年まで、パオロ・スタンツァーニの元、テスト&開発の担当者としてサンタアガタに勤務した。ミウラ、クンタッチ、ウラッコといった、決して経済的には恵まれなかったけれども、今となってはランボルギーニのレゾンデートルの源泉というべきヘリテージを作り上げた、ブランドイメージを託すモデル開発の最盛期に、ミスター・チゼータはいたのだ。

 巷のクラウディオ伝はそこからひと足飛びにモデナで自らの名を冠したスーパーカーメーカーを設立、と話が飛んでしまうわけだが、それはもっと年月が経ってから、実際には1985年のことであり、そこまでの、いわば雌伏の時間にこそ、チゼータ・モロダーV16T誕生に至る「ヒステリア」があったといって過言ではない。

 ランボルギーニをやめた後、クラウディオは、一体何をしていたのか?

 彼はイタリアでの夢がついえた後、チゼータUSAとして、イタリアから引き上げてきたパーツや金型を使って、新車の製造注文を受けていた。だから、クラウディオと実際に話をして、イタリア人にしては流暢な英語を話すな、と思ったとしても、不思議ではない。

 けれども、チゼータ発表時のクラウディオを知る人の思い出もまた、似たようなものだった。彼は、英語をよく話した、と。ちなみに、チゼータの最初のモックアップが披露されたのは、アメリカ西海岸である。どうしてか。

 実はクラウディオは、ランボルギーニをやめた2年後に、早くも西海岸に移り住んでいた。当初の目的こそ、ランボルギーニの知名度を世界でも有数の金持ちエリア、アメリカ西海岸に広めるためだったのかも知れない。

 結局、彼はこの地で、フェラーリやランボルギーニ、その他イタリアンエキゾチックカーのセールス&メンテナンス拠点を築くことになる。当然、そのビジネスは彼に巨大な富をもたらした。

 もともとクラウディオは、会社でクルマの開発をすることも好きだったが、もっと大きなことをしてみたいという野望も持っていた。

 彼が会社を去る1973年には、ランボルギーニは既に会社組織の体をなくしており、辞めることは必然だったかもしれないが、それを積極的に後押ししたのもまた彼の野望であった。そうでなければ、新天地としてアメリカなど目指さないだろう。

 アメリカで成功を収めたクラウディオ。やがて、自分の野望がひとつのカタチとなって立ち現れてくる興奮を、抑えきれないようになっていく。

■ガンディーニがディアブロ用にデザインした案をチゼータが採用した

 このクルマの成立には、もうひとりの、重要な登場人物があった。当初の車名である「チゼータ・モロダー」の、モロダーだ。フルネームを、ジョバンニ・ジョルジョ・モロダーという。

 音楽好きならば、名作曲家にして名プロデューサーであるジョルジョの代表作をすぐに言い募ることだろう。そうでない人でも、聞けば誰もが知る曲を、彼は世に送り出している。たとえば「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」。たとえば「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」。

 いずれも映画で有名となり、アカデミー賞に輝いた名曲である。その他、彼の手になる名曲は、枚挙にいとまがない。

6リッターのV16をミドシップに横置き搭載するという独特なレイアウトのチゼータ

 名前からも分かるとおり、彼もまた南チロル出身のイタリア人だ。クルマ好きであったことは間違いなく、彼のクンタッチの整備を通じてクラウディオと出会った。それは、彼が2つ目のアカデミー賞を取り、オリンピックゲームの楽曲にも関わるなど、黄金期を迎えた正にそのときであった。

 1985年。ついにクラウディオの夢が、スーパーカーの聖地モデナに実現する。チゼータ・アウトモビリの設立である。出資金は、ジョルジョと半分ずつ。それゆえ、最初のプロトタイプの名は、チゼータ・モロダーであったのだ。

 クラウディオのアイデアは、奇想天外だった。否、奇想天外であることが、既存のスーパーカーに飽きたウルトラリッチに受け入れられる唯一の条件だと、販売や整備の現場を経験したクラウディオは確信していた。

 折しもときは世界的な好景気。時代は絶えずモンスターを求めていた。

 ふたりの名を冠したプロトタイプが完成したのち、モロダーはこのプロジェクトから離脱する。奇想天外なスーパーカープロジェクトの実現には多額の投資が必要だ。天文学的な出費に、さしものモロダーも怖れをなしたのか、それとも、1台を完成させた時点で夢から覚めたか。ともかく、クラウディオはひとりで、底なしのスーパーカービジネスへと突き進むことになる……。

 その結末をここではあえて記すまい。それよりも、結果として今、我々の目の前にあるチゼータV16Tを、しっかりと目に焼き付けようじゃないか。それこそが、スーパーカー好きの矜持だ。

 デザインは、もちろん、マルチェロ・ガンディーニ。ディアブロのオリジナルデザインに近い、といわれるが、そういうことは過去にも例があった。

 決してウラッコ二丁掛けなどではない、オリジナル設計の16気筒エンジンを横置きにするため、テスタロッサを凌ぐヒップ・グラマーだ。ホイールベースは異様に長く、テスタロッサ風のダクトでかろうじて、間延び感を薄めている。

 シェルクラムスタイルにガバッと開くリアエンジンフードは、整備のし易さを最優先にしたもので、ここにも厳しい現場を経験したクラウディオのアイデアを見つけることができる。

 筆者は実際にこの個体を自由に走らせたことがある。16発6リッターは、これまで経験したどのエンジンとも別種のフィールで回った。金属的でかつ精緻、アクセルを踏むたび、メタルでできた悪魔が叫ぶ。

 エンジン音じゃない。それは正に咆哮。踏みこんだ瞬間、ハッと息を飲み、心ときめいた。それは、世にも美しき音楽であった。

* * *

●CIZETA V16T
チゼータV16T
・生産年:1991年
・全長×全幅×全高:4440×2050×1120mm
・エンジン:V型16気筒DOHC
・総排気量:5995cc
・最高出力:568ps/8000rpm
・最大トルク:75.0kgm/6000rpm
・最高速度:328km/h
・0-100km/h加速:4.4秒
・トランスミッション:5速MT

●取材協力
ワクイミュージアム

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